復活祭・3 帽子屋
「‥やっぱり。どういうこと‥ヘルトに引き続き、ウィンドウ画面からノエルの名前が消えてる…!」
誰もいない、女神神殿の控えの間で結奈は爪を噛んだ。
(攻略対象の中で好感度がダウンしたバルクは、グランシア家に行くと言ってたけど…やっぱり、カサンドラが原因なの?)
たとえ神殿の庇護を受け、皇子の寵愛を受けているヴィヴィアンといえど、用もなくハルベルンでも有数の侯爵家であるグランシア家に足を踏み入れることは出来ない。
「何なのよ‥!打つ手なしってこと‥?!」
「あまりかじりすぎると、せっかくの美しい爪が痛みますよ。‥それとも癖なのかな?」
そう言って、何もない場所から現れたのは…黒い帽子に燕尾服のマッド・ハッターだった。
「帽子屋‥貴方何か知っているんじゃないの?私に手を貸してくれるって言ってたじゃない!」
結奈がにらみつけると、帽子屋はおどけて笑って見せた。
「ふふふ、手を貸すとは言いましたけど‥私にもできることとできないことがあるのです。…やはり、ヘルト・グランシアは私達の影響を全く受けないようですね」
「システムの影響‥じゃあ、ノエルも?」
「ええ、どうやら私が知らないところで、誰かがこの世界に介入しているようです、‥先日バグを取りのぞこうと試みましたが‥失敗に終わりました」
「何よそれ‥せっかくこの世界に入ることができたのに…!」
嘗て崎本結奈は、この「ヘブンス・ゲート」のハードユーザーだった。
だからこそ、どういう原理なのかわからないがこの世界で目覚めたとき心底嬉しかった。現代に住む結奈にとって、ゲームの世界こそ現実で、あちらの世界に未練など欠片もない。
(この世界って、確かにゲームなんだけど…儀式の呪文やら手順、礼式等々…実際覚えるのは私なのよ?割に合わないじゃない…!)
「‥ゲームウィンドウから消えた二人の方々は、それぞれシステムの枠を外れて好き勝手動く、つまり意志を持ったNPC。‥ある程度の介入は出来ましょうが、彼らを振り向かせるのはあなた次第です」
「それじゃ、ただ顔のいい普通のその辺の男と変わらないじゃない‥私はゲームのヘルトとノエルに逢いたいのに…!」
「‥ヴィヴィアン様?そろそろご準備は出来ましたか?」
「!!‥どうぞ」
ノックが響くとともに、帽子屋の姿も煙のように消えた。
(…本当に信用していいの?あいつ…)
今日は前夜祭。巫女であるヴィヴィアンは、女神アロンダイトを迎える為に白いドレスに身を包んでいる。…それは、まるで花嫁衣裳のようなドレスで、創世神話の初代皇帝と女神の婚姻を再現しているらしい。
「まあ、やはりとってもお似合いです。聖女様‥!」
「‥ありがとう」
神殿に向かうと、今回の復活祭のもう一人の主役である皇太子・レアルドが笑顔でヴィヴィアンを迎えた。
「やあ、おはよう。ヴィヴィアン。‥今日も君は美しい」
「ふふ、レアルド様ったら。‥これから三日間よろしくお願いしますね!」
毎年行われる『復活祭』は、成人を迎えた18歳以上の王族の男子と、女神神殿により選ばれた巫女が主役となる。
レアルドにとっては、成人後としてははじめて臨む公式行事であり、いずれ国を継ぐ皇太子としての未来が占われる大事な節目なのだった。
「ああ、もちろん。僕にとっても、成人して初めての公式行事だ。‥一緒に頑張ろう。」
**
「フェイリーのドレスの準備は出来ているかしら?」
「髪飾りはこちらで‥」
「あ、クレイン様と旦那様にはこちらのタイでお揃いに‥」
今日は家族総出のパーティーの出席ともなり、侍女をはじめグランシア家は右に左に大忙しである。
その様子を暇そうに見つめながら、クレインはため息をついた。
「はあ‥退屈だなー‥貴族ってめんどくさい行事ばかりだよね。無駄に堅苦しいみたいなやつ」
隣では、フェイリーも同様にあくびをかみ殺している。
「‥ねえ、毎朝ヘルトにー様たちといっしょにお稽古しているの?」
足をぶらつかせながらフェイリーが尋ねた。その様子を横目で見ながら、クレインは得意げに答えた。
「ふふふ~…そうだよ。まあ、まだフェイリーには早いんじゃない?お子様だから」
「は、早いってなによう!クレインだって子供じゃない!」
ぷくっと頬を膨らませたフェイリーは顔をふいっと横に向けた。
「‥楽しい?」
「…うん、もちろん。フェイリーも、ヘルト兄さまに頼んでみたら?…ほんとは、サンドラ姉さまとも仲良くなりたいんじゃないの?」
「…‥でも、お母様におこられちゃう」
つん、とそっぽを向いたまま気まずそうにフェイリーは答えた。
クレインは、毎朝出かけるときフェイリーがいつも窓の方をじっと見ているのを知っている。窓の先には庭園があるけれど、その向こうには本邸‥つまり、ヘルトとカサンドラがいるのだ。
「うーむ。僕としては…カサンドラ姉さまとフェイリーが仲良くなってくれたら…色々と楽なんだけどなあ」
少なくとも、今よりももっと四人で仲良く過ごせる時間が確実に増える。
そうすれば、いつか父様と母様も巻き込んで、家族全員笑顔でお茶会ができるのに。クレインは今日も頭を悩ませていた。
「‥あ。そうだ」
突如、クレインの眼にキラキラとした輝きが宿る。近くで警護に当たっていた護衛を軽く手招きをすると、フェイリーに気が付かれないようにこっそり部屋の外へ連れ出した。
「どうかなさいましたか?ぼっちゃま」
明るいオレンジ色の頭の護衛兵が背をかがめて尋ねた。彼の名前はコラン・レーネイ、幾人かいる護衛兵の中でも今年で14歳と、クレインに一番年齢が近く、とても仲が良い。
「‥で、… ‥して‥わかった?」
「…ええー…、そんな、無茶な…」
「大丈夫、コランのぶじはぼくが保証するから、ね?」
「…わかりました、クレイン様を信じます…」
クレインがすっと拳を突き出すと、コランもそれに応じてコツン、とぶつけ合い微笑んだ。
**
(ああ‥死ぬかと思った…)
侍女たちに囲まれ私はぐったりと椅子に座りながら、全ての身を任せていた。
初☆デビュー(?)ということで、侍女たちは張り切りまくった。張り切って、これでもかと張り切ってくれたおかげで、肌はすべすべ、髪の毛はふわふわ。自分でもわかるくらいに身体からなにやらいい香りが漂っている。
「ふうっ!こんなものでしょうかね?!」
ここ数日の早朝鍛錬のお陰で体力は大分元に戻ってきたし、がりがりだった身体も大分ましになったように思える。こうなると、本当に
「お美しくなられましたよね、お嬢様」
「‥そーね」
(自分じゃないみたい…いや、確かに最初から私じゃないんだけど)
「さ、できました!!」
なぜかわーっと歓声が上がる。…ほんと、この子たちは仲がいいわねえ。
用意されていた暁色のドレスに金色の靴に履き替えてエントランスに降りていくと、ヘルトが待っていてくれた。
「!…」
「ヘルト兄さまは、盛装ではありますけど‥制服姿なんですね」
「…」
「‥あのー?」
「あ‥ああ、そうだな。俺はそのままお前を会場に連れて行ったあとは仕事に戻る」
どこか気まずそうにあらぬ方向に顔を向けたヘルトは、すっと手を差し出した。
「‥お手を、カサンドラ・グランシア」
「は、はいぃッ?!」
一歩を踏み出そうとすると、がくん、ヒールのかかとに躓きそうになり、必死に壁に張り付いた。
「…おい、大丈夫か?」
「な、なんのこれしき!!ほ、ほほほっ。まだ体が本調子でなくて…」
(仕事でヒールを履く機会ってのは多かったけど…!こんな8cm高のヒールなんて履いたこたぁないわよ?!せめて4センチにしてよね?!)
「いや…無理するな。靴を履き替えた方がいいんじゃないのか?」
「そ…そうですね。いや、そうかも‥」
ああ‥やっぱりスニーカーに慣れた現代の人間がこんな世界に来るもんじゃないわ…。
この時ばかりは、なぜか無性に現代が恋しくなったのだ。
「準備は出来ましたかー‥あ!さすがですお姉さま!!とっても美しい!!」
「クレイン。走るな」
「王宮ではしっかりしますーう。」
にこにこと走ってきたクレインは、早速ヘルトに怒られていた。
「‥あれ?兄さま。兄さまはパーティーに出られないのですか‥?」
「ああ。俺はサンドラと入場はするが、その後は仕事に戻る。‥俺の代わりの嫡子として、皆を頼むぞ」
(そういえば‥どうしてだろう?)
グランシア家の後を継ぐのが公認されている嫡子なはずなのに‥ここ4か月くらい見ていても、ヘルトがどこかの夜会に出席したりするのを見たことがない。
(毎朝五時に起きて、私やクレインの面倒を見て…で、8時には出仕。帰宅は6時頃‥よほどの残業がなければそれ以上遅くなることはない。)
ヘルトのスケジュールは大体毎日こうである。
お陰で私は毎日あの広~い邸宅のなが~いテーブルで一人晩餐をすることはないのだが。彼はいたって真面目で、本当に感心しっぱなしだ。
何か理由があるのだろうか?
「…三人とも、何をぼさっとしている。行くぞ」
玄関の向こうでは、侯爵とタリア夫人が待っていた。
タリア夫人は、さすが、というべきか…立っているだけで周りが霞むくらいの威厳?のようなものがある。少し派手目に見える柄のドレスも、彼女が着ればまるで咲き誇る花のように見える。
(これが舞台女優の力?!)
すると、なんとなく目が合ってしまう。
彼女は一瞬何かをかみ殺したような表情を見せたが、視線はすっと外されてしまった。
「さあ行きましょう!僕は家族で出かけることができて、ホントに嬉しいんですよ!」
こうして、私は橋本真梨香ことカサンドラは、ついに社交界デビューにこぎつけたのである。