変容する心達
「以上で、カサンドラ・グランシアに関する情報の全ての報告となります」
ノエル・シュヴァルは、カシル・フラムベルグの目の前に、書類の束を渡した。
パラパラとページをめくり、カシルは顔をしかめた。紙の束をあたりにぶちまけると、深くため息をついた。
「…この程度か?」
「ええ。交友関係もなく、恋人もなし、社交界に出た記録も数えるくらいしかない…家族構成、その他書類に記載されている通りです。」
「そうじゃなくて!‥もっと,こう…だな!」
ぱらぱらと舞い散る紙の束を拾い集めると、ノエルもまたカシルに不敵な笑みを浮かべた。
「…いったいどんな情報をご希望だったんでしょうか?……公爵家のご令嬢に対して、弱みや不都合な事実を探りたいとおっしゃるのなら‥他を当たっていただくことを推奨いたします」
「‥‥!ここはなんでも依頼人の言うことを聞いてくれるギルドじゃないのか?!」
(‥話にならないな)
なおも食い下がろうとするカシルに半ばうんざりしながら応じた。
「言ったはずです。仕事を選ぶ権利はこちらにある、と。お客様のお望みではない結果であるのならば、報酬などいつでもお返ししますよ?」
奥から助手が持ってきた革袋を受取り、そのまま机の上に勢いよく置いた。
しかし、カシルをはそれを受取ろうとはせずに無言で席を立つと、くるりと踵を返した。
「…民衆に施しをするのは貴族の義務だ。‥‥失礼する」
何だかんだとぶつぶつ言いながらも、報告結果の書類を残さず持っていく姿を見送る。
「‥っけ。なあにが民衆に施し、だ」
ノエルは言って、先ほどまでカシルが据わっていた椅子の方をねめつけ、机の上にドカッと足を組んだ。
「なんだか失礼な奴だねえ」
隣に立っていた助手ことラヴィが少し怒りながら言うと、ノエルもそれに便乗した。
「金を得るかわりに心まで失ったんだろう。あ~やだやだ、金持ちってこれだから。こちとらそこまでお困りじゃねーっての!」
入り口のベルの音が鳴ると、ノエルとラヴィは反射的にそちらの方向を向く。
入れ替わりに入ってきたのは、制服姿のヘルト・グランシアだった。どうやら勤務の最中のようだが、抜け出してきたらしい。
「…今のは、フラムベルグの馬車か?」
「ヘルトか。いいタイミングで来たな。さっきまでカシルがそこにいたんだぞ?」
ノエルの言葉にヘルトは少し笑ってしまう。
「…知ってる。それより、今日はいち依頼人としてきたんだが、少し時間をいただいてもいいか?」
僅かに目を見張ると、ノエルは一度咳払いをして座るように勧めた。
「それで?高名なグランシア公爵の嫡男様が、しがない民衆代表の我がギルドにどんなご用かな?」
「…随分とひねくれた言い方だな?」
「ちょっとな。‥それより依頼か?」言って、ノエルは肩をすくめる。
「ああ。実は、今月の日曜日にフラムベルグ家のガーデンパーティーが開かれるらしい」
「ガーデンパーティー?…まさか、行くのか?」
「カサンドラが誘われたのだが、経験の一環としてクレインとフェイリーを連れて行くつもりだ」
「‥‥それはまた大事業だな?」
ヘルトらしからぬ提案に少しだけ首を傾げるのだが、すぐにああ、と納得した。
「確かに、それならあちらもハチャメチャなことは出来ないだろうな。」
子供の目というのは、正直で邪気がない。
余計な詮索も装飾も抜きにして、本質だけを見抜くことが出来るのは大人には決してできないことである。
「ああ、もし余計な真似をしたら叩き潰すまで。」
「おー怖い怖い…むしろそれを狙ってるわけじゃあるまいな」
「そうなれば手っ取り早いところだが、弟妹を危険な目には合わせたくはない。そこで、ノエルに護衛を頼みたいんだ。」
「それは構わないけど‥当人のカサンドラは?」
「俺とユリウス卿が護衛に就く」
あまりに豪華なキャスティングに思わず口笛をふく。
「それはまた…徹底しているというかなんというか。…面白そうじゃないか」
「ああ、家同士の問題に発展する前にどうにか決着をつけたい。…一応父上の承認済みだ」
「ふうん、なるほどねえ。いいよ、ほかならぬ超お得意様直々の頼みだからな。」
「それを聞いて安心した」
ノエルが快諾すると、ヘルトは席を立つ。
「時間や持ち物や詳細は追って連絡する」
「ああ、おつかれ」
「あ、そうだ。ノエル」
「ん?」
「預かりものだ」
すっと差し出されたのは、拙い字で|『ノエルへ、フェイリーより』と書かれた可愛らしい封筒だった。
「おや、これはラブレターかな?」
ふっとノエルに笑みがほころぶと、その様子をみてヘルトも微笑んだ。
「さあ?どうせなら、返事は自分で届けてやるといい。…邸の者たちにもそう伝えておく」
「はいはい。可愛いレディーのお誘いは断れないからなあ」
かららん、と入り口のベルが鳴りやむ頃、奥からそうっとラヴィが姿を現した。
「別に隠れる必要はないんじゃないのか?」
「…いや、ヘルト君は、ヘンな所に鋭いというか‥少し苦手なんだ」
「…そうか?でも、まあ…あいつも、ちょっと違うよな」
「?なんのこと??」
「いや、何でもない。…多分‥ …」
聞こえるか聞こえないかの呟きだったので、その先をラヴィが聞くことはなかった。
**
「どうか、全ての者たちに女神の祝福を…」
女神神殿では、朝の祈りが行われていた。
神殿に属する数百という聖職者たちの先導をしながら巫女ヴィヴィアンは女神への祈りを捧げる朝の恒例行事のひとつである。
(‥?あれ…何か、おかしい、ような)
恐らく、本人にしか分からない程度の変化ではあるが、ヴィヴィアンは自身の祈りに何か違和感を覚えた。その正体は分からないが、いつもと何かが違うのだ。
そんなことを置き去りにして、儀式は滞りなく終了し、神殿内に努めていた聖職者たちはそれぞれの持ち場に戻り、ほうぼうに散っていく。
一人、祭壇に立ち尽くしたヴィヴィアンは、目の前にたちはだかる大きさの4枚の翼と白銀の剣を持つ女神象を見上げた。
女神アロンダイトはハルベルンにおいては豊穣と恵の女神といわれているが、元は月の守護を持つ剣と戦いの女神だと言われている。
祭壇には銀色の天秤が置かれており、その秤と剣を用いて正義と悪を測る。
目に見えぬものに振り回されることのないようにとの戒めを込め、瞳は布で覆われ、悪と認められた者にはその剣を容赦なく振り下ろすという。
まるで全てを見下ろすような冷たいその表情に、なぜか恐怖を覚えてしまう。
(…何?何か変だわ。…この女神象ってこんな恐ろしいものだったっけ?)
「ヴィヴィアン!」
「?!」
びくりと、振り返ると、レアルド皇太子が心配そうにこちらを見ていた。その瞳は心なしか澄んでおり以前街で出会った人物とはまるで別人のように思えた。
「…あ、レアルド、様」
「大丈夫か?顔が真っ青だ」
心なしか震えているように見えるその手をぎゅっと握った。
「…!」
「あ、ご、ごめん。非礼を詫びる。…とりあえず、ここを出よう?ここは少し寒いのかもしれない」
「は、はい……」
なんとなく、以前の病んだ姿を思い浮かべ、どうしても警戒感はぬぐえなかった。
そんなヴィヴィアンの様子を察してか、少しだけ距離を保って接してくれるレアルドの姿に少し驚いた。
(‥?何かあったの?様子がまるで別人…)
「…そんな顔をしないで。私はどうも君を大分困らせていたみたいだ」
「‥…いえ」
神殿の外に出ると、眩しく熱い日差しがヴィヴィアンを照らしだす。
思わず目を細めると、すうっと深呼吸をした。
改めて、太陽の下でこちらを見つめるレアルドの姿を見て、目を見張る。
「…どうして、そんな吹っ切れたような表情をしているんですか?」
「そう見えるかな?…そう見えるなら、私はすこし自分に自信をもっていいかもしれないな」
そう言うと、彼は優しく‥それでいて、どこかばつが悪そうに微笑んだ。
「‥自信、ですか?」
「ああ。‥私は私以外何者にもない‥それに気が付いただけだ」
すっきりと笑うレアルドをみて、ヴィヴィアンの心はざわついた。
(どうして?今まであたししか見ていなくて…、あたしが全てみたいなことを言っていたのに)
「ああ、すまない。引き留めてしまった。‥私も執務に戻らないと。‥じゃあ、また」
あまりにもあっさりといなくなる彼の姿を見て、ヴィヴィアンは呆然と立ち尽くした。
嫌が応にも、先日見たもう一人のヴィヴィアンの言葉が脳裏をよぎる。
『ほら、見て。このゲームを動かしているのは私よ。あなたではないじゃない。』
『あなたは物語を彩る【登場人物】の一人にすぎない。主人公じゃないの』
(‥あたしは、あの女に動かされている、キャラクタ―‥脇役ってこと?)
脇役は、役割を終えたら消える運命だというのは、どの物語でも、ゲームでも‥変わらないということを結奈は知っている。
自分の存在意義が突然揺らぎ始め、結奈は突如すべてが恐ろしく感じてしまう。
「おやおや、つまらないですね。…思ったよりも弱々しい」
「!‥あんたは」
何もないところから現れたのは、片眼鏡の紳士だった。
ファルケンは薄く微笑み、すっと指をたてるとある一定の方向を示した。
その先に立っていたのは、以前のレアルドと同じような病んだ瞳をしたレイヴン・クロムの姿だった。
「!!」
「ヴィヴィアン、どうかした?」
(同じ‥だ。変わる前のレアルドと…)
異常な状態のはずなのに、それが自分を想い煩うものだと思うと、心なしか安堵してしまう。
そんな自分をどこか忌々しく感じた。
「な‥何でもない、レイヴン様‥」
「今日は貴方に花束を持ってきた。…受け取ってくれるかい?」
背筋を冷や汗が流れる。
恐怖と同時に、言いようもない気持ちの高揚感を抑えらない。
自分の内側から何かが壊れていくような気配を感じながら【結奈】は微笑んだ。
「嬉しい‥ありがとう」
狂気を含んだ笑顔を見つめて、レイヴンもまた満足げに微笑んだ。




