勝ち、と負け
カシル・フラムベルグは、いつだって自分が一番だった。
男兄弟は他におらず、姉が三人と女傑家族の中で産まれたフラムベルグの嫡男は、周りからのあふれんばかりの愛情の中で育ってきた。
フラムベルグ伯爵にとっては、やっとの思いで恵まれた唯一の男児であり、目に入れてもいたくない程の可愛がりぶりだった。‥結果、カシルは自分が望むものは全て与えられていくことになる。
しかし、年齢を重ねるごとにカシルが望んでもできないことが増えてくる。
幼いときは騎士になりたかったが、生まれたときからあまり身体が丈夫ではなく、その手に剣を持つことは叶わなかった。
だが、騎士になる夢は幼い頃からの親友であり従者だったレイヴンが果たしてくれた。それならば、と自分は違う方法で強くなることを固く決意した。
カシルは昔から恵まれない身体の代わりに、優秀な記憶力を持っていた。一度見た文章は全て覚えるし、それを理解できる頭脳も持っている。
特に、戦略を使う盤上ゲームでは右に出る者がいない位得意だった。
「そうだ、剣がなければ権力と名声を手に入れればいいじゃないか!」
そうして、幼い頃から神に愛された容姿と頭脳を最大限利用して、メキメキと人脈とコネクションを構築していく。
幼少の頃から父について回り、社交界での顔を広め、将来自分の力になりえるような駒を探すべく目を光らせながら成長していったのだ。
そんな時、父の友人だったイヴェンター伯爵家の仮面舞踏会に参加した時、運命的な出会いを果たす。
身体を使って戦うことが出来ないカシルにとって、しなやかに動く彼女の肢体はとても魅力的で、一目で心を奪われた。
あの後、一体彼女がどこの誰で、どこの家の者か調べようとした。
しかしイベント中に起きたいざこざのせいで、騎士団の預かり事案となり、客の名簿は没収されてしまった。
結果、彼女を探すことが困難になった。
少なからず荒い手ではあるものの、犯罪にならない程度で探し当てた彼女は、なんと、ハルベルンでも高名な公爵家の令嬢だったのだ。
これが運命といわずしてなんというのか‥!こうなれば、多少なりとも強引に、彼女が逃げられないような状況を作ってやろう。そう言う考えに至った。
しかし、肝心の彼女に近づこうにも、「自称・婚約者」を名乗るグランシアと並ぶ名門、フォスターチ公爵家の公子に邪魔をされ、さらには外堀計画筆頭、兄君のヘルトには牽制され、カシルの自信は見事に萎えてしまう。
「‥カシル、お前は、盤上のゲームにおいて、いつも詰めが甘いな」
「‥‥‥」
ぐさり、カシルの心に少なからずのダメージが与えらえた。
「‥ッせっかく、前半は優勢だったのに‥‥」
「お前はそう思った瞬間、わかりやすい隙ができる。気が付いていないのか?」
「父上…」
街での一件の後、首都アンリにある邸に帰った途端、待ち構えていた父にチェスのゲームを奨められた。そして‥ものの見事に完敗してしまった。
「お前は負けることに慣れていない」
「…父上はいつも私に何事にも勝つようにご教示いただいておりました。だから僕は」
「お前の好きにしろとは言ってはいたが…先日、フォスターチ公子より苦言を提言された」
カシルはどきりとした。
「ユリウス・フォスターチ…ですか?」
「ああ、婚約したばかりなのをいいことに、公子の目の前でグランシア公爵令嬢にプロポーズ・ショーを行ったそうだな?」
脳裏にあの屈辱的な茶番劇が思い浮かぶ。
「あ、あれは‥!その」
「フォスターチ家には関わるな」
ぴしゃりと告げられたいつもと違う声に、カシルは怯んだ。
「‥!…それは、どういうことでしょうか‥」
「…獅子の尾は好奇心で踏んではいけない。たまには眼前の敵から撤退することもお前は学ぶべきだろう」
「眼前の‥敵から撤退?!父上らしくもない!!名門公爵家とは言え、嫡子ではない…たかが庶子に過ぎない者でしょう?!それを獅子などと…」
「…あの家の者に下手に関わると、こちらが手痛い被害を受けかねない」
フラムベルグ公爵はため息をついて、静かに首を振った。
「‥特に、飛ぶ鳥を落とす勢いで名をあげたユリウス卿には、な。お前も社交界に少しか顔が利くのなら、聞いてはいるだろう?フォスターチ家の次男シグマ殿の件」
「え、ええ。身分を問わず女性を攫っては襲い、余興に耽っていたとか‥」
ああ、とだけ短く言って、公爵は頷く。
「その一連の事件を洗いざらい調べ、徹底的に糾弾しているのは、実弟のユリウス卿だ」
「‥身内を‥糾弾?兄弟同士で‥そのような」
「そう言う家紋だ。ハルベルンの盾のグランシアと、剣のフォスターチ。この二つがどれほど影響力を持っているか‥身をもって知るべきだろう。」
「‥…」
「‥お前には、もっとふさわしいご令嬢がいるだろう。‥グランシア公女は諦めろ」
父の背中を見送ったカシルは、自分が負けたチェス盤の前でただぼんやりと座っていた。
夕暮れの淡い光が窓を赤く染め上げ、倒されたチェス盤を照らしていく。もの悲しくさえ見えるその駒に、まるで血のように赤い光が映し出された。
(ここにきて‥諦めろ、だなんて。…負けを認めるだなんて)
ぎゅっと拳に力が入る。
幼少の頃から、カシルは全て手に入れた。‥諦める方法など、思い切れる方法など誰も教えてくれるはずもなく‥考える必要がなかったのだ。
「‥いいや、僕は、まだ負けてない‥全部の手を尽くしたわけじゃない!これがある」
そう言って、カシルは手に持っていた小瓶を眺めた。
「くそ‥!今に見てろ、ユリウス・フォスターチ…!!」
カシルはバタン!と力任せに扉を閉めると、その部屋は誰もいなくなった。
その様子をずっと棚の隙間から様子を窺っていたネズミこと、アードラは、カシルがいなくなったのを確認して、そうっと姿を現した。
「全く、往生際が悪いというかなんというか…どうしてあんなに諦めが悪いんだ。」
それとも、諦めるということを知らないのだろうか?特に人間の心など、勝ち負けで決められるものではないだろうに。
何でも思い通りになるはずだ、とそう思っているのだとしたら‥どんな手段を使ってくるのか、考えるだけでもうんざりしてしまうようだ。
しかし、彼が不思議な小瓶を持っているのを確認できた。‥あれが、切り札だとしたら。
(‥微かだけど、あの瓶から妙な魔力を感じる。誰が作ったかは知らないが、どうやら魔法で出来た薬のようだ…しかし、魔法の薬の材料なんて、この世界にあるのか?)
中身まで確認せずとも、液状の物だということは確認できた。不十分ではあるものの、対策を打ち出すことは出来そうだ。だが、アードラはカシルよりも伯爵がしていたユリウスの話題の方が気になる。
(ユリウス・フォスターチ…か。まあ、自分の身内の恥部を徹底して暴くとか…はたから見れば、兄に何か恨みでもあるのか、という話だな)
だが、アードラから見れば、彼のしていることは正しいことのように思える。
少なくとも身内だからと言って手を抜かない辺りは共感できた。アードラにとってのラヴィのように、信じることや護るだけでは…本当に大切なものを守れないのだろう。
(彼は、あのままカサンドラの側にいて大丈夫だろうか。危害を加えるようなことはしないと思うけど‥少し調べてみようか?)
「やれやれ‥うちのご主人様は、本当に目が離せないお人だよ、全く」
そろそろ夕暮れ時だ。アードラは鷹の姿に変えて、飛び立つ。
(このままノエルたちに合流するか?それとも)
偵察がてら、フォスターチ家の方角にでも行ってみようかなどと考えながら、ゆるゆると風に乗りながら飛んでく。
街よりやや外れた場所の広大な敷地を構えるファスターチ家の城館は、遠くから見てもわかりやすく、どこか恐ろし気なもののようにも見える。
すると、城館の大扉が開かれ、中から一頭の馬が駆け出していくのが見えた。
従者もつけず、単騎で駆けるその馬に乗っているのは。
「ん?…もしかしてあれ、ユリウス・フォスターチ?どこに行くんだろう。‥あの方角は」
ハルベルン・首都アンリより大分西に進むと、とある森にたどり着く。
人呼んで「迷いの森」と呼ばれるその場所は、一度迷い込むと、森に住む魔術師に捕まり実験台にされて、二度と出られなくなるらしい。
そんな噂が飛び交う場所に向かって、ユリウス・フォスターチは馬を駆っているのだ。
「‥行ってみようか?」少しの好奇心と調査もかねて、アードラはその後を追うことにした。
夕闇に染まる草原を馬で駆けながら、ユリウスは日が沈む様子を少しの間眺めていた。
「そろそろ日も暮れるか、‥まあ、帰りについては後で考えよう」




