不思議の国のウサギとピンクの子豚ちゃん
まるで億単位の映画のセットのようなグランシアの本邸に帰ると、私は自分の部屋のベッドにダイヴした。今までの人生でお目にかかったことのないくらいふわふわの羽根布団に思わず顔が緩んでしまう。
「はあああ‥‥うちの固いベッドとは大違いだ」
とはいえ、時間がたつにつれて橋本真梨香が死んでしまったという事実が、徐々に効いてくる。
別に何か悪いことしたってわけじゃない。‥私が死んだところで別に誰も悲しまないだろうし、残すものもなければあれだけの人が棲んでいるあの地球上で一人いなくなったところで、誰も気にも留めないだろう。
ただ、なんとなくぼんやりと、自分は仕事を続けていつか誰かと結婚して、子供ができて‥なんていう当たり前の人生を想像していたので、その道が閉ざされてしまったということが哀しかった。
それにしても、享年22歳だなんて。‥とてもじゃないけれど。信じられない。信じたくない。
「うっ‥ううっ…、‥ ‥」
なんだか泣けてきた。できれば、もっと普通に生きて‥普通に死ぬことができたのなら、良かったのに。
それからしばらくして…私は邸にこもりきりだった。カサンドラの自室は、私が棲んでいた1Dkのアパートの部屋の10倍近くあった。
豪華な調度品に、何不自由もない生活なはずなのに、私の心は沈んでいた。
途方に暮れ、食事もろくにのどを通らずに過ごしている日々。何か動こうとか、何かしようなんてまるで思わない。
「お嬢様ぁ…元気、出してください」
いつも通りメイドのアニーが食事を持ってきて来るのだが、ほとんど手を付けることはなかった。
「いい。…食欲、ない」
「そんな‥!今日もお嬢様の大好きな牛肉のソテーにクリームスープ‥それでに食後にはデザートケーキワンホール、ご用意しておりますのに…!!!」
「‥‥‥‥アリー、それ下げて」
「えええ?!‥ど、どこか病気でも」
「‥いいから、もう下がっていいわよ」
しょんぼりと去っていくアリーを見送りながら、再びため息をつく。
(朝っぱらから肉料理にデザートケーキ…って。どういう食生活なの…)
ベッドからのぞのぞと動き、鏡に映る姿を改めてみてみる。
ピンク色の髪に青い瞳。
人形のように白い肌にもちもちとした首回りとか腰回りとかについた贅肉…。ピンクのおデブさんというフレーズは、どうしてもあの生物を思い出してしまう‥。
「痩せればきれいなんだろうけどなあ…あんなの毎食してたらそりゃあ、ああなるわね‥、どうせゲームの世界なら、自分のパラメータでも見れたらいいのに‥」
そう口に出してみると、突然ピコン、という音共に目の前がが光り出し例のゲームウィンドウが表示された。
「え?マジ?」
カサンドラ・グランシア(16歳)、という表示と共に、身長から体重、3サイズ、家族構成、など個人情報が表示されていた。更には上の方にでかでかと『滅亡まで987日』まで表示されていた。
(現在の症状…って。鬱ぅ?!…変なところにリアルだわ‥。それに、本当にカウントダウンが進んでいるなんて‥)
じっとして居られずあちこち障り、スマホの画面をクリックする要領でスワイプしてみると、新しい画面が表示された。
そこに今度表示されていたのは、『おデブ令嬢』という称号と、特殊スキル『怪力』の文字だった。
ああ、そういえば。壁に穴を開けたりしたっけね…。
更にページをクリックすると、全キャラクターの名前と共に、赤いハートマークと青いハートマーク、二つのマークにそれぞれパーセンテージで数字が表示される。
「‥これってまさにゲームの画面じゃない‥。まさか好感度をあげろ、とか、そういうこと??」
見れば、先日カサンドラをいじめていた赤髪、緑髪、紺色髪の三人は赤いハートの数字はこぞって60%を超えている。赤髪王子に至っては、78%と高い数字だった。
逆に青いハートの表示はほとんどが0%からして、赤がヴィヴィアン、青がカサンドラということかもしれない。
「そうか…1000日後、エンディングの告白イベントがある日だ!でも…どうすればいいの?!」
確かに1000日後に強制イベントとなるはずだが、それはヒロインヴィヴィアンに起こるエンディングイベントだった。とはいえ、このゲームに存在しない筈のカサンドラに、どう影響があるのだろうか?
そしてもう一つ気になるのは、次のページにカレンダーのようなものがあり、今から二週間前の日にちに「王宮主催パーティー」の所にバツ印が付いていた。
「‥これって。この間のパーティーみたいなやつのこと?」
その時、背後からぱちぱちという拍手と共に、どこかで聞いたことのある声が聞こえた。
「おめでとう、イベントクリアだね。いやあ、ハラハラしたー、あの状況では一歩間違えれば処刑されてゲームオーバーだったのに、すごいね」
「?!」
なんと、背後から拍手と共に現れたのは橋本真梨香‥つまり過去の自分と同じ姿の人間だった。
「私はこう見えても、人々から神と呼ばれている者の端くれなんだよね。敬いなよ?」
「ふっ‥ふ ふざけるなあああ!」
思わず手を伸ばすと、そいつはひょいと一歩下がってへらへらと笑った。そして、パチンとウインクを送って来るので、寒気がした。
自分自身にこんなことをされるなんて多分この世に私だけだろうな。
とりあえず、こいつぶんなぐってやりたい。
「…ゲームオーバーって‥、これやっぱりゲームの中なの?」
「うーん、ゲームの中ではないよ。似たような世界ではあるけれど、現実だ」
じりじりと相手と距離を測るのだが、過去の私の姿をした神さまとやらは、お構いなしに話を進めていく。
「じゃ、‥じゃあ現実ってこと?私はどうなったの?死んじゃったの?」
「うん、実は君はあの後、若年性脳梗塞でそのまま倒れてしまうんだけど…時間も遅かったし誰にも発見されず、翌朝冷たくなって発見されるっていう結末なんだよね」
「‥‥」
ずきん、と胸が痛む。
私は、本当に享年22歳で、誰にも看取られず孤独死をしてしまったのか。神様はこういうことに慣れっこなのか、憐れむわけでもなく、ただ薄く微笑んでいる。
「とはいえ、これはほとんど天界の手違いみたいなところがあってだな‥だからこうして代替人生が‥」
「人の人生なんだと思っているのよ!!!」
私は思わず、神様に向かってとびかかった。
「代替人生ですって?手違い…?!ふざけるのもいい加減にしなさいよ!!!」
そりゃあ、今までの人生、いいことばかりではなかった。
親は子供の頃に交通事故で死んで、親せきに預けられたけどなじむこともできず、16歳の頃には既に一人暮らしも始めていた。
親の遺産のお陰で大学の法学部に行くことができた。大学院に進んで…あとは司法試験を受けて、誰の迷惑にもならないようにやっと一人で生きていける道筋ができかけていたのに!
「馬鹿にしないでよ…っ!!!どうして‥こんな…!」
「…えっと、いや ごめん」
まりかの姿をした神様は、突然おろおろしだしてただの光の塊に変化した。
そして徐々に姿を変えてゆき…現れたのは、ウサギの耳を付けたシルクハットを被り、燕尾服を着た背の高いお兄さんだった。
「!!」
「うーん、見慣れた姿の方が安心するかと思ったんだけど‥」
「余計腹立つわ!!!」
思わず食って掛かろうとした私をひょい、と避けてそのおにいさんは笑った‥ように見える。
と、いうのも。あまりに帽子を目深にかぶりすぎているため、どんな顔をしているのかはっきりわからないのだ。
それにしてもこのウサギ、うまく逃げやがるので空を切るばかりだ。しかも、この身体は重たくてすぐに息切れてしまうので、正直しんどい。
「はあ、はあ、ちょっと肉付けすぎでしょ、カサンドラぁ‥」
へたりこんでしまった私を見下ろすカタチでお兄さんが立っている。
「でも、本当にこれはチャンスと思ってくれれば…。君はこの世界のルールに縛られない特殊な存在なんだから」
「…?それってさっきメッセージにもあったこの世界にやってきた来訪者、とかってやつ?」
ぐす、と鼻をすすりながらお兄さんを見上げる。
しかし私の問いに返答はなく、その代わりに思ってもいない言葉が返ってきた。
「これからは君の人生だ。…どうするかは君が決めればいいんだけど」
「いきなり他人に成り代われと言われてはいそーですか!ってなるか!!」
全く違うスペックに、全く異なる世界。
そういう人生を改めてやり直せるというのは、もしかしたら本当にすごいことなのかもしれないけれど。
「結構な最悪な状況じゃないっ…!!」
そう、今、私は危うくこの世界の王子様に処刑されてしまうところだったのだ。
殺されそうになる程憎まれるってどういうことよ!!
(とはいえ…このカサンドラという少女はどうしてこんな扱いを受けているのだろう?)
改めて自分の身体を見てみる。…うん、まあどすこいっていうか、なんていうか。重量はありそうだけど、別に凶器を隠し持っているわけでもなし、この体系の人間には人権すらない世界なのか。
「ああ、もう駄目だ時間がない。‥とにかく君は、大いなる意志の元に起こる決まり決まった出来事をかたっぱしからぶち壊しにしていくんだ!」
「あ!ちょっと待ってまだ言いたいことも聞きたいことも山ほど…」
「すまない、あとは自分でどうにかしてくれ!!あと、これは私からの贈り物だよ」
そう言ってウサギが消えた代わりに空から降ってきたのは一冊の本だった。重厚そうな皮の装丁に金の文字で書かれたタイトルは…
『ヘブンス・ゲート完全攻略公式大全☆これ一冊で全種類のエンディングが見れる!!』だった。