熱情
外に出ると、穏やかな風が吹く夜の庭園を、ユリウスはカサンドラの手を取りながら歩いた。
秋にも差し掛かる今の時期ともなると、庭園の植物の種類は様相を変える。
(以前この庭園に訪れた時は‥春の花が美しかった)
季節によって植えられている花は変わり、今の季節は特に「ダリア」や「カルーナ」「コスモス」などが美しく、少しだけ冷たい夜風にさわさわと揺れている。
「…ごめんなさい」
「えっ?」
「せっかくいただいたドレス…汚れてしまいました」
「そんなこと‥」
そう言ってカサンドラは申し訳なさそうにドレスの裾をひらりと摘まんで見せた。
見れば、足元のフリルはすっかりと黒ずんでしまっている。すると足首に丁寧に結ばれた白いハンカチが目に入った。
「けがを‥されたのですか?!」
「はい。少し足をひねりましたが、問題はないです」
するりとハンカチをほどくと、確かに腫れもなく外傷もないようだった。
ほっと胸をなでおろすと、ハンカチに刻まれた王家の紋章を見つけた。
「そのハンカチはレアルド殿下が?」
「はい。…そうだ、あとで返さないと」
「…ずっと、殿下と二人きり、だったのですか?」
「え?」
そう思った瞬間、ユリウスは内側から薄氷でなぞられるような、ざわりとした不快感を感じた。
あまりにも自分の言葉が冷たく感じ、自分で驚く。
(私は何を‥)
ふと、胸の奥を掠めた黒い想いを気づかれぬように笑顔で誤魔化した。すると、少し冷たい風が吹き、カサンドラは両肩をさすった。
「!あ‥すみません。少し、寒いでしょう」
「あ、ありがとうございま‥」
ユリウスは着ていてたジャケットを脱いでカサンドラの肩にかけると、たまらずふわりと抱き着いた。
「!」
「‥あまり、危険なことはしないでって」
ぎゅっと腕に力を込めると、カサンドラは驚いたように身体を硬直させてしまう。
「す、すみません‥でも、今回はレアルド殿下もいて…」
彼女の口から出た言葉に、先ほど感じた不快感と共にどうしようもない程のいら立ちを感じた。
少し冷えたカサンドラの身体を両の腕で閉じ込めると、きつく抱き締めた。
「あなたは、どうしてそうなんでしょう」
「‥!」
その腕の中で、彼女は少し苦しそうにもがいた。
「今まで、ずっとレアルド殿下と二人きりでいた、なんて」
「…え」
「…私が、何も感じないとお思いですか!」
ふと、今まで見てきた、欲望にまみれた人間達の悪魔の顔の被り物が脳裏をかすめる。
どの悪魔も、醜く、汚い心を現したようなものばかりだった。
「は、離して!」
「…離しません。私以外の男性とずっと二人きりでいたというのに、私が何も感じないと…本気でそう思っているのですかっ?!」
「ユリウス‥っ」
自分は今どんな悪魔の仮面をかぶっているのだろうか?
(嫉妬、というのか…これが)
あまりにも傲慢で、身勝手だ。
その感情が嫌で、ユリウスは押さえつけていたカサンドラの身体をそっと解放した。
「すみません。…今日はもう、お疲れでしょう?」
「‥‥」
「部屋まで送ります…」
**
夜遅く、ユイナは今日一日の最後の仕事、廊下の燭台の明かりを消す作業をしていた。
この仕事は、どの部屋に何があるのか、邸の中を覚えやすいようにと、メイド長が任せてくれた仕事だった。
静寂に包まれた夜の廊下はどこか幻想的で、普段見れない景色がそこにある。
ユイナはこの作業が好きだった。
本日担当の最後の廊下のランプを一つずつ消していくと、向こうから歩いてくる人影に驚いた。
(?!レアルド様だ)
いっそ回れ右をしようかとも考えたが、そうなる前にばっちりと目が合ってしまった。
逃げることもできず、観念して深々と会釈をする。
「夜遅く、ご苦労様」
「い、いいえ!」
まさか話しかけてくるとは思っていなかったので、なるべく平静を装いながらユイナは答えた。
(身分の高い人と話すときは勝手に顔をあげないっていうルールがあってよかった)
どういう顔をしたらいいのか分からず、安堵をしていたが、次の瞬間それは打ち砕かれてしまった。
「顔をあげて。ここでは私はただの居候のようなものだから」
「?!い、居候だなんてとんでもない!!」
(…ヘンな所で真面目なのは相変わらずね)
ユイナがまだヴィヴィアンだった頃、レアルドとはよく二人きりで歩いていた。
正気が失われる前のレアルドは、真面目で正義感の強い、絵にかいたような王子様だった。
今思えば、その王子様像のようなものは自ら進んで演じていたのかもしれない。
実際、この世界に来たばかりのユイナにとっては、それが何よりも眩しく見えた。
(実際、ときめいてしまったのは本当だものね‥)
今となってみれば、どこまでが自分の意志なのかそうじゃないものなのか、判別がつかないが。
「君は、グランシア家に仕えて長いのか?」
「…いいえ。私は東の片田舎から、文通で仲良くさせていただいていたカサンドラ様の紹介でつい最近こちらに来たばかりです」
カサンドラとふたりで決めた裏設定がこうも早く役に立つとは。
「カサンドラと?‥そうか。彼女は面白い女性だね。彼女といると、色々なことに気づかされる」
「…そう、ですね。とても個性的な方だと思います」
実際、格闘を進んで勉強したり、トラブルを見つけるたびに自ら飛び込んでいくあのスタイルは誰にもまねできないだろう、とユイナは思った。
「‥‥人の心は変わるものだな」
「…?」
レアルドは窓を見やり、そっと呟いた。
(誰のことだろう?ていうか、これって独り言?答えた方がいいのかな)
「ある日突然、雷に打たれたように世界の全てがその人になることも、急激に冷めることもある」
「?!‥‥ぇえと」
これは流石に独り事ではないだろうと思いつつも、どう答えるべきか迷った。
「同様に、時間がたてばたつほど‥離れていた心は分かりにくく変わってしまい、それさえも幻のようにも感じてしまう」
そう言ったレアルドの表情は厳しいものだった。
眉間に深く皺をよせ、何かをこらえる表情に見える。
「あ、すまない。今のは聞き流してほしい」
「‥‥いえ、あの。…私の話になってしまうのですが、もしよければ聞いていただけますか?」
「?」
「その…私の故郷に、心を病んだ母がいました」
「お母さん?」
ユイナはそっと目を閉じる。
灰色の壁で囲われた遠いあの場所。
ユイナの母は、昔はやり手のキャリアウーマンだった。
大きな契約を持ってくるのは毎日のこと、稼ぎも多く、子供心にいつもきらきらしていた母の姿を思い出す。
けれども、ユイナが10歳になる頃、異変が生じだ。
母はある日突然、プツン、と何かがきれたように仕事をしなくなり、抱えていた仕事も雑務も全て放棄してしまったのだ。
…原因は父親の浮気だった。
よりにもよって父は母の部下である女性と不倫し、それが発覚したのだ。
「良き妻に、母親になろう。そうすれば、全て元に戻るはず」
と、そう考えた母は慣れない家事をこなし、父に尽くした。
でも、結局父の心は戻らず、ある雨の日に煙草を買いに行く、と言い残して二度と帰ってこなくなった。
そのあと、いくら探しても見つからず、同時に長い間不倫していた母の部下も姿を消した。
そうして、母は心を病んだ。
「…原因は、良くある話でありますが。母の精神状態は落ち着かず、いつも周囲に当たり散らしては、よく泣いていました」
「‥それで?」
「ある時は私を生まなければよかったと嘆き、ある時は全てを奪ったのはお前だ、と指をさして笑いました」
「‥‥」
―――女としての幸せを奪ったのは、お前を生んでしまったから!お前の代わりに私は仕事も愛も奪われてしまったんだ―――!
「言葉は人を傷つけ、傷つけられることに慣れた心は、何も感じなくなる。…最後には、ただ虚無感だけが残りました」
心が空っぽになり、ユイナはそれを埋めるようにゲームにはまり込んだ。
それでも、母は変わらずユイナを罵倒し続けた。
「母と私はお互いに罵り合い、傷つけあって‥もうどうすることもできない位修復不可能な関係になってしまったんです」
「そうか‥」
「私はここに来る時、母を棄ててきました。ひどい、と思われるでしょう。でも、そうすることで私は母の呪縛から放たれたんです」
(その呪縛が解かれた瞬間、私がどれだけ解放感を感じたのか、きっと誰にもわからない)
「…呪縛?」
「母と二人、一緒に居過ぎたせいでしょうか‥。最後には、まるで鏡を見ているような気持になってしまっていました。」
「鏡…」
その言葉に、レアルドの心は波のようにざわついた。
「その鏡に映る自分はまるで醜い自分の心を映しているような…本来はまるで違う人間なのに」
「…その気持ちは、少しわかる」
ぽつりとつぶやいた言葉には、深い何かがあるようだが、ユイナはつづけた。
「でも、こうして離れてわかったことがあるんです。」
「分かったこと?」
「私は母にはならない、…自分以外にはなれない」
「自分以外に、なれない」
それを確認したように呟くと、レアルドはふわりと笑った。
「ありがとう」
「え?」
「君が、私に一つの答えを教えてくれた」
そう、笑った姿をユイナは初めて見たような気がする。
(いつもどこか、張り付いたような笑顔だった)
するとレアルドはユイナに手を差し出した。
「‥よければ、私と握手をしてくれないか」
「握手?ですか‥??」
「なんとなく、こうしなければならない気がするんだ」
恐る恐る手を伸ばすと、レアルドはしっかりとユイナの手を握った。
「本当にありがとう。…君に会えてよかった」
「‥‥いいえ。こちらこそ」
もしかしたら。
もっと別の出会い方があったかもしれない。
もっと違う結果になっていたかもしれない。
本当にほんの一瞬、そんな思いが少しだけよぎった。




