終幕10・寂寞たる
「…キャバリエ?」
どくどくと心臓がうるさい。
(ああもう―――なんでこう、口が!!勝手に!!)
本当は一人で悶えたいところだが、そう言うわけにはいかない。覚悟を決めて、うつむいた顔をあげると、『きょとん』という言葉に相応しい表情をしているリオンと目があった。
「…ゴメン、ちょっとそう言うのとはだいぶ離れていたから」
「あ!!き、急だったし、えと、その」
「キャバリエって…何?」
「え?」
(それも説明するのお――?!!)
「あ。あああの、わたし、デビュタントが!来月に!ありまして…」
「へえ、それはおめでとう」
「そ、そその時のエスコートをする、と、殿方を…キャバリエと」
「……それを、僕に?」
怖くて顔が見れないので、何度もうんうんと頷いて見せる。
しばしの沈黙の後、耐え切れずリサラは顔をあげた。
「ごめん」
「…っ あ え?」
「そう言うのは、ちゃんとした男性にしてもらう方がいい」
「で、でも」
「それに…僕はその頃にはもう遠くに行っているから」
ドクン、と胸が騒ぐ。
あまりにも哀し気で、切なく笑う姿を茫然と見つめる。
「と、遠くに、ってどこ」
「ずっと…ずーっと遠く」
「…どうして?」
「自分で決めたことなんだ」
彼の言う『遠く』とは、どこだろう?
とても果てしなくて、なぜか、妙に不安を感じた。
「…君と逢えて、こうして、話せてうれしかった」
「……そんな、私こそ」
「ああ、そろそろ時間だ。髪ありがと、リサラ…さよなら」
彼はそう言って、背を向けてしまった。
ざわっとまた花びらが風に舞う。
(行っちゃう)
つむじ風はリサラとリオンの間を通り抜け、リサラをあざ笑うかのように、見えない境界線を引いてリオンの姿を隠してしまう。
「ダメ…」
何かがリサラを急きたてる、手を離してはいけない、彼を一人で行かせてはいけない。
その思いの正体がわからないまま、リサラの身体は動く。そのままがしっとジャケットの裾を握りしめた。
「待って!!」
「え?っわ…」
そのままバランスを崩し、地面に二人して転んでしまう。どんな偶然か、リサラはリオンの上に乗っかかる形になってしまう。
「いたた…」
「いっ…ご、ごめんなさい」
「どうしたの?」
「あ、えと、あの!わ 私…あなたを」
「…ゴメン、それ以上は」
ふっと目の前に大きな手のひらが出される。
一瞬のうちに闇に包まれ、リサラはそのまますうっと意識が遠のいた。
ぱたり、と気を失ったリサラを抱き起すと、そのまま椅子に座らせる。
「このまま、記憶ごと、消してしまおうか」
そうすれば、自分を知る人間はもうこの世にカイン以外いないことになる。
(カインは話の分かる奴だから、きっと大丈夫だろう。…でも、この子は)
これ以上は近づいてはいけない。…近づかないほうがいい。
「だけど、もし」
今更何を迷うのか。
自分に自問自答するが、答えは見つからない。
「僕は…まだ、こんなにも」
「アードラ!」
「!!」
突如響く聞きなれた声。
ぎょっとして振り返ると、そこにはロクスとイアラがいた。
「え?アードラ君?…!!リサ」
「…イアラに、ロクス…」
「…言ったじゃないか、勿体ないよって」
「……」
こいつはまるで自分のことを見透かしているようだ、とアードラは思う。
「なんだって…ほっといてくれない」
「君を消すわけにいかない」
「……なんで」
「それが、きっと君と出会った理由だから」
「ロクス…」
ふっと目をそらすと、イアラが心配そうにこちらを見ている。
「リサラは大丈夫だよ。…眠ってるだけ」
「ほんとに…アードラ君、なの?君は、人間、なの?」
「人間、か。君たちには…知ってほしくなかったかな」
アードラが手のひらを上にかざすと、周りのブロッサムは一斉に淡い光を放つ。
「花が…!」
それは、少し異様な光景だった。イアラにとっては今まで見た景色の中でも一番ぞっとするほど、美しく、畏怖すら感じる。
木々についていた葉はなりを潜め、枯れかけていた花は再び生き返り、蕾だった花は惜しげもなくその美しさを魅せていく。
そして‥再び満開を迎えた。
「!やめろ、馬鹿」
ロクスは飛び出すと、アードラの腕を掴み、袖をめくる。
その拍子に膝をつくアードラの腕に、ピンク色の筋のような模様が通っている。
「ブロッサムに、魔力を食わせてるのか?いずれ、全部食い尽くされたら…君は」
「……いいんだよ、これで」
「よくない!!…なんで」
苦し気に息を切らすアードラを見て、イアラは昼間の庭師の言葉を思い出す。
『昨年は雪が多かったし、古い木は折れたり倒壊したりして…』
「もしかして…アードラ君がそうしなかったら…ここのブロッサムは」
「…そこの、一番古い木」
「!」
それは、ロタンダから一番近くにある大きな老木だった。
「倒れそうだったから。…一番古い木なんだけど」
「そんな…こと」
「…アードラ。どんな木でも寿命はある。…最後まで誰かが見ていたのなら、花はそれで本望だろう?何も君が…!」
はっとなり、ロクスはつぶやく。
「何か、思い入れが?」
「別に。…一番最初に来た苗で、あいつが選んだもので、それで、ね」
イアラとロクスは顔を見合わせる。
「そんなこと…されても、彼らは嬉しくないよ…!」
「……なんで、ロクスが泣いてるのさ。…顔にかかる」
「僕じゃない、この涙は彼ら、だ」
「いいのに。…無駄に長くとり残されるより、こうして花びらと一緒に消えるのも悪くないよ」
(本当に、何で、こいつが泣いてるんだか。…やめてくれよ)
ロクスの顔は、遠い昔に分かれた彼の姿と重なる。
ちらついて、苛ついて、過ぎ去った思いを引っ張ってくる。…忘れたと思ったのに。
「もう、一人は嫌なんだ。どうせ置いていくんだろ?…なら、みんな僕を知らないまま、先へ進めばいい。そうして、花びらみたいに…綺麗に消えてしまいたい」
いつか壊れる。
でも、それはいつだろう?明日?明後日?…何十年、何百年後?
アードラという存在は、正しい道から生まれた存在じゃない。…外れた道から生み出された異質な存在。
「果てしない…時間の中で、僕はいつまでみんなを見送らなければならないんだよ…!」
「馬鹿!!!」
パン、と響いた声は…イアラのものだった。
「何勝手なこと言ってるの!!もう出会っちゃったじゃない!!私だって、リサだって、ロクスさんだって!!」
「…イアラ」
「それを全部なくそうったってそうはいかないから!!アードラ君が消えて…私とリサがさびしくないわけないじゃない!!!…それが、『縁』ってものじゃない!!」
「…縁?」
「ほら!リサ起きて!!寝てる場合じゃないよ!!!リサも加勢して!!」
そう言って、イアラはがくんがくんとリサラを揺らす。
あまりの激しさに、ロクスは少しだけ心配になってしまう。
「あ、あの。やり過ぎたら」
「…うう、おきてるわよぉ」
「!!リサ!!」
ボロボロと涙を流すリサラは、ごしごしと目をこすりながら、イアラの肩を借りて立ち上がった。
「君が、アードラ君…だったんだ。もう、早く言ってよ」
「何で…」
「途中から目が覚めたの。…ずっと聞いてた。みんなの話」
ばつが悪い。
アードラは、ため息をついて顔を手で覆う。
「…なんだよ、全く…せっかくリサを、離せたと思ったのに」
「だから、遠くに行く、なんて。…いなくなる、何て、言葉にしたの?」
「………」
「…アードラ。現実問題、君の身体はあとどれくらい持つの?」
ロクスがじっと見つめる。
(…誤魔化すわけにはいかない、か)
「もう、持たないよ。…今咲いてる花びらが全部散り終わったら。」
「…7日、10日くらい?」
ロクスの言葉に、リサラとイアラは真っ青になる。
「どうやって、木とつながってるの?」
「……それは言いたくない」
「子供じゃないんだから!!」
「自分でかけた呪いだから…自分では、もう解けるほどの力はない」
しん、と水を打ったように静まり返る。
「なら、君以上の魔力はあればいいんだね」
「え?そんなの」
妙に確信のあるロクスの言葉に、アードラは耳を疑う。
「ロクス、お前‥」
「…この地より、女神が去って、もう50年以上たつといわれているね」
「!女神神話?」
過去、この国は、『女神アロンダイト』の力で守られているといわれていた。
そして、その女神の声を聴く存在がいて、地上に祝福と恩恵をもたらすと。…しかし、一番新しい代の女神は人の身になり、契りを結び、子を成した。
それ以降、女神の代行者はこの地上に現れていない。
「でも、力は受け継がれている。特に、王家の人間は生まれながらに魔力を持っているけれど、僕の場合は少し違った。」
ロクスが首から下げていた翼のモチーフのペンダントを取り出した。
すると、ペンダントは淡い光に包まれ、大きな翼の杖に姿を変える。
「それ…もしかして」
「知ってる?…君は知ってるよね。過去に失われたといわれている王家の至宝の一つ。…フォスターチ家の騎士が修復したものだよ」
「何で…」
「さあ?…彼なりの贖罪かもしれないし、責任感からかもしれない」
そんなこと、知らなかった。
アードラは天を仰いで、かつての友を想った。
「僕は男だし、女神の声は聞こえない。でも、その力だけは顕現したんだ。…王家はそれを秘密にしているけどね。…そして、この力がわざわざ今になって目覚めた理由を考えていた時、君は夢に現れたんだ」
「……ロクス」
「もしかしたら、僕は生まれてくるとき、そう言う役目を持っていたのかもね。‥僕の力はリペア、傷ついた魂を元に戻す力だ」
ロクスがそう言ってアードラの胸に手を当てると、全身の活力がみなぎってくるのを感じた。
「…っ」
「ブロッサムよ。あなた方にみなぎる魔力を少し…返してもらいます」
一度高く掲げ、トン、と地面を杖で突く。
すると、花々は一斉に咲き、一瞬にしてその身を散らしていく。
「わあ?!」
「すごい…花びらが、まるで」
巨大な渦を巻くように舞い上がり、やがて小さな光に変わっていく。
光のシャワーを一身に受けながら、アードラはゆっくりと瞳を閉じた。
「ああ…また、永らえてしまったなあ…それに」
一番古い大木は、ギギ…ときしむような音を立て、崩れ落ちた。
「ごめんな…」