悪巧むものと、それを打破するもの
「悪いが先約がある」
そう言って私の目の前に現れたのは、敬愛すべき兄上、ヘルト・グランシアだった。
大きい背中に、見上げるくらいの高い身長。休日でも絶対にジャケットを着こむのは、彼なりのこだわりだろうか?
思いもよらぬ人物の登場に驚いてしまう。
「…へ、ヘルト。なんでここに」
あ、しまった。
…ついうっかり兄さまを抜かしたことに気が付き、慌てて口元を抑えた。
当の兄上様はというと、ちらりと一瞬こちらを振り返っただけで特に何も言わなかった。
「…え、えっと。あの、はじめまして、私は」
そしてカシルはというと‥まさかのヘルト登場で、さっきの押しの強さはどこへやら。明らかに動揺してしまっている。
「カシル・フラムベルグだろう?‥妹と話したいのなら、セオリー通り、手順を踏んでからにしろ」
「は‥はい」
うわあ、圧勝…。
予想通り、ヘルトのひとにらみで怯んだようだ。
…ちょっと。そんなに簡単に引き下がるなんて、私‥こいつに舐められてるの?
「いくぞ、サンドラ」
「‥あ、えっと」
「お待ちください!!」
そう言ってヘルトは私の肩を抱いて歩き出したのだが、やはりカシルはめげない。
歩き出した私の腕を掴もうと手を伸ばしてきたのだ。
「少しだけでもお話を…!」
私がぎょっとしていると、ヘルトは有無を言わさずカシルの右腕を強く掴んで上に向かって引っ張り上げる。
「‥っいててて」
「‥同じことを二度も言わせるな。フラムベルグ公子」
今まで聞いたことのないくらい低い声に、私ですら恐怖を感じたのだから、カシルにとっては効果は抜群だろう。案の定、さっと血の気が引いたような青い顔をしてる。
「礼儀をわきまえろ」
「…ッ…」
そう言って、ヘルトはつかんでいたカシルの腕をぱっと離した。どさりと尻餅をつくと、側近達が慌てて彼を起こしに駆け寄ってくる。
「か、カシル様!!」
側近たちの手を借りて立ち上がるのを見届けてから、ヘルトは私の手を取って歩き出した。
ちらりと後方を振り返るのだが、カシルはこちらをじっと見つめており、なんとも後味の悪い気持ちでその場をあとにした。
「あの―‥ヘルト兄さま」
「全く、このバカ者が!」
バ、バカって言われた‥‥。ってなんでよ?!
「ご、ご挨拶ですね?!何よ!!」
「勝手に一人で物事を進めるな。‥一度相談してくれればいいものを」
「う…そ、それは。返す言葉がありません…」
確かに、カシルのことといい、ユリウスとの一件といい‥ここ最近の出来事は、まるでドミノが倒れるように私に襲い掛かってきた。
それに対処するので精いっぱいで、物事が自分の意思とは関係ない方向へ流されてしまった感は否めない。
「取り返しのつかなくなる前に、必ず言え。‥俺だけでなく、父上だってお前のことを心配しているんだ。…そんなに俺たちが信用ならないか?」
「そ、そんなことは…」
「なら、もう無茶はするな。…本当に取り返しがつかなくなったらどうするつもりだ」
そう言って見つめる黒い瞳には、心配そうな色が滲んでいるようだ。
うう、この目には弱いのよね‥。
「ごめんなさい…」
勿論、家族を信用していないわけじゃない。
でも‥確かに、ヘルトには私の全部を話しているわけではないので、少し心が痛む。
けど、そんなことを考えている私をよそに、ヘルトは説教モードに入っていた。
「考えなしというか、なんというか。もう少し落ち着いて敵を見てから行動するようにしろ。相手の力量を計ってから対策を練るのは、戦略として最も重要だ」
て、敵。
まあ確かにそうかもしれない。現にカシルはこうして私に間接的な精神ストレス攻撃を与えてくるのだから、敵といえばそうかもしれないけど。それでいいのだろうか‥‥。
これ以上は長くなりそうなので、私は思い切って話題を変えることにした。
「そ、そう言えば、珍しいですね。ヘルト兄さまが街にいらっしゃるなん…」
「‥‥ヘルト、と呼び捨てで構わない。さっきもそう呼んでいただろう」
え、なんで?
私は首を傾げてしまうが、今の彼の虫の居所が掴めない。それ以上ヘルトも何も言わないし、ここは素直に従うことにした。
「えっと、じゃあ…ヘルトはどうして街に?珍しいですね」
「‥‥」
「あ、あの?」
言われた通りにしたはずなのだが、何故かヘルトは変な顔をして見せた。‥とりあえずは怒っているわけではないらしい。
「あ、ああ。しばらく家にいたばかりだったので、気分転換に。‥それと時計を」
「時計?」
「修理を頼んでいたものが出来上がっている筈だから、取りに来た」
時計とは‥なんだからしいというか、意外というか…。
まさに公務員て感じだ。
「修理を頼む‥なんて、大切な時計なんですね?」
「ああ。‥‥ずっと使っていた懐中時計が壊れてしまって。グランシアには昔からなじみのある職人がいるから、彼に頼んだんだ」
グランシア家のなじみ…?もしかして親戚とかそう言う人だろうか??
ふうむ。それにしてもわざわざ直して使うなんて、どういう時計だろう。
王宮所属の騎士団の副団長のヘルトなら、お給金もそれなりにあるんだろうし、新しく買えばいいのに。
むくむくと好奇心と一緒に興味がわいてくる。
「ねえ、私も一緒に行っていいですか?」
「…一緒に行ったところでつまらんと思うが」
「いいえ、ヘルトがどんな時計を大事にしているのか、興味があるので。いいでしょ?」
「‥‥しょうがないな」
あ、この笑顔。
‥多分前に一度見た。リラックスしているときに時折見せる『破顔』というやつだ。なんだか私もつられて笑顔になってしまった。
**
遠ざかっていく二人をじっと見ながら、カシルは唇を噛んだ。
「…くそ。なんだよ、今度は兄かよ。フォスターチ公子といい、彼女の周りは何であんなにめんどくさい連中ばかりなんだ」
自分の計画では、もっと簡単に、もっと容易に手に入れられる筈だと思っていた。
今回のように、こうも思うように進まないのは生まれて初めての経験なのだ。
(何が原因だ?‥まだ彼女を手に入れる為の準備は終わってはいないのは確かだ。けど、どうしてこうも邪魔が入るんだ?もっと下準備をして、徹底的に調べないと)
今まで、周囲の誰かに言えば何でも手に入った。
美しい毛並みの馬も、珍しい書物も、友人だって。なのに、どうしてこうもうまくいかないのか、今のカシルには全くわからないことばかりだ。
「坊ちゃま‥」
隣に控えていた従者をにらみつけると、そのまま頬をはたいた。
「!!」
「‥‥ギルドから連絡は?」
「…まだ、半日しか過ぎておりません、カシル様」
「‥ちッ。使えないな。…なあ、どうしたら手に入るかな?いっそ攫ってどこかに閉じ込めればいいかな?お前はどう思う、ウル」
「‥焦りすぎは禁物です。今は情報を待ちましょう。それに相手は公爵家、下手を打てばお父上にもご迷惑が」
「‥‥いくぞ」
カシルが歩き出すと、周りの従者もついてくる。
(こっちには例の薬がある。彼女をどうにかして誘い込めないものか?)
ふと、カシルはレイヴンの乙女‥聖女ヴィヴィアンを思い出した。
さすがの公爵家も、聖女も招待する規模の大きい茶会なら誘いを断ることはないだろう。それに、レイヴンにも協力してもらいつつ、自分もレイヴンの手助けをするならば。
――まさに利害が一致するというものだ。
「よし‥それがいい。一度、タウンハウスに戻るぞ」
カシルは馬車を捕まえて乗り込むと、その場所から去っていった。
そして、そんな彼らの一部始終を少し離れた高い場所で見守るものがいた。ギルド・シュヴァルの建物は4階建てとなっている。街の広場を全部見渡せる立地にあるこの場所は、監視活動にはうってつけの場所だった。
「腹が立つけど、サンドラにはヘルトが付いているし変な虫はつかないだろうから、安心だな」
「‥まったく。結局僕までこき使うの?ノエル」
鳥形態のアードラが窓に止まりながらぶつぶつと文句を言うと、隣にいたラヴィが睨んだ。
「アードラ‥このまま何もしないとか僕が許さないからな!」
「はいはい、お兄ちゃんは厳しいですねー。で?あいつの後を追えばいい?」
アードラが聞くと、ノエルは眉間にしわを寄せながら神妙な面持ちで頷いた。
「ああ。アイツ、なんっっか気になるんだよなぁ。何かヤバイ匂いがプンプンしてくる。‥‥オレの第6感がそう告げている」
「……ノエルが言うのは信ぴょう性がありそうだ。まあ、それについては僕も同感。じゃ、とりあえず追いかけていって、夕方、一度ここに戻ることにする」
「気を付けて、アードラ」
飛びながら、アードラは地上で心配そうに見送るラヴィを見た。
何だかんだで人が良くて優しいのはよくわかっているので、恐らく本心から心配しているのだろうと思う。
(問題なのは、それが彼の意思によるものか、そうでないものか、というところだな)
恐らくノエルがカシルに抱いている印象と同じようなものを、アードラはラヴィに感じている。何かを演じるほど器用でないことも承知しているが、どうしても気になってしまうのだ。
「実は知らない場所で、誰かが彼らを勝手に動かしている…か」
”この世界は全てプレイヤ―が登場人物を動かしている。
ここは、ゲームの世界。異世界から招かれた来訪者はプレイヤーであり、同時に登場人物となる”
それは、まだアードラという名前をもらう前の帽子屋だった時に知識として備わっていたものだ。
だがそれ以上のことは考えたことなどないし、知る必要もなかった。…それが当然だったから。
今にして思えば、そう言う風に考えるように設定されていたのだろうと思う。
もし、同じようにラヴィもまた、性格から言動、その全てを行動設定されているのだとしたら…誰かが彼をそう、動かしていることになる。
(じゃあ、そのプレイヤー達に指示を出しているのはどこの誰だ?)
システムの管理下にいるというのは、そう言うことなのだと気がつき、同時にその本当の意味について考えるようになったのは最近のことだ。
そしてアードラもまた、物語の保存を目的にカサンドラを排除すべき、と考えたことがある。それも誰かがそう指示していたのだとしたら、やはりカサンドラは特殊なんだろうと思う。
「システムに危険視されているってことは、さすがはうちのご主人様。…普通じゃないな」
もう、世界はだいぶ形を変えている。
それを肌で感じているのは、まだアードラだけだった。




