一夜明けて
『第一皇太子の帰還、新皇帝誕生』
栄えある建国記念日の翌日、このニュースは国中を駆け巡った。
同時に、ヒューベルト・アスク・ルベリアムと聖女ヴィヴィアン・ブラウナーの婚約もまた、大々的に報じられ、ふたりのロマンスに注目が集まった。
二人のロマンスは特に年頃の少女たちを夢中にさせ、それに乗じて、二人の出会いを題材にした小説や観劇などの製作が発表された。
そうして、国中が全体的にどこか浮かれたように華やいでいった。
しかし、その裏側では、第二皇太子の名声はまるで見えない力にかき消されていき、その存在すら最初からいなかったかのように失われていった。
ヘルトの助力でグランシア公爵邸に身を寄せているレアルドは、窓の外を見ながら大きくため息をついた。
「本当に、兄上と立場が逆転したな」
どこか自嘲的にそう呟いたレアルドを見ながら、ヘルトもまた短く息を吐いた。
「…今は、どうしようもありません。公爵閣下も動くべき時ではないとの判断を下しました。どうかご辛抱を」
「……すまない、ヘルト・グランシア。君には迷惑をかけてしまっているな」
どこかため息交じりにそう呟く姿を見ながら、ヘルトは自身の手を握りしめた。
(なぜ、こうなる…)
先日レアルドとカサンドラが持ってきた資料に一通り目を通してみた。
しかし、何かの実験が行われ、その経過と報告の詳細が書かれているものの、肝心な部分は根こそぎ失われてしまっていた。
結局、何が原因でこうも状況が変わってしまったのか、その理由すら見当もつかない状態だった。
「ユリウスは何かに気が付いた様子でしたが…」
昨日一通りレアルドとカサンドラ二人の話を聞いたのち、ユリウスはフォスターチ公爵に呼ばれたらしく、朝早く戻っていった。
「…ありがとう。そういえば、彼女は?」
「え?」
「今日は朝からカサンドラの姿を見ていないが」
「…あ それは」
**
「うーん、まだ熱は下がらないようですね」
「……ごほ」
アリーはそう言って心配そうに体温計を見つめた。
その日は、朝からカサンドラの様子がおかしかった。
どこかぼうっとしていて、身体が思うように動かず‥つまりは風邪を引いたらしいのだ。
(うう…寝込むのって、急激なビフォーアフター以来のこと?)
「だいじょーぶ…寝てれば治るわ」
「もう少ししたらお医者様もいらっしゃいますから!」
「うん、ありがと」
カサンドラは、以前超強力な毒薬であるアグレイトの実を食べて寝込んだ事を思い出す。しかしその時とは症状がまるで異なり、身体はだるく、食欲もない。
新しいタオルを取り換えてくるとのことで、アリーが退室すると、カサンドラは天井を見つめた。
「色々あったものね―…」
誰もないな寝台で横になりながら独り言ちると、どこからか猫姿のアードラが現れた。
「大丈夫?ご主人様」
「アードラ‥あんたは大丈夫なの?」
「うん、まあ平気」
「アードラにも話したりきいてもらわなきゃいけないことがあったんだけど‥、ごめん、今は無理」
先日あの廃神殿での出来事を思い出す。
カサンドラの写真が使われている以上他人事ではないので、それを調べる為に動くつもりでいたのに、こうなってしまっては動きようがない。
持ち帰った資料はレアルドがユリウスやヘルト達と協力し合いながら情報を集めてくれているので、その結果を待つしかない。
今は考えること自体が億劫で、頭が熱で朦朧としている為、これから先について考えがまとまらなかった。
「いいよ、寝てて」
「…あんまり あんたも無理 しちゃ…」
なんとなくぷにぷにとした肉球が顔に触れたような気がしたが、カサンドラはそのまま深い眠りに落ちてしまった。
「ほら、猫」
「!」
その寝顔をじっと見つめていると、アードラはひょいと、突然身体を持ち上げられてしまい、足をばたつかせた。驚いて振り替えると、そこにはユイナが立っていた。
「カサンドラは寝てるのよ。邪魔しちゃダメ」
「‥‥あんたも随分と丸くなったなあ」アードラが何気なく呟くと、ユイナは飛び上がって驚き、そのまま手を離してしまった。
「?!!」
「みぎゃっ」
フカフカの絨毯の上に落とされたせいか、痛みは感じないものの、アードラの尻尾は驚いて膨らんでしまった。
「う、う、ううう、嘘、猫がしゃべッ…」
「あー…そういや、猫の姿の方は初めてだったっけ?」
パッと人の姿に戻ると、ユイナの表情はみるみるうちにしおれていった。
「ああ、あんただったの…」
「何だよその顔。全く、可愛げのない奴」
「別にあんたに可愛げを求められてもね!…マリカ、大丈夫なの?」
聞きなれない名前にアードラは少し驚いた。
「マリカ?って…」
「あれ、その子の名前。カサンドラは、外側でしょ」
「……初めて聞いた」
ユイナは少しまずかったかな?とも考え、話題を変えた。
「ふ、ふうん?言いづらかったのかな。…それより大丈夫?ただの風邪、よね?」
「?なんでそんなことを聞くの?」
「昨日、帰ってきてから様子がおかしかったから…ユリウスともなんかあったみたいだし」
「ユリウス?」
その話題もまた、アードラの表情がさえない。
(ん?これも言わない方が…良かったかな)
「…昨日、大変だったみたいで。夜にマリカと遭遇したんだけど、ユリウスのジャケット片手にぼうっとしてて…、今思えば、風邪のせいかもしれないんだけど」
そう言って、ユイナはハンガーにかけてある薄紫色のパーティージャケットを指さした。
「ふーん…」
すると、おもむろにそれを取り出し、アードラは自分のジャケットを脱いでそれを羽織る。そして、そのままわざとらしくポーズを決めて見せた。
その姿は悠然としていて、どこか気品があるように見える。
ユイナは思わず拍手をした。
「似合う?」
「うん、うん!口を開かなければ童話の中の王子様みたい!」
「口を開かなければって‥まあ、良いけど。カサンドラが昨日着てたドレスってあれ?」
窓辺のトルソーが身に着けている、華やかな薄紫色のドレスを見た。
そのドレスを見ながら、少しだけ目を細める。
「…一緒に並んだら、僕の方が絶対似合うと思うんだけどなー」
「なあに、やきもち?」
「べっつにー?‥‥ちぇ。いいよな、ユリウスの奴」
「……そういうわけでもないみたいよ?」
「えっ?」
どこか含みのある言い方をするユイナに、思わずアードラは大げさに振り返った。
その表情を見ながら、ユイナは思わずにやりと笑った。
「何よ、やっぱり気になるんじゃないの。素直じゃないわね」
「うるさいよ、ユイナ。…で?」
「恋ってさ―…、追う方はそりゃあ全力で行けばいいけど、追われる方もそうとは限らないじゃない。むしろ、追われ過ぎると疲れてしまうと思わない?…安易に離れられないなら猶更」
聞く所によると、ユリウスとカサンドラは利害の一致の元に結ばれた仮の婚約だという。
「…追う方…」
「恋愛は恋して愛しあって成立するものでしょ。…片方だけじゃ、成り立たないじゃない。…それって、想像以上につらいことよ」
ユイナは思う。
自身がヴィヴィアンだった時、一番大変だったのは誰かひとりを選ぶことだった。
ユイナの場合は、ゲームの中に入ったと思っていたからこそ、冷酷にも非情にもなれた。
けれども、マリカさんは真面目そうだもんなあ、とこっそりため息をつく。
ひとりが真剣に彼女を口説こうとすればするほど、周りもヒートアップするのは当然のことだろう。でも、それをあしらうほどのスキルが彼女にはないわけで。
(うーん…あたしも仮とはいえ、ヴィヴィアンだったから分かるけど…余程の小悪魔か人を人とも思わない振る舞いをしないと、言い寄る男性たちをあしらうなんて、現実的には無理ゲーよね)
「…誰だって、好きな人には振り向いてもらいたいと思うじゃないか」
珍しく、アードラがどこか怒ったように呟いた。
「全員がそれでうまくいくなら、苦労はしないでしょ」
「……なんか、そのあたし分かってますーな感じ、腹立つなあ」
「当事者と第三者じゃ、見方は違うのよ」
ふふん、とどこか得意げに言うユイナに、アードラは少しむっとした。やがて大きな青い瞳にどこかからかいの光が浮かぶと、にやりと笑った。
「…良いよなー、ユイナはバルクがいるもんなー!…余裕だね?」
「か、彼は関係ないでしょ!今はあんたたちのはな…」
「ユイナ?」
「「!!!!」」
水を汲み終わって戻ってきたアリーにふたりは盛大に驚いた。
人間以外の生物になり損ねたアードラは、こそこそとカサンドラが寝ているベッドの脇に身を隠す。
「あれ?誰かと話してなかった?」
「え?!いいえ、さ、さっきまでカサンドラ様が起きてたから?!」
(あ、そう言えば眠ってなかったっけ?!)
見れば、カサンドラはすやすやと健やかな寝息をたてて眠っているようだった。
ほっとしていると、アリーもまた安堵したようににっこりと笑った。
「あ、良かった、眠ったのね。風邪の時って寝るのが一番いいっていうものね!あ、でもお医者様がいらしてるんだけど…」
「う?!う、うーーん。少し待ってからの方がいいんじゃない?!アリー先輩!」
「そうね、もう少ししたらお呼びしましょうか。伝えてくるね!」
いそいそとアリーが去り、扉がしっかりと閉められると、ユイナは胸をなでおろした。
「ちょっと!安易に人間にならないでよ!」
「うるさいな!バレなかったんならいいじゃないか!」
ぶつぶつ言いながらアードラが再び猫に戻ると、そっと寝ているカサンドラに寄り添った。
その様子を見ながら、ユイナはため息をつく。
「……あんたも大変ねえ」
「ほっとけ」
「言い忘れたけど」
「…なに」
「結局、好きな人に振り向いてもらうためには、追わないとどうしようもないよね。…想って、想い続けて…叶う恋もきっとあるはずよ。あたしはそう思う」
「フン、珍しくためになることを言うじゃないか」
彼女はこれから先、一体だれを選ぶんだろう。
本当に幸せになってくれればいい。ユイナはそんなことを考えた。




