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深淵を覗くとき、深淵もまた③


月が雲に隠れてしまうと、辺りは真の暗闇に包まれていた。

ユリウスが窓から飛び出していったあと、アードラはデスクの上の写真を見つめていた。


(これが…フォスターチ家の家族写真?)


幸せそうに微笑む女性と、四人の子供たち。そしてそれを守るように立つ父親の姿…幸せな瞬間が全て詰まったその一枚の向こうで笑う姿は皆嬉しそうだ。

そして、ユリウスがいとおしむようにそっと指でなぞった‥兄と呼んでいた少年の姿。


(‥ユリウスの隣にいるこの少年が兄だと?)


写真の中で柔らかく微笑む少年は、年齢は違うようだが、瞳、髪の色ともに、気持ちが悪い程自分に酷似している。


(似ているなんてもんじゃない。これは、僕だろう。‥それでこっちの老人が)


割れた窓ガラスの向こうに立つユリウスとファルケンを見ながら、ため息をついた。

片眼鏡の紳士とユリウス、二人の会話は、猫の姿をしていた特性のお陰だろう。離れたアードラにも聞こえていた。


(盗み聞くというのは正直、不本意だが…)


「前にカサンドラが言っていた…僕の原型となった人間…それが、リオン・フォスターチ‥ということならば、あの二人と【リオン】は関係者同士となる」


(これはどういうことなのだろうか?)


あのファルケンという老人の話を聞く限りでは、彼はファルケンそのものの記憶も所持しているようだが、アードラにはそんな記憶などこれっぽちもありはしない。

だからこのリオンと呼ばれた写真の中の少年は自分ではないことが確かだろう。


つまり、カサンドラ同様、自分たちも()()()の一部ということになるのかもしれないのだ。


(死んだ人間達を元に新しい人物を作り出し、この世界を管理しろ、なんて…どうかしている)


カサンドラにとってのヘルトのように、アードラにとってユリウスであるように、世界を変える引金(トリガー)を持つ登場人物の身内として登場させるなどと‥すべて偶然なんてことはあり得ないだろう、と思う。


(なら、ラヴィの役割は一体何なんだろう?僕ですらモデルがいるのだから、ラヴィにもきっといる筈だろう)


アードラは一度深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


「ひとまず、落ち着け。ここで一人で考えても答えなど出る筈もない…。今はあの二人の会話に集中するとしよう」






夜の風はねっとりと蒸し暑く、澱んだ空気が肌にまとわりつくようだ。

不快なのは空気のせいだけではないのだろう。

ユリウスはなるべく平静を保ちながら、大きく深呼吸をした。


「…曾祖父殿。死んだはずの人間がなぜここに存在しているんだ?」

「あまり驚かないところを見ると、やはり気づいていたのか?ユリウス。」

「‥‥確信はなかった。ただ、今日この植物園に来て気が付いた」


復活祭で初めて遭遇した時、どこか見覚えがあるような気がしていたのだ。

ただ、『見たことある』程度の認識だったのは言うまでもない。


(本当に‥誰が冥界から呼び戻したんだ?)


曾祖父が亡くなってもう15年になるというのに、信じられないことではあるが、まるで生きているかのように目の前にいる。

フォスターチ家にとってファルケン・ビショップという人物は、【毒公爵家】としての名声をあげ、畏怖の対象になるまで国に貢献した偉大な存在である。


幻影であればいいのだが‥あの写真よりも大分若く見えるので、もしかしたら既に魔物とかそう言う種類の存在なのかもしれない。


「…‥仮面舞踏会で興奮剤を使ったのは貴方か?」

「楽しいイベントには、少し位のハプニングがつきものだろう?それに、そのお陰でこうして私と再会できたんだ。結果としては満足かな」

「‥まさか、わざわざ私に自分の正体を気づかせるために仕組んだと?」


興奮剤の薬の出所を調べていけば、必ずこの植物園に行きつく。

‥つまりは、わざと自分の正体を知らしめるために用意したということだろうか?


(なぜだ?隠れて行動すればいいものを)


【影の獣】が現れたのは復活祭、仮面舞踏家、そして今…と、彼の痕跡が確認されたのはこれで三回目になる。

結果として、全ての出来事にこのファルケンの影が結びついていたという証明になった。


「———あなたの目的はなんだ?なぜ、自らの存在を誇示するかのように行動しているんだ?」


すると、ファンケルはこれ見よがしにため息交じりに告げた。


「…フム、何でも人に聞けばいいという考えは捨てるべきではないか?たまには自分で調べてみてはどうだろうか?」


ユリウスは一瞬言葉を失う。

(…このくそジジイ。何様だ。)

ふつふつと怒りが込みあがるが、あえて飲み込む。


「‥…事前情報の提示位は協力してくれてもいいでしょう。既に死んだ人間が生き返るというだけでも非常識極まりない出来事なのだから」

「まあ、しょうがないな‥そうだな、可愛いひ孫に免じて三つまでなら答えてあげようか」

「三つ?!」


(これは恐らく取引に近い。…見方を変えれば、どんな質問でも三つは答える余地があるということ)


聴きたいことなど山ほどあるうちの三つとなると、質問の内容を考える必要がありそうだ。


「…質問には必ず答えてくれるのでしょうね?」

「私にも答えられるものとそうでもないのもあるということは理解してほしい。‥それより、姿は見せてくれないのかな?せっかくのなんだから、感動の再会と行こうじゃないか。」


(冗談じゃない…なんでこいつのペースに合わせないとならない)


だが、しかし。

現実問題この化け物や魔物の類であろう目の前の人物の対処法など、そう簡単に思いつくはずもない。

ここは出来得る限り譲歩して、情報を集める方がいいのかもしれない。


しかし、先ほど【影】で散々人を襲わせておいたくせにどの口が、という思いも強いので、そのまま木の影で黙って息をひそめることにした。


「‥…ならば、まず一つ目。【影】が出現した一連の出来事は、全て貴方の独断で行ったものなのか?」


「ふむ。独断‥というのは少し違うかな?

私は与えられた権限の中で好きなように行動しているに過ぎない。‥つまりはそういうことだ」

「与えられた権限…つまりは誰かの元にいるということだな。」

「それは、取引上誰かに話すことは禁じられている。察してくれたまえ」


うまくかわされはしたものの、否定はしないところを見ると、やはり誰かが故意にこの曽祖父を地獄から呼び戻したということになる。


(随分と悪趣味な主人だな‥)


「では、次。‥カサンドラ様がその出来事に関わっているのは、偶然か?三回の影の出現の内、二回は彼女が直接襲われている。これは偶然とは思えない。」


仮面舞踏会の事件の後、ユリウスはカサンドラに詳細を聞くことが出来た。

ところどころ言いにくそうにはしている様子だったが、影の存在については確認が取れていた。しかも彼女を襲ってきたというのだから、無視はできないだろう。


ユリウスの問を答えるまでにややしばらく間があいた。


「‥そうだな。彼女を必要とするものとそうでない二つの相反する存在がいる。‥とまでにとどめておこうか」

「相反する存在だと‥?」

「私が仕えている主は、カサンドラ公女をこの世界には不要、と考えている。私はそれに従っているまでのこと」

「‥‥つまりは、あなたの主という他にも、似たような者がもう一人いる、ということだな」


ファンケルの言葉にユリウスは顔をしかめるが、彼の言葉に嘘はなさそうだった。

いずれにせよ、彼とは相いれないもの同士だということは確かだろう。


ユリウスとしては、この二つの確認が取れたのは収穫だった。しかし、最後に一つだけ、絶対に確認しなくてはならないことがある。


「…では、最後。この植物園で何を作っているんだ?…紫スズランの根を使っただろう」

「ユリウス、お前の薬学の知識はいかほどか?」

「…あなたほどではないにしても、無知ではない」


ユリウスがそう言うと、ファルケンは満足げに頷いた。


「‥いい答え方だ。ならばわかるだろう。アレは幻覚を見せる…少量ならばちょっとした思い込みを強くする程度の精神調整は可能だろう。それにベラドンナ、香りを高めるスパイスを多少加えると…さあ、何ができるだろうね?」

「‥‥まさか」

「ふふ、君ほどの洞察力なら察することは出来るだろう?‥さあ、質問の時間は終わりだ。」


ファルケンはそう言うと、何かに気が付いて空を仰いだ。


「おや、これは面白い!どうやらもう一人来客が隠れているようだ」

「来客…?」

「ははは!やはり、全てシステムの下に仕組まれているということか…!」


ファルケンがパチン、と指を鳴らすと、影の中から一匹の影の獣がしゅるり、と飛び出した。

咄嗟に構えるユリウスだったが、影の獣はユリウスを無視して横を通り過ぎ、館に向かって走りだした。

すると突如、バサバサ、という翼の音が闇夜に響くと、館から一頭の鷹が姿を現した。


「!‥あれは、鷹?」


影の獣は、たちまちうねうねとした触手のような姿に変わると、今度は(アードラ)を追いかけ始めた。

ぐにゃぐにゃ曲がる触手をかわしながら空の上へと上昇していくのだが、それに合わせて影の速さも上昇していく。


『くそ、あいつ気が付きやがった』

「ふふふ、名前をもらって少しか成長したようだが、まだまだ足りないなあ!」


(アードラ)は良く動いてかわしていたものの、逆の方向から飛んできたもう一つの黒い影に空中で片翼を貫かれた。痛々しい声が虚空に響き、ばっと風切り羽根が散らばると、そのまま影によって地面に叩きつけられてしまった。


「…やめろファルケン!」


たまらず、ユリウスが木の陰から姿を現すと、同じタイミングで空を覆っていた雲が晴れる。


「!!」


隠れていた月が姿を現すと、ファルケンは何かに怯えるようにフロックコートをひるがえした。

同時に鷹を襲っていた影が消え、舞い散った羽根の中から人影が現れた。


「?!人間…?」


駆け寄ろうとしたユリウスは目を見開いてその場に立ち尽くした。

その青年の姿は、かつて、自分が慕っていた人物にあまりにもよく似ていたのだ。


アードラは自身の腕で顔を隠そうとするが、ちょうど影に貫かれた箇所だった為、激痛に顔をゆがめた。


「‥ちっ、僕が姿を現すわけにはいかないのに」

「あ‥貴方は」


二人の視線が交わる頃、既にファルケンは姿を消していた。

ファルケンがいた場所を見てアードラは苦々しげに吐き捨てる。


「あンのジジイ…このややこしい事態を引き起こした責任も取らず、逃げやがったな‥!」


こうして、ユリウスにとっては懐かしい人物との再会に、アードラにとっては出会いたくなかった人物との邂逅となってしまったのである。

ユリウスのメンタルが試されるとき。

補足:ちなみに、『来訪者』というワードは、この世界に別の世界から来た人間全てのことを差します。

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