建国記念日2・皇子の帰還
「すうう…は―――‥‥」
私は何度目か分からないけど、深呼吸をくりかえした。
実は今、ものすごく緊張している。
本日のスタイルは、髪飾りからドレス、足のつま先まで、今をときめく(?)我が婚約者様、ユリウス・フォスターチからのプレゼントである。
「はあ、落ち着け。サンドラ、お前らしくないぞ」
「いや、もうなんていうか‥こ、こういう規模の夜会ってほんっとに苦手で…」
同じ馬車に乗り込んだヘルトは、半ば呆れながらため息をつく。
今は王宮に向かう馬車の中。今夜は建国記念のパーティーがあるわけなのだが‥、グランシア公爵の命令でヘルトも礼服を着用している。
(いやー目の保養。現実逃避にはもってこいの敬愛するお兄様の礼服姿なわけだけど)
それよりも今は自分に襲い掛かるプレッシャーの方がキツイ。
形式上とはいえ、ユリウスの婚約者として出るわなんて、初めてだもの。
別にユリウスが嫌いだから、とかそういうわけではない。
むしろ、360度どこを見ても素敵だし、性格だってちょっと腹黒いけど害はないし、親切だし‥。身分もきちんとしてるし、文句があるはずもない。
私に対しても、好感を持って‥って。実はそれが一番困る。
とどのつまりは、私が恋愛初心者過ぎて‥もう好きって何だっけ?みたいな小学生レベルの疑問符が頭に浮かんでくるばかり。
ついでに言うと、今着ているドレス一式がその婚約者様からの贈り物ってのも、落ち着かない要因の一つで、気恥ずかしいったらありゃしない。
今日のデザインは、薄紫色をベースのデコルテデザインで、シフォンフリルのドレス、胸元にはこれまたユリウスが選んだ宝石のついたパールネックレス。
カラーリングからして意外とロマンチストなのね、とか思うわけだが。そんな冷静な感想は第三者目線だからできること。
普段から、ドレスや装飾品を自分で選んだことはない。
いや、何着たらいいのか分かんないし、マダムのデザインはどれも素敵だから、私が何か言うことはないのだ。
何にしたって、こういうドレスはいつになっても着慣れない。それも人から贈られたものなど猶更だ。
これを着て贈ってくれた本人と会うとか、恥ずかしくて死にそうだ。
「いいから、落ち着け。ほら、着いたぞ」
「…はぁい…」
馬車から降りるとき、すっとヘルトから出された手を取ると、私を落ち着かせるためか、彼の手に少しだけ力がこもる。
「大丈夫だ」
「ありがとう‥」
真っすぐ私を見て微笑むそのヘルトを見て、なんだか少し落ち着いた。
これって早朝訓練のヘルトトレーナー効果かもしれない。
「サンドラ姉さま!相変わらずお美しい!!」
「‥‥クレイン」
馬車を降りた途端、クレインがにこにことこちらに向かって走ってきた。
フェイリーはタリア婦人と公爵両方の手を握り、とてもうれしそうだ。
なんだか、当たり前の光景かもしれないのだけど、私はどこか不思議な気持ちでその光景を見ていた。
「どうした?」
隣に立つヘルトが心配そうに顔を覗き込む。
「あっ。‥ええと、少し不思議で」
「不思議?」
「だって、こうして家族みんなで歩いてるって言うのが。…その、なんていうか」
橋本真梨香では絶対に見ることが出来ない景色だった。
それがどこかもどかしくて、少しだけ切ない。
すると、ヘルトは私の手をにぎゅっと握りしめた。私は思わずその顔を見上げ、どきりとした。
「!」
何も言わずにただ私に向かって優しく笑っているのだけど‥その笑顔がとても綺麗で、目が離せなくなる。普段から表情が乏しい分新鮮だ。
(う、…そういう顔はずるい)
やがて、その手がするりとほどけると、ヘルトはほんの一瞬、すっと目が鋭くなる。
「カサンドラ様」
「あ、ユリウス様‥」
ユリウスはいつものように穏やかな笑みを浮かべて、こちらにやってくると、私の手を取り口づけた。
「とてもお似合いです。‥貴女にはやはり、濃い色よりも淡い色の方が、より美しさを際立たせる」
「…ッあ ありがとう ございますっ。こんな美しいドレスを用意していただいて」
「今日は国を祝う大事な日ではありますが、同時に私にとっては初めて貴方の側にいる権利を存分に使うことのできる機会ですから」
(ユリウスの方がよほど美しいです…)
こ、こんな美しい人からそんな甘い言葉を捧げてもらえる日が来るとは‥。
それにしても、今日に限ってユリウスはすごく私との距離を詰めてくる。触れるか触れないかのギリギリのところで、私の意識も吹っ飛びそうだった。じわりじわりと距離を作りながら、私はなんとか正気を保った。
「そ、そんな大げさな。あ はは…。そう言えば、今日は公爵様は?」
「‥父は既に入城し、サロンに行かれています。兄たちは‥ふふ、なにやら体調がすぐれないようですよ」
フォスターチには、現在投獄中の次男と、長男がいる筈なのだけど。
次男は分かるとして‥長男は??
「まあ、そういう日もあるというところだろう」
「??何故ヘルトが答えるのですか?」
「‥まあまあ、では、行きましょう?」
ユリウスはグランシア公爵夫妻と二、三会話をした後再び私の手を取り歩き出した。
**
「‥…」
ふたりを見送りながら、ヘルトの手に少し力がこもる。するとふわりと暖かいものが冷たく強張った手を包み、驚いて振り返った。
「ヘルト兄さま、怒ってる?‥少しこわいかお」
「‥大丈夫だ、フェイリー。さあ、俺たちも行くとしようか」
「うん!」
会場に入ると、途端にグランシア公爵家一行の周りに人垣ができる。
「あらあら、まあ、なんと言うことでしょう!ヘルト殿が夜会に‥」
「どなたかと婚約を?趣味は…」
「まあ、こんな立派なご嫡子がいらっしゃるのなら、公爵も安心でしょう?それで、ご結婚のご予定は?どれ、ここはぜひうちの娘と一曲…」
不躾な質問が飛び交う中、ヘルトはひとりひとりに張り付いた愛想笑いで対応していた。
そんな様子を遠巻きに見ながら、フラムベルグ家三女、リンジー・フラムベルグ嬢はため息をついた。
「‥‥貴族っていやよねえ。あ、うちの野獣姉まで突撃してる。…ヘルト小公爵様に同情するわ」
「…あの人なら、しょうがないよ」
一通り自身の対応を終えたカシルは、レイヴンを伴い、リンジーの元にやってきた。
「あら、ついに負けを認めたのね―カシル」
「目標は大きく持つべきだと思うけど、僕だって身の丈に合わない勝負はしないよ‥そ、そういえば、カサンドラ様は?」
どこかそわそわした様子でカシルが辺りを見まわす。
すると、もう一つ大きな人垣を発見した。その中心にいるのは、カサンドラで、その隣をまるで防壁のようにキープしているユリウスの姿が目に入った。
「あっちもあっちで凄いわねえ。後でお話に行こ―っと!」
「ぼ、僕も…ん?どうしたの、レイヴン」
となりを歩くレイヴンはどこか落ち着かない様子で辺りを見渡していた。
「いや…今日は、レアルド殿下の姿が見えないと思って。‥てっきりヴィヴィアンと一緒に入場するのかと思っていたのだけど」
「え。あの二人、付き合ってるの?」
「…多分、でもわからない。最近は彼女の姿を見ていないから」
「ああ、そういえば体調不良でここ数日休んでいらっしゃるとか」
すると、王宮の大広間に甲高いファンファーレが鳴り響く。
その場にいた全員の視線が一斉に集中する。
「皇帝陛下御夫妻、並びに第一皇太子殿下、ヴィヴィアン・ブラウナー嬢ご入場です」
瞬間、会場全体がざわりとどよめく。
通常であれば、皇帝陛下の家族と並列して入場できる者がいるのはおかしい。しかも、今回アナウンスされた中に、レアルド皇太子の名前がない。
「第一皇太子殿下‥?聖女様まで…」
「第二皇太子殿下ではなくて?」
カシルとレイヴンは思わず顔を見合わせた。
「‥皆の者、顔をあげよ」
全員が顔をあげると、ある者は驚愕し、ある者は興味深そうにその姿を見た。
すらりと高い長身に、皇帝陛下と同じ白金の髪に黄金の瞳。
「まあ、あの方は‥」
「随分と久しぶりだこと」
白い礼服姿の皇太子殿下はふわりと微笑むと、年頃の娘たちの胸をときめかせた。しかし、隣に親し気に並ぶ聖女ヴィヴィアンの姿を見て落胆のため息をつく。
カサンドラもまた、例外ではなく驚愕し、思わず言葉を失った。
(‥…あれは、ラヴィ…いいえ、ヒューベルト?!)
「…あの方をご存じですか、カサンドラ様」
「あ、い いえ。少し、驚いてしまって」
「‥‥なぜ、彼は…?」
ある者は、彼は留学中だったと言葉にし、ある者は彼は病気がちでいらっしゃったなどと口にする。ただ、ほとんどの人物が彼の存在を認識していなかった。
ざわざわと不協和音のように会場がざわめく中、ただ一人ヘルトだけは動じることなくその姿を見つめていた。
(…一体、何をなさるおつもりですか?ヒューベルト殿下)
「つい先日まで他国に留学中の我が息子がこうして帰ってきたことを‥女神に感謝を捧げよう!」
持っていた金色のグラスを高く掲げると、その場にいる全員がそれに倣う。
その様子をレアルドは、会場を見渡せる二階席でずっと見つめていた。
「目で見た真実だけを信じろ‥か」
実は、レアルドはつい先ほど、入城前に兄の存在を父から打ち明けられた。
父も母も、ただにこにこと笑っており、留学先から無事帰ってきて良かった、お前も嬉しいだろう?とばかり繰り返し、こちらの話をまるで聞こうとはしなかった。
気が付いた時にはいつの間にか周りに人間も同様の反応を示しており、全員が兄の帰還を喜んでいた。‥8年前の事故など、兄の死などまるでなかったことのように。
(兄は何も言わず、ただ黙って微笑むのみ。‥何を考えているのかまるで見当がつかない)
そして久しぶりに見た聖女ヴィヴィアンは、以前とはまるで違う様子で、兄の側に長年寄り添った恋人同士のように当然のごとくいる。その様子を複雑な気持ちで見やり、静かに首を振る。
「私が見た真実は、昨日あなたが私に明かしてくれた。私はそれを信じます。‥兄上」




