涯ての楽園
暗闇の中、たいまつの灯りだけを頼りに奥へと進んで行く。
積み上げられた石の隙間から時折白い月明かりが差し込むと、その光を見てなんとなく安堵する。
暗い地下道を歩いて、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。
すたすたとカサンドラを背負って黙々と歩くレアルドの足取りは思いの他逞しく、ところどころ水で浸かっていた場所さえ軽々と超えてゆく。
しかし、豪華な刺繍が施されたレアルドのパーティー用のジャケットは最初は白く美しかったものがどんどん汚れていくのだが、白いものが汚れて行く様子というのは、見ててなんだか哀しく思えてしまう。
(あーあー…それ一着で一体どれくらいの価値があると思っているの‥‥)
長い沈黙の中、堪え切れずにカサンドラは口を開いた。
「レ、レアルド殿下。も、もう大丈夫で」
「気にしないでいい。恐らくもう少しすれば外に出られそうだから」
「どうしてわかるんですか?」
「以前騎士団より報告があった時の書類は全て目を通しておいたし、地図と内容はある程度は記憶しているつもりだ」
書類を?全部??
思わず声に出しそうになったのだが、王族というのは皆こういうものだろうか、とカサンドラは心から感嘆してしまった。
「凄い‥ですね。私は方向音痴なので、地図さえまともに見れるかどうかも怪しいです‥」
「さほどのことじゃない。覚えておいて損なことはないだろうから」
(あ、頭の出来が違うってこういう人のことを言うのね?!)
「‥グランシア令嬢。ひとつ聞いてもいいだろうか」
「カサンドラ、とお呼びください。どちらでも構いませんけれど」
「じゃあ、カサンドラ。‥‥あなたは兄のことをどう思う?」
「…ヒューベルト殿下ですか?」
「ああ」
突然の問に、カサンドラは思わず目を見開く。
以前聞いたノエルの話では、ラヴィとも一度会っているらしいが、質問の意図がなかなか読めずに困惑してしまった。
「…私は、元々ラヴィという男性と知り合いでした」
「?!‥ラヴィさんを知っているのか?」
「ええ。彼とは、その 友達だったんです。その友人とあまりにヒューベルト殿下が似ていますが‥でも違う方で。‥少し戸惑っています」
「‥‥彼と兄は‥‥」
「似て非なる者‥でしょう?」
「知っているのか?」
ぐるりとレアルドがこちらを振り向くと、彼の朱色の瞳が光を帯びた。
「こんなことを君に言ってもしょうがないことかもしれないが」
「‥どうぞ」
「私の記憶では、兄は8年前に一度亡くなっている筈なんだ」
「‥…」
やっぱり、という思いと共に、レアルドとヒューベルト、双方の気持を考えると、カサンドラの胸は少し痛んだ。
「レアルド殿下。…そう思っているのは、殿下だけではありません」
「‥‥そうなのか?」
「少なくとも、私の兄と、ユリウス卿、それにクロム卿とカシル公子もお気づきでいらっしゃいます。恐らく、それ以上の方も」
「そうか…、それを聞いて少し安心した」
「安心ですか?」
どこかすっきりした表情でレアルドは続けた。
「最悪、味方が誰一人もいない状況も想定していたから。…約束したんだ。途中で投げ出すわけにはいかない」
(約束…)
誰との約束だろうか?はっきりとそう告げた強い言葉には、カサンドラでは計り知れないような複雑な想いが感じ取れた。
でも、それはきっと‥もしかしたら、『今』のヒューベルトの願いなのかもしれない。
「殿下、とヒューベルト様は仲がよろしいんですね」
「レアルドでいいよ。…こうなれば、一蓮托生、というものだろう?」
「お、恐れ多いです」
「何を今さら」
レアルドは笑いながらそう言うと、闇の向こうにうっすらと見える光に目を凝らしてみる。
脇を流れる川の流れは早くなり、先に進むにつれて、鮮やかな緑色の水草などが増えてきた。つまりは、この地下道の終わりを意味する。
「もう少しで、外に出る筈」
「その先は?」
「その先については、調査書にも書かれてはいなかった」
さらに進むと、突如目の前に固い格子の様なものが道が行く手を遮る。
隙間から見える先は、どこかの森のような場所で、蛍が飛び交うような美しい場所だった。
「‥戻った方がいいんでしょうか」
「いや、この格子‥何か不思議な感じがする」
「不思議な感じ…」
言いながら、カサンドラは以前、マリカだった頃にプレイしたあのゲームを思い出す。
『ヘヴンス・ゲート』で唯一攻略を完了させたレアルドシナリオでは、暗殺イベントというものがあり、今の状況がそれに似ているのだ。
(‥レアルド暗殺イベントの続きなら、多分、この格子は王族の人にしか反応しない魔法の檻‥とかだった様な)
とは言え、あのゲームとこの世界の関連性は未だによくわからないので、その知識が果してこの状況に通用するものかどうかも疑問を感じる。
そんなことを考えて居ると、レアルドが触れた途端格子は簡単に外れてしまった。
「!!!!」
「…外れた…」
からん、と格子が外れた隙間から抜け出す。
レアルドの手を借りながら外に出ると、一歩踏み出した途端、身体がすっと軽くなるのを感じた。
「‥‥え」
「‥どういうことだ?」
どうやら、レアルドも同じ感覚だったようで思わず顔を見合わせてしまう。
「‥足が治ってる」
「君も感じたか。私も、先ほどできた擦り傷が治っていく」
カサンドラはその場で何度か飛んだり跳ねたりして見たが、もうどこも痛くもかゆくもない。むしろ、身体が軽くすら感じた。
「不思議…なんだか身体の調子がいいです!今なら悪者30人討ち位できそう!」
「い、意外と君は過激だな‥でも、確かに」
その場所はとても澄んだ空気に満ちているのだが、深閑としていて、人の気配をまるで感じない。
「この雰囲気…知ってる」
カサンドラは、一度ここと同じような空気の場所に訪れたことがある。
それは、海辺に佇むフォスターチ家の墓場。あの独特な空気に似ていた。
「ここは、もしかして」
レアルドはそう言うと、カサンドラを残してずんずんと先へ進んでしまった。
「あ。ちょっとま…っはあ~…」
追いかけようにも、足元は大理石のようなものが敷かれているのだが、隙間から腰までありそうな雑草がにょきにょきと生えている為、ヒールでは歩きにくい。
(うう。靴がヒールじゃなくて、普通のローファーでもあればいいのに)
危険はなさそうだし、ということで色んなものを諦めて靴を手で持ってはだしで歩き出す。
「!お。いい感じ」
思いの外ひんやりとした感触が気持よく、そのままななめに傾いた階段を慎重に登っていく。
ここはいずれも長年誰も手入れをしていないような状態のようだが、天に向かって建つ円柱はどれも造りがしっかりとしている。
草木は伸び放題あれ放題だが、そこまででひどいものではないように見える。
上まで行くと、更に長い回廊のようなものが伸びており、先を歩くレアルドの姿が目視で確認できた。
その先にあるのは、王都でよく見る女神神殿と同じような造りの円筒状の聖堂で、中央には『アロンダイト』の【A】の刻印がある。
ハルベルンの国章である一本の剣で象られた天秤の紋章、それにどこか不思議な表情でこちらを見つめる月桂樹の冠を被った女神の姿。
しかし、王都で見るアロンダイト象はどれも目隠しをしている筈なのだが、この女神は目を覆う布が見当たらない。
(違う神さまっていうわけでもなさそうだけど…)
先を行くレアルドに追いつくと、彼もまた目を隠していないアロンダイトの象を見上げていた。
「…この女神さまは白布で目を覆っていないのですね」
「過去、本当にずっと昔の時代‥女神アロンダイトはこのような像だったと聞いている、‥だが、何代か前の王の時代、神秘性を増すために女神にわざと布を被せたらしい。」
「人間て、随分勝手ですね。…どんなに信じていようと、都合のいいように事実を捻じ曲げる」
「‥君の言う通りだな。女神もさぞ失望したことだろう」
ここにきて、カサンドラはレアルドという人間性に初めて触れた気がした。
(てっきり、もっと怒るとか否定するとかするのかと思った)
「‥でも、私は女神様が目に見えぬものばかり信じず、心で見よ、という教えから白布で目を覆っている、という解釈も好きです」
「…同じようなことを兄にも言われたな」
「え?」
「いや、それよりここからは一緒にいこう」
レアルドがそう言って目を向けた先には、がっちりとした扉に閉ざされた神殿内部への入り口である。
「ほ、本気で進む気ですか‥」
「ああ、こうなったら、何があるのか興味がないかい?」
「正直ありますけど‥鍵が締まってるんじゃ」
レアルドは慎重にとか、様子を見て、などもなく一切躊躇わず扉の取っ手に手をかける。
「閉まっているな」
「…やっぱり、ここは諦めて」
ゴゴゴゴ…という地響きのような音が辺りに響き渡ると、扉は人ひとりやっと通れるようなすきまが開いた。
「…あいたな」
「ひらきましたねえ?!」
中は外側からは想像もつかない程も綺麗なままで、足元に続く深紅の絨毯も美しかった。
構わず進んで行くレアルドに続いていくと、幾重にも設置された扉は、二人を迎えるように次々と開いていく。
「…私の予想が正しければ、ここは女神が埋葬されたと言われる廃神殿だ」
「女神様の墓?!」
一応歴史書には、女神は存命していたと記録されているもの、心底眉唾ものだと信じていたので、カサンドラは赤面する思いだった。
(じ、実在していたのね…!)
そして最後の扉が開かれると、その先の光景に二人は眼を疑った。
そこは、王都にあるような聖殿とは異なり、祀られているのは、女神象でもなく、祭壇でもない。
がらんとした円形のホールの中心にあるのは、高さ3メートルほどはありそうな巨大な砂時計だった。
「砂時計…?」初めて見るものに、カサンドラが呆然と呟く。
静寂に包まれた場所で、輝く銀色の砂の落ちる音だけがさらさらと聞こえてくる。その音はどこか悲し気で、聞いているだけでなぜか切ない気持ちにさせられるのだった。




