悪夢
(ヴィ―…ヴィヴィアン・ブラウナー)
彼女は、齢16歳で、聖女の奇跡を起こしたという。
瀕死だと言われていた一人のけが人を、その清らかな力で傷一つなく完治させたらしい。
ハルベルンにおいて、西部の方は中央部から比べると貧しく、人々の生活も、王宮を置く首都・アンリと比べ物にならないくらい困窮している。
ヴィヴィアンはその力を持って、病院には行けない困窮した民を癒し、傷を治した。
そして、女神の声を聴き、いくつかの予言をして、災害からも救ったという。
その情報がアンリにまで及び、彼女は女神神殿に招かれた。
レアルドが彼女と初めて出会った時、感じたのは『憐れみ』だった。
この年齢で巫女だ、聖女だともてはやされ、彼女はこれからどうやって生きていくのだろうか?
その程度の認識だったはずが、いつの間にか心は捕えられていく。
自分の意思など関係なく、ただ盲目的にヴィヴィアンだけを求めるようになったのはいつだろう?
『ヴィヴィアン、彼女さえいれば、他には何もいらない。たとえ何もかも失っても君さえいればそれだけで。彼女を傷つけるものは全てこの手で握りつぶしてやる』
そんな風に考えるようになったのは、いつ頃からなのか、…もう本当に覚えていない。
彼女の近くにいればいるほど、理性を失うようになってゆき、気が付いた時には、何も感じなくなっていたのだ。
ギルド・シュヴァルの一角で、レアルドはそんなことを考えながら、瞳を閉じていた。
そんな様子を心配して、ノエルが声をかける。
「…無理しない方がいい。…それにしても、随分と衰弱しているように見えるが、大丈夫か?やはり、一度医者に診てもらった方が」
その言葉にレアルドは静かに頭を振る。
「…何度も見てもらった。でも、どこにも異常はない、ストレスによる食欲不振が続いているだろう、そう言われているが…体重も減る一方だし、最近は夜もろくに眠れないんだ」
「だから、無理な飲酒は控えた方がいいと…」
「小言はいい、ルイス。…申し訳ない。あなた方にも迷惑をかけた。」
なんとなくラヴィとノエルは顔を見合わせた。
「レアルド皇太子。…オレはこう見えて、ヒトとは違う【目】を持っている。」
「人とは違う目?」
レアルドは軽く首を傾げてノエルを見た。
「何度か見かけたが、あなたの目は、ここ半年くらいでどんどん光を失っているように見える。…呪いでもかけられているんじゃないか?」
「‥‥呪い」
「ぶ、無礼な!殿下に対して」
怒るルイスを諫めて、レアルドは静かに呟いた。
「…呪いとは、どういう類のものだと思う?」
「オレはそう言う話は専門外だから、なんとも言えない。ただ…聖騎士レイヴンも似たような症状のように思える。‥失礼を承知で言わせてもらうが、お二人がご執心のあの巫女様。…本当に【聖女】なのかい?」
「の、ノエル…」
「オレにはとてもそうは思えない。…彼女は清らかさとかそう言うものとは無縁のように見える」
ノエルの思いがけない見解に、ルイスとラヴィは驚いたのだが、等のレアルドは特に驚く様子もなく、淡々と聞いているようだ。
「‥‥頭の中にずっと声が響いているんだ」
「…声?」
「ああ。———ヴィヴィアンを愛するべきだ、手に入れるべきだ。彼女以外は何も望むな、彼女を愛することだけを考えろ、と」
「‥…それはいつから?」
「分からない…気が付いた時には、もう彼女なしでは生きていられない程になった。善悪の分別も、判断力も…まるで彼女を中心に考えてしまうんだ」
レアルドはそう言いながら、ラヴィの方を見つめた。
「けれども、ラヴィ殿‥貴方に出会ってから、少し考えるようになった。‥今まで何の疑問も持っていなかったことに。」
「え?ぼ、僕は何もしてませんけど」
「言ってくれただろう、考えることやめるな、放棄するなと」
――― 君は考える必要があるよ、考えることを休むのはいいけど、放棄してはだめだ。
仮面舞踏会の時のやり取りをラヴィは思い出す。
(そう言えば、そんなことを言ったような、そうでもないような)
「‥僕にとっては、あなたの言葉は本当に救いだったんだ。嘗て、兄がよく口にしていた言葉だったから」
「……」
何も言えず、黙りこむラヴィの姿を見て、レアルドは少し苦笑する。
(―――そして‥『彼女』がやってきたことによって、頭の中にかかっていた霧のようなものがさぁっと晴れていくのを感じた。まるで、悪夢から目覚めるように)
「‥街でカサンドラ・グランシアにそう言われて、気が付いた。」
「「カサンドラ?」」
ここにきて、思わぬ名前が飛び出たことで、つい二人の声が重なった。
それぞれこの場にいない彼女に思いを馳せた。
(まーた、何か面白そうなことをやってのけたのか、サンドラ)とノエル。
(これは‥もしかしなくても、どういう状況かわからないけど、シークレットフラグの条件を一つ破壊したんじゃ…)と、ラヴィ。
「?‥まあとにかく、まるで顔色が悪い、死人のようだと…誰かに言われるまで、本当に自分でも気が付かなかったんだ。…ヴィヴィアンに自分がどういう風に接していたのかも」
「レ、レアルド様…」
「ルイスも気が付いているだろう。…僕は明らかにどこかおかしい。でも、そんなことを教えてくれる人間は、王宮には誰一人いないんだ」
哀し気に呟くレアルドを、ラヴィはいたたまれない気持ちで見つめた。
「…僕が、亡くなったお兄さんに似ているから、だから何度も助けて、と言っていたのか?」
ラヴィの問に、笑顔で肯定した。
「僕が正気なうちに、誰かに聞いてもらいたいだけだったかもしれないけれど、ね」
そう言って、彼は王宮へと戻っていった。
「ヒューベルトについて、もっと突っ込んで聴いても良かったんじゃないのか?ラヴィ」
「‥いいや、聞けないよ。…直接彼に聞くなんて、できない」
彼の表情から強い懺悔が窺える。
きっと、真実はどうであれ、彼はそれを自身の十字架のように抱えて生きていくつもりなのだろう。それを彼の口から引き出すのは、ラヴィにはとてもできなかった。
「‥僕は間違っているのかな」
「‥‥全部が正しい道なんて、誰にもわかりっこないだろう。分からないながらも、進んでいくものだ」
ノエルはそう言うと、ラヴィの肩をぽん、と叩いた。
「‥依頼はどうする?継続するか?」
「…いいや、お願いしてもいいかい?」
「分かった」
去っていく後姿を、ラヴィはどこか祈るような気持ちで見送った。
(ヴィヴィアンに関しては…これをきっかけにして目が覚めればいいだろうけど)
**
ザザッ…ザザッ…———
ノイズが響く世界で崎本結奈が気が付いた場所…そこは見覚えのある部屋の中だった。
大きなテレビ画面に、『ヘヴンス・ゲート』のパッケージと、それにコントローラ。
(ここ、まさか‥向こうの世界でのあたしの部屋?)
「ヴィヴィアン・ブラウナー。西の聖女、女神の代行者、巫女姫…色々な呼び方があるけれど、ちょっとわがままで自分勝手な、思い込みの強い女の子」
ソファーには、茶色の長い髪に、夜空のような青い瞳の少女が座っていた。
「ヒロインはそう言う、設定」
花のような笑顔でそう言うと、持っていたコントローラで次々と選択肢を選んでいく。
その少女の様子を、まるで傍観者のように結奈はじっと見つめていた。
「‥あなたは何をしているの?」
「…見てわからない?【登場人物】達を動かしているの。…誰が傷つこうが、消滅しようが、所詮はゲーム。彼ら達は【プレイヤー】である私には逆らえないのよ」
少女の言葉に結奈はゾッとした。
なんて、身勝手で、傲慢な‥かつて自分が言ったのと同じ言葉。
「‥でも、それが現実世界だったら‥そうもいかないじゃない」
「あら、よりにもよって、あなたがゲームと現実を混同するの?…あんなにも人の心を弄んで悦に浸っていたあなたが?」
「‥‥」
目の前の少女の言葉を否定できず、結奈は後ずさる。
「それともなあに?今更、カサンドラの言葉を聞いて、心を入れ替えでもした?」
「‥‥あんた、なんなの?」
「私はヴィヴィアン。この世界は私を中心に動いている。…知ってるでしょう?」
「何で?違う!ヴィヴィアンはあたし…」
「本当に?」
「…え?」
少女はくるりと画面に向き直ると、コントローラを持ちながら、テレビ画面を見た。
「ほら、見て。このゲームを動かしているのは私よ。あなたではないじゃない。」
「どういう、こと?」
「ヒロインはあなたなんかじゃない。…この私」
結奈はどきりとした。
「‥嘘」
「‥ほんとは気づいていたんじゃないの?あなたは物語を彩る【登場人物】の一人にすぎないって。主人公じゃないって。」
本当は心のどこかで思っていたことが、重くのしかかる。
結奈は言葉も出ず、その場に茫然と立ち尽くした。
「ち、違う‥」
「…もう少しで、フラグは全部壊れるでしょう。そしたら、‥あなたはどうなるのかしら?」
くすくすと笑いながらじりじりと距離を詰める少女に、言いようのない恐ろしさを感じた。
「い、嫌‥来ないで」
「あの子ならきっとやってくれるわ。あなたは最後の時間まで…思う存分、楽しんで。ね?」
「!!!」
少女は結奈の身体を押すと、天使のように笑った。
「じゃあね…赤い瞳のヴィヴィアン」
**
うめき声とも、喘ぎ声ともならないような声で、目が覚めた。
「…はあ、はあ、…ゆ め?」
結奈はゆっくりと息を整えながら、重たい身体を起こした。
(あれが夢?あんなに現実味があったのに?)
コップに一杯の水を灌ぐと、一気に飲み干した。
鏡を見ると、疲れた表情のヴィヴィアンの顔が映っていた。
「ひどい顔…」
(聖女、ヴィヴィアン・ブラウナ―。この世界の中心で、ヒロイン…)
鏡に映っているのは、ヴィヴィアン。じゃあ、私は?
「私は崎本結奈で…ヴィヴィアンじゃないのよ?」
皆が見ているのは、ゲームのヒロイン、ヴィヴィアンであって、結奈ではない。
誰も、【結奈】の名前で呼ぶ人物はいない。
それが突然恐ろしく感じた。
「‥誰か、私を見つけて…私を見て。私はここにいるのよ…!」




