深淵を覗くとき、深淵もまた①
「カサンドラ・グランシア。現在17歳、誕生日は9月10日。現グランシア公爵エルヴィス・ロート・グランシアの長女で、今は亡きアレクシス・グランシアの間にできた唯一の実子」
「ふむふむ」
「幼少の頃から家にこもりがちで、あまり社交界には出ていない。無口で、あまり人と関わることのない幼少時代を過ごした。そのせいか個人的に親しくしているような同性の友人は見当たらない。
父が現公爵夫人タリアとの再婚を機に拍車がかかり、今現在親子の中は険悪である。と」
アードラと別れた後‥ノエルはカサンドラの情報を集めれる所からかき集めて収集し、報告書にまとめていた。しかし、思った以上に彼女の情報というのは少なく、意外なほどに交友関係も薄かった。
結果として、それ以上のことは調べようがなくなっていたのだ。
「それ位は誰でも調べればわかることだよね。…カシルは一体彼女の何を知りたいんだろう?」
ラヴィが首を傾げると、ノエルはふっとため息をついた。
「まあ。純粋に恋愛相談で来たというのなら、好きな食べ物とかよく行く場所とか、その程度だろうけどなあ。あとは…家族構成、交友関係…、そんなところか?」
カサンドラの結婚事と来れば、ヘルトだって黙っている筈はない。
何かしようものなら、三倍返しにされて完膚なきまで叩きのめされるのが落ち、というのが関の山だろう。ノエルはそう確信している。
「おまたせしました!ご注文の、塩キャラメルワッフルのバニラアイス添えとコーヒーお持ちしました!」
女性店員が笑顔で運んできたのは、直径21センチほどの皿を覆い隠す程の大きさのワッフルと、三段重ねのバニラアイスが載せられた、このカフェサロンの一番人気のメニューだった。
「わあ…。ウサギだとこういうものは食べられないからなあ!いただきまーす」
「‥…」
ラヴィはワクワクしながら、ワッフルにさくっとナイフを入れた。
キャラメルソースが中からトロリと流れだし、バニラアイスと一緒に口の中へ放り込む。
満足げな笑みを浮かべるその様子を、ノエルは苦笑いをしながら見つめた。
「そんな甘いもん…よく食べれるなあ」
「ノエル君も食べる?美味しいよ、これ」
ラヴィはほくほくとした笑顔で丁寧に切り分けてくれたが、丁重に断った。
「いや、甘いもの苦手だから」
「そうかい?」
残念そうに首を傾げると、綺麗に食べ終えた。
「やっぱりカシルが調べたいのは、弱みとかそう言うものの事なんだろうか?…カサンドラに弱みなんてあるのかなあ」
「しいて言うなら弟、妹になるんだろうが‥それ以外となると、本人に聞くのが一番いいだろうなあ。」
復活祭の一件より、フェイリーとクレインには前より厳しい護衛が付くようになった。
前は頻繁に会うことが出来たノエルでもおいそれと近づくこともできず、最近は滅多に会えなくなってしまった。
「…カサンドラは結構大変な人生を歩んでいるんだね」
「ま、幼少と現在が同じ人間なら、だけどな」
ノエルの思わぬ言葉にラヴィは固まってしまった。
(隠していることではないけど‥)
色々と都合というものがあるだろう。ラヴィはなるべく心を無にすることに努めた。
「‥はいはい。そこらへんは突っ込んで聞かないよ。…彼女が自らオレを信じて話してくれるその日まで、ね」
「……」
ノエルと共に行動するようになってからというもの、ラヴィは驚いてばかりだった。
分かったことは、見た目に反してノエルは真面目で、意外と一途ということ。
それと、どうやら他人に写る自分とそうでない自分をうまく使い分けることができるらしく、それが彼の処世術なのだろうということ。
‥‥そして、何よりも彼は自分の仕事に誇りを持っているということだった。
「ねえ、ノエル君。僕でも、君に依頼を頼める?」
「‥内容次第、だな」
ノエルの言葉に、ラヴィは頷いた。
「…前回の仮面舞踏会の時に、レアルド王子にヒューベルト、と間違えられたという話はしたよね?」
「ああ、そう言っていたな」
「ヒューベルト‥彼のことをもっと調べてほしいんだ。どういう容姿だったか、とか何かこう、エピソード、とか」
「‥なぜだ?調べたところでラヴィに何か関係あるのか?」
ノエルの言葉に、ラヴィはふるふると首を振った。
「‥‥ただ、知りたいんだ。‥‥その、王室のことだし、詳しくなくていい。もし危険なことがあるようならそのまま引いてもいい。」
ノエルは頷き、苦笑した。
「なんだ、随分慎重だな?」
「…あまりいい予感はしないから。」
ラヴィが頷く。
公式に事故とされているとはいえ、暗殺されたかもしれない王族の人間を調べてほしいなど、気軽に依頼していいような内容ではないことは承知しているのだ。
「一応、取引だからな。‥報酬は?」
「‥僕の秘密、全部。」
「秘密ねえ…」
ラヴィは自分自身に対して少なからず『疑問』を感じ始めている。もしかしたら、その糸口になるかもしれない、と考えたのだ。
ノエルはしばし考え、ラヴィを見返した。
「…いいよ。魔法のウサギの秘密というのも、面白そうだ。」
「ありがとう、ノエル君」
ノエルの言葉に、ほっとしたような顔で微笑む。
「さて、それにしても、戻ってこないなアードラの奴」
「そう言えばそうだね、‥何かあったんじゃなければいいけど」
「うーん、まああいつはあいつなりに理由を持って行動しているんだろうからな。…どうせ明日には合流できるし、今日はもう戻るとしようか。‥ラヴィはどうする?」
「…い、一応まだ家出中なので」
ああ、なるほど、とノエルが頷くと、今度は下から上までじーっとラヴィを見つめた。
「え?な、なに」
「じゃあ、働くか!!今はちょうどバータイムだからな」
「‥‥えぇ…」
ノエルは一体いつ休んでいるんだろう?そんなことを考えながら、ラヴィは深いため息をついた。
**
同じ刻―――
日が完全に沈みかけた頃、ユリウスはようやく西の森に到着した。
真昼でも暗く鬱蒼と茂ったその森は誰も近づかず、方向感覚を失って気が狂うだの、古代より住む魔物が潜んでいる等様々な噂が飛び交うが、実際はある一族が管理している私有地だったりする。
それがフォスターチ公爵家で、この森全体は彼らが管理する植物園となっている。
もっていたランプに火を灯すと、ユリウスは馬を引いて歩き出した。
そして、少し離れた所からアードラもまた、こっそりと後をつけながら、鷹の姿のまま森の中へと足を踏み入れた。
「うう‥こんなところに何しに来てるんだ?…やっぱり帰ろうかなあ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ランプの灯が遠ざかっていくのを見て、言いようのない不安に駆られてしまった。鷹の目ならば暗闇はさほど恐ろしく感じないものの、一人きりになるというのなら話は別である。
「仕方ないな。‥‥困ったときは姿を見せよう」
*
夜の森は静かだ。
ユリウスは足元に十分注意を払いながら前に進んでいく。
聞こえるのは、風の音と時折聞こえるフクロウの声、虫の鳴き声と‥そして、自分の足音だけだった。
「しばらく、誰かが入ったような形跡はないようだけど」
世間では良いイメージのないこの森だが、フォスターチ家の人間にとってはなじみの深い場所だ。自分たちしか知らない道導があり、夜だろうが昼だろうが、彼らが迷うことはまずない。
迷いなく進んでいくと、大きな湖に出た。日も陰ってき始めた夕暮れ時には、湖は朱色に染まる。夜が深まると、星を映してまるで星座盤のように見える。
(いつか、カサンドラ様を招待しよう)
その湖を横目に更に森奥深くに入っていくと、ガラス張りでできた六角形の建物が見えてきた。
厳重に施錠された扉を持っていた鍵で開くと、ギギギ‥と不気味な音を立てて門が開かれ、さらに奥へと進んでいく。
いくつかの門を抜け、3つ目の扉の中まで進むと、高濃度の湿気が含まれた熱風が襲ってきた。馬を少し離れた場所に休ませ、ジャケットを脱いで中に踏み入れる。
「ここに来るのは‥何年ぶりだろうか?」
ここは、フォスターチ家の管理している温室で、有毒の植物から毒性のない植物まで育てられている。ただ、最近は毒の需要も廃れている上に、誰もまともに研究しようとする者もいないので、今の温室の現状を知るものは誰もいない…はずだった。
しかし、良く調べてみると建物の中に真新しい靴底の後が残っていたり、その他にも何種類かの植物に真新しく刈り取られた鋏の後も残っているようだ。
しかも、荒れている筈の庭は少なからず整備されているように見える。
「‥どういうことだ?」
温室の中は相当な高湿度で、立っているだけで汗が流れてくる。額の汗をぬぐいながら更に歩いていくと、嗅ぎなれた強い芳香が鼻をつく。
日の当たらない場所に大量に咲く紫色のスズラン。
これはこの環境下でのみ育つ、特殊な品種改良をされた猛毒の植物だ。香りが強く、主に幻覚作用をもたらす…いわば麻薬の一種と言えるだろう。
用途は様々で、病を治す薬の元にもなるが、同時に人に害を及ぼすような調合をすれば途端に強力な毒にも成り得る。薬学について無知であれば自らさえも死に至らしめるのだ。
見れば、何輪か明らかに摘み取られていた。しかも毒性の強い根元ごとごっそりととられていて、しかもここ数日前に堀り起こされたらしい。
「‥…ここに入ることが出来る人間など、限られているはずだ」
主に毒を扱うことが出来るのは、公爵家の一族のみ。
今現在この温室に入ることが出来るのは、捕まっているシグマを除いて公爵本人と兄のリカルドとそれに連なる者、そしてユリウスしかいない筈だった。
(捕まる直前にシグマでも来たのだろうか。だが、何のために?
その可能性はあるものの、彼の口からそう言う話は聞いていない。
もし、万が一誰かがこの場所を知っているとしたら‥それは大問題になる。
実は今日、こうしてユリウスがこの温室に訪れたのには理由がある。
以前の仮面舞踏会で使われた香り付きの興奮剤。あの後成分を調べてみると、ランを使った品種の毒だと判明したのだ。
フォスターチ家の毒はランが多用されている為、その薬がこの場所で作られた可能性があるかどうか、調査に来たのだ。
そして、どうやらこのスズランの香りと興奮剤の花の香りは同じようにも感じられる。持っていたハンカチで口元を抑えながらユリウスは強毒の花を摘み取ってみる。
「やはり‥誰かがここに出入りしているのか?」




