深淵を覗くとき、深淵もまた④
「いらっしゃいませ!」
夜も深まった頃、【ギルド・シュヴァル】はカフェサロンから、情報と酒を提供するバースタイルに変わっていた。
うまい酒に美味しい情報。‥そして、たまに顔を出すマスターのノエル・シュヴァルは、巷でも評判で、彼目当てに来る女性客も多い。
そんなバーに、本日見目麗しい新人がやってきた。
ちらちらとむけられる色を含んだ視線に、青い顔をしながらラヴィは対応していた。
「ご、ご注文は」
「そうねえ、ここはやっぱり‥あ・な・たがいいわぁ」
「‥‥…」
さぁっと青くなるラヴィだが、愛想笑いで誤魔化してフェイドアウトをする、を繰り返した。
ツン、と指先で触って来るならまだしも、たまにガシッと手を掴んでくる客もいるのでそのたびに四苦八苦しながら対応していた。
「はいはい、お姉さん。こいつはまだ世間慣れしていないチェリ・ーボーイだから、まあ勘弁してあげてよ」
「!!」
「あらあ、ならそろそろ収穫時じゃなあい?」
「うーん、収穫するにはまだ早すぎるかなあ?あっはっは」
屈辱ともいえるやり取りに、ラヴィは顔を赤くして唇をかみしめる。
今日ほどカサンドラが恋しいと思ったことはないだろう。気分を良くさせながら客に応対するノエルは、手で「向こうへ逃げろ」、のサインを送ってくれたので、そそくさとその場所から逃げ出した。
すると、一番奥にある片隅のスペースに、明らかに酒に呑まれぐったりしているマント姿の客を発見した。周りを目つきの鋭い男たちがいるので、誰も近づけないようだ。…もしかしたら護衛だろうか?
(うーん、大丈夫かなあ?)
ラヴィはそっと近づいてみるが、やはり目つきの鋭い男たちに睨まれるのでなんともいたたまれない。
「す、すみません。お水、持ってきたので」
「!!!!」
すると臥せっていた男は突然顔をあげてラヴィの腕をがっちりとつかんできた、
「?!」
びくり、と全身をこわばらわせるのだが、離す気配はない。周りの護衛も主人(?)の様子が明らかに違うのに気が付き、戸惑っているようだ。
「…あ、あなたは」
「え?君は…」
この縋るような朱色の目と、必死な表情の青年には見覚えがある。
仮面舞踏会の時にも遭遇した、レアルド皇太子だった。ラヴィは驚きのあまり言葉を失ってしまう。
「‥ここで、働いているのか」
「え、いや あの手伝いというかなんというか…」
「……お酒を、ついでいただけませんか」
ぎゅっと掴む手に力がこもる。振りほどくわけにもいかないので、ラヴィは観念して、護衛が空けてくれた隣の席に座ることにした。
「は、はあ…、僕でよければ」
「‥‥…」
レアルドはこくり、と頷くと無言でグラスを差し出した。
ただ、もう相当酔っている様子なので、酒ではなく持っていた水を注いであげた。それに気が付く様子もなく、グイ、とそれを飲み干した。
「あなたは、普段、どこで何をしているんだ?」
「え?えーと…ふ、普通ですけど」
「そうか、…ならば私と立場を交換しないか?」
少し自嘲気味に笑ったその顔に、周りがぎょっとなる。
「え」
「なんてな…そう言うわけにはいかないだろう。‥‥わかっているさ」
「…あの、どう、されたんでしょうか?何か、つらいことでも?」
ラヴィが尋ねると、レアルドはのろのろと顔をあげた。
そして、ラヴィの顔を見るなり、ボロボロと涙をこぼし始めた。
さすがにこれにはラヴィをはじめ、護衛兵たちも慌てふためき、面白い位に動揺しているようだった。
「…助けてくれ、ヒュー兄さま…!」
(‥またか。また、彼は僕のことをヒュー兄さまと呼ぶ…なぜだ?)
レアルドが兄と呼ぶということは、きっと、極めて不審な事故で亡くなったという、ヒューベルト・ルベリアム・アスク・ハルベルンのことだろう。
「そんなに‥彼と似ているのですか?」
思ったよりも低い声になってしまったが、ラヴィが尋ねるとレアルドはびくっと肩をすくめ、身を縮こませる。
「僕は…僕‥は」
「?!大丈夫か?」
突如ゼイゼイ、と呼吸が荒くなり、苦しそうに息を何度も吸ったり吐いたり、辛そうにしている。異常を察したノエルがやってくると、そのまま背中を撫でる。
「落ち着け、腹に力を入れてゆっくりと息を吐きだせ!‥大丈夫だから」
「‥ッはあ‥はぁ‥」
「一度裏に運ぼう。‥休憩室もあるから」
一応要人でもあるので、マントで顔を隠すと、ラヴィとノエル二人がかりで運ぶ。思った以上に軽く、頬もげっそりとこけており、明らかに様子がおかしい。複数人いた護衛の内の一人がそれを支えた。
「すみません…!私は彼の従者です。付き添わせてください!!」
「わかった、彼には持病とかそういうのはあるのか?なんなら医者を」
「‥いいえ。事を大きくしたくはありません。恐らく少し休めば大丈夫なはずなので…」
「…了解した。」
*
「だいぶ落ち着いたみたいだな。…彼は酒もだいぶ飲んでいたようだし、少し眠らせておく方がいいだろう」
レアルドが休憩室に運ばれてから、ほどなくして呼吸も落ち着きを取り戻した。顔色もだいぶましになっているようで、今は安らかな寝息が聞こえてくる。
従者だという青年が安堵の息を漏らした。
「…ありがとうございました。あ‥すみません、名乗り遅れてしまいました、私はレアルド王子の従者のルイスと申します」
「ああ、オレはノエル。で、こっちがラヴィだ」
ノエルはそう言うと、ラヴィとルイスと二人にコーヒーを渡し、自分もソファーに寛いだ。
ベッドの側の椅子に腰かけてていたラヴィも、ノエルに続いてぺこりと頭を下げる。すると、ルイスは何か奇妙な表情をして、じっとラヴィの顔を凝視した。
(視線が痛い…)
「‥…あの、僕の顔に何か、ついてます?」
「あ?!えっと、いや すみません!ら、ラヴィさん‥ですね、ありがとうございました」
ルイスはそう言って丁寧にお辞儀をするのだが、やはり穴が開くほどこちらを見てくるので、ラヴィはたまらない。そんな二人の微妙な空気を察知し、ノエルは堪えられずに口に出した。
「ルイスさん、このラヴィはそんなにも今は亡きヒューベルト殿下に似ているのかい?」
「!!!」
「ノ、ノエル…失礼だよ」
「失礼はそちらだろう。‥嫌な言い方だが、死んだ人間に似ていると言われ続けるこいつの身にもなってみたらいい。いい気分はしないだろう?」
「ノエル‥‥」
ノエルの優しい気遣いに、ラヴィはうっかり泣きそうになった。
ルイスは思わぬ言葉に、慌てて詫びを述べた。
「…重ね重ね、申し訳ありませんっ。…その、本当によく似ていらっしゃるので‥あの、勿論、年齢だって違いますし‥そもそも生きていらっしゃる筈はありませんので。その、瞳の色も違いますし」
瞳の色、と聞き、ラヴィはうつむいた。
(‥アードラにも、カサンドラにも言われた。…瞳の色が赤い、ヴィヴィアンと同じだ、と)
「‥‥ヒューベルト‥殿下は、事故で亡くなったとか…」
「そ、それは」
「‥事故じゃない。あれは僕のせいだ」
「!!」
懺悔とも悔恨とも思える低い声が聞こえ、全員の視線がレアルドに集中する。
「…殿下!まだ、眠っていた方が」
「いいや‥‥二人には迷惑をかけてしまったようで‥うっ」
ベッドから立ち上がろうとするが、まだ体調が万全ではないらしく。再びベッドに倒れ込んでしまった。ルイスの手を借りようやく起き上がらせると。ノエルは持ってきた水を差しだした。
「だいぶ飲んだんだろう?‥体調もよくないようだし、そのまま休んでる方がいい」
「‥‥あ、ああ。ありがとう」
レアルドは水を一口飲むと、ふっと短く息を吐きだした。
「あなたは本当に、兄上によく似ている」
「‥‥」
「申し訳ない、先ほどノエル殿にも言われていたが、どうしても…亡き兄上と重ねてみてしまうんだ」
ラヴィは押し黙る。
そして、かつてカサンドラとアードラが言っていたことを思い出し、目を閉じだ。
(もしかして…僕の元となった人間というのは‥ヒューベルトなのだろうか?)
ならば、自分を作ったのは一体何者なんだろうか?
名前をくれた人間と関係があるのだろうか?
次から次へと浮かんでくる疑問に、ラヴィは頭が痛くなりそうだった。
(それに、かつて生きていた人間をどうしてわざわざ再び蘇らせるようなことをしたんだ?外見の造りはそうであっても、中身は全くの別人な筈だ。‥僕の記憶は名前をもらったところから始まっているのに)
それを考えると、この世界自体が何かおかしい。
おかしいとわかっているのに、どうして今まで疑問を持たなかったのだろう?
それに気が付くと同時に、ラヴィは一つ恐ろしい可能性に気が付いた。
「大丈夫か?ラヴィ」
「‥え、ああ、うん。ありがとうノエル君」
ヒューベルト・アスク・ルベリアムという人間は、本当に死んだのだろうか?
もし、カサンドラ‥橋本真梨香のように、この身体が入れ物として使われているんだとしたら。彼はどこに行ったのだろう?カサンドラのように、消えてしまったのか。
(かつて、真梨香に出会ったばかりの時、彼女に何と言った?‥代替人生。そう言わなかったか?)
まるでパズルにピースを嵌めるように、つぎはぎだらけのこの世界は、いったい何なんだろう。
そう考えたとき、頭のずっとずっと奥の方で、誰かの声が聞こえた。
ー――― 今はまだ、その時じゃない。深淵を覗く覚悟がないのなら、見ない方が君の為だ
まるで強烈なノイズのような音が頭の中で鳴り響いた。猛烈な吐き気と、激しい頭痛が襲い掛かり、立っていられない程だった。
「…うっ」
「?!どうした」
「い、いいや、何でもない‥から。なんだろ、知恵熱…かも」
(だめだ、これ以上はまだ‥!)
倒れそうなのをぐっとこらえ、椅子に座りこんで大きく息を吐く。
もしかして、アードラが言っていたのはこのことなのだろうか。
(僕は確かに誰かによって作られた存在ということか。…その理由がは分かるまで、彼女の側にいるわけにはいかないかもしれない)
**
夜の闇が大分深まった時分のこと。
カサンドラは、窓辺に腰かけながら、今日もらったばかりの懐中時計を眺めていた。
この時間になっても、アードラもラヴィも帰ってこなかった。
(まあ、たまには一人でいるのもありよね。)
こうして一人で過ごしている時間というのは、随分と久しぶりのような気がする。
いつも、誰かしら傍に居たり、近くに居たりするので、寂しくはない。けれども、一人の時間というのはやはり重要だと思う。
とはいえ、少し寂しい気もする。
「真梨香の時は一人でいるのが当たり前だったからなあ…」
窓から身を乗り出すと、ぬるい風が通り、頬を撫でる。
「‥みんな何、してるんだろ」
今日はいつもより早くに床に就いた。




