深淵を覗くとき、深淵もまた②
しばらく主人公放置で進んでいきます。
太陽が完全に沈むと、外は足元すらおぼつかない真の暗闇になる。
ユリウスが温室の中へ入っていくのを見届け、アードラも今度は猫の姿に変えて後に続いていった。
(…魔法薬の材料なんてどこに、と思っていたが、これなら納得だな)
魔法を使用する際に使われる草花は、特殊な効用を持つものがほとんどだった。
特に使われる毒性の強い植物たちは、基本的には色鮮やかなものばかり。
形も様々だが微量な魔力を感じるものが多く、それがこの狭い温室に所狭しと並んでいるので、なんとも不気味な空間だった。
「うう~しっかし、気持ち悪いなあ‥」
足音をたてぬように進む猫の存在に、ユリウスはいまだ気が付いていないようだ。
アードラにとってはありがたいことなのだが、いかんせんこの辺りの植物は有毒なのか無毒なのかそれすら確認できないので猫の身にとっては危険極まりない。
‥‥つまり恐ろしい。
(よし、ここはもう姿を現そう)
そう決意したユリウスは思い切り、にゃあ、と叫んでみた。
「!!…驚いた。猫?」
闇の中ランプの光に照らされる木々や花々は一層不気味で、光に吸い寄せられるようにひらひらと舞い近づく蛾は、幻想的でもあり、どこか異様な光景を作り出していた。
その中心で、ユリウスは驚いた表情でこちらを見ている。
(ま、まさに幽霊でも見たかのような顔をしている…)
アードラはここは猫らしく、足もとにすり寄る作戦に出た。
「君は迷子か?しょうがないな、ついておいで」
「にゃあ」
「ここは有毒な植物ばかりだ。‥よく無事だったね」
(…やっぱりか)
アードラはこっそりため息をつくと、着かず離れずの距離を保って、ユリウスについていった。
*
この植物園には、温室から少し離れた敷地内に、研究所が併設されている。
研究所と言っても、古びた館のようなものだ。今は誰も住んでおらず、現状は全く想像できなかった。
ユリウスにとって曾祖父にあたる人物はその研究所で助手と共に様々な研究をしていたらしいが、時代と共に廃れてきている。まさに、過去の遺物と言えるだろう。
「重要なレシピやらは回収済みなはずだ。…研究所に何もないはずだが」
温室部分を抜け、外に出ると中とは比べ物にならない程爽やかな風が吹いており、思わず深呼吸をしてしまう。膝ほどまである草をかき分けながら進んでいくと、古びた館が見えてきた。
曾祖父の晩年は、ほとんどこの離れを居住スペースとして利用していたらしい。年月は感じさせるものの、外装は思ったよりも綺麗だ。
一見すると広さはそこまで大きくはないものの、二階建ての館には、外側から見る限り複数の部屋があるようだ。
万が一を懸念し、一度ランプの灯を消して窓から中の様子を窺った。
(誰もいない、か…?)
そうっと忍び足で入り口に向かう。
両開きになっている扉の突起に触れると、鍵が開いているようだ。もちろん、あり得ないことだ。
(やはり、誰かいるのかもしれない)
中に踏み込むか思いあぐねていると、開いた隙間にするりと先ほどの猫が入り込んでしまった。
「!あ、こら…はあ、全く」
放っておこうとも考えたが、もしあの猫に何かあったとしたら、それはそれで後味が悪すぎる。ユリウスは観念して、中に踏みこんだ。
扉を開いて中に入ると、ツン、とかび臭い匂いが鼻を衝く。
玄関のエントランスホールの地面に敷かれている赤い絨毯は、だいぶ色褪せてはいるようだが、想像よりも傷みを感じさせなかった。
しかし、二階に続く階段は半分落ちている状態のため、これ以上は上がれなかった。
なにかがいるとしたら一階部分になるのだろう。
幾つかの部屋の内、扉が閉じている場所は通り過ぎ、開いている扉の向こうへと進んでいく。すると、長く真っすぐ伸びた廊下に出た。
全体的に汚れていたり、壁紙がはがれている箇所が見受けられるものの、廃屋と呼ぶにはもったいない程綺麗だった。
今日は空が晴れているせいか、窓のガラスを通して月の光が差し込んでくるので、見通しは悪くなかった。少し進んだところに、先ほどの猫が奥に続く扉の前で待ち構えていて、こちらをじっと見ている。
「…帰るぞ、猫」
「にゃー」
ユリウスが声をかけると、猫はまるでその扉を開けといわんばかりに、カリカリと引っかく。
ためらいはするものの、そっとドアノブに手をかけた。
「!これは…」
そこは曾祖父が生前使っていた私室らしく、生活に必要な家具がそろっていた。
奥にある作業用のデスクも、相当量のほこりがかぶっているようだが、まだ使えそうだ。
あまり荒れた様子はなく、年月を感じさせる本棚にはいまだ大量の本が保管されていた。
本の種類を調べてみると、毒薬の基礎的な本から、過去の代から伝わっているのだろうか?手書きの図鑑などもあるようだった。
ある程度の薬学の知識を持つユリウスにとっても興味深い資料も多く、つい見入ってしまう。
(‥いくつか持って行こうか)
そんなことを考えていると、カタン、という物音にはっと我に返る。
「しまった。…目的を忘れるところだった。…おい、猫、そろそろ」
見れば、先ほどの猫はデスクに飾られている写真立てをじっと凝視しているようだ。
猫でも写真に興味あるのか、と思い、見てみると…それは生前の曾祖父も写っている家族写真のようだった。
「…そう言えば、本当に子供の頃は、今ほど兄弟同士の仲はこじれていなかったな」
ユリウスが五歳になる頃、家族全員で何度かこの館に来たことがある。
記憶の中の曾祖父は、穏やかでは決してないが、物静かな人だったと思う。まるでこの植物園の植物たちと同じように淡々としていて、いるだけで存在感があるようなそんな人だった。
まだすぐ上の兄のリオンは体調も良く、シグマとリカルドもお互いの存在を意識してはいるもののそこまで不仲でなかったはずだ。何より、まだ母の心はそれほど病んでいなかった。
そっと写真立てを手に取ってみると、思ったほど汚れていない。誰かがほこりを払った後のようだ。
「…私の前に誰かがこの写真に触ったのか?」
写真の向こうには曾祖父を中心に父と母、それに曾祖父の膝の上にぎこちなく座るユリウスと、それを微笑みながら見守る亡き兄のリオン、そして年齢相応にかっこつけている二人の兄の姿が映っていた。
本当に幸せで、大切なかけがえのない時間の全てが、この写真の中に凝縮されているようだ。
‥‥心が痛むほどに。
「‥‥リオン兄さん」
その名前を呟いた瞬間、隣にいた猫は突然全身の毛を逆立て、威嚇するようにドアの方に向かって唸った。ユリウスも同じように急に背筋が凍るような視線を感じ、壁を背に後ろを振り返る。
「…何者だ」
すると、ユリウスの声に応えるように誰もいない筈の場所から獣の唸り声が聞こえてくる。
狼とも犬とも思えるその声に、ユリウスは覚えがあった。姿勢を低くし、懐からナイフを取り出すと慌てることなく確実にその影に向かって打ち込む。
ぎゃん、という断末魔の声と共に獣は影に融けるように消えていく。
しかしそれで終わることなく、今度は別の場所から先ほどと同じ黒い狼ほどの大きさの獣が躍り出た。
「お前たちは‥カサンドラ様が言っていた【影】達だな‥!」
「ガァァアアッ!」
咆哮と共に襲い来る獣をかわしながら、急所を狙って一匹づつ確実に仕留めていく。
(一匹一匹は大したことはないが、数で来るとこちらが不利だ)
ユリウスは窓に向かって走りだすとそのままガラスごと打ち破って外に出た。
続けざま複数の影が出現するが、剣を抜いて切り捨てながら闇が深い場所に逃げ込んだ。
木の陰から周囲を確認すると、少し離れた草むらに、一人の紳士が立っているのが見えた。
「モノクル眼鏡の紳士‥復活祭の時にもいたな」
目深にシルクハットを被り、この夏の暑い日に黒いフロックコートを着用しているその姿を改めて見て、ユリウスは深く息を吐いた。
(やはり…まさか、と思ってはいたけれど)
以前、復活祭で遭遇した時、その姿にとある人物を思い浮かべていた。無論、常識的にはあり得ない存在で、いる筈のない人間。
「あなたは…この世の人間か?」
「‥さあ、この世というのはどの世界を差しているだろうな?ユリウス・フォスターチ」
「私の知っている世界では、あなたはもう既に死んだ人間のはずだ」
ユリウスは半分祈るような気持ちで、相手の返答を待つ。長い沈黙の後、突如楽しそうな笑い声が辺りに響き渡った。
「フフフ、実に面白いなあ。君は私の正体を知っているのかな?」
紳士の質問に、答えるべきか迷ったが、やめた。
「名乗りたいのなら自ら名乗ればいいだろう。」
「ふふふ、そうきたか。…やはり君は賢いな。上の二人とは違うようだ」
「‥‥フォスターチの夜会の時、シグマを唆したな?」
いくら兄弟間の仲が悪いとはいえ、シグマがあそこまで失態を犯すことは思えない。
誰かに何かを焚きつけられたに違いないと思っていたのだ。それがもし本当に目の前に人物だというのなら、ユリウスの予想は確かなものになってしまう。
「賢いお前のことだ。もう気が付いてるのだろう?そう、私の名前はファルケン・ビショップ・フォスターチ。この植物園を開拓し、毒を研究し続けた…君の曽祖父にあたるものだ」
ざあっと風が吹くと、空に浮かんでいた月は雲に隠れてしまった。
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