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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

息継ぐ道 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ……ぷはっ、どうにか今日はこれくらいかな。

 うーん、もう少しで25メートル泳ぎ切れそうなんだけど、どうにも息継ぎがうまくいってないのかなあ。鼻とか口に入る水が痛くて、辛くて……とってもじゃないけど、やってらんないっす。

 こーちゃんはいいねえ。泳ぎが達者な一員でさ。何キロも遠泳するとか、僕なんかには果てしない旅としか思えないけど、こーちゃんにはどんな世界が見えてんのさ?

 あ、でもね。泳ぎが達者だっていっても油断は禁物だよ。水の流れはもちろん、もっとやばいものに出くわしてしまうこともあるんだってさ。

 ひとつ、水に関する奇妙な話を聞いてみないかい?



 むかしむかしの、ある村でのこと。

 堤防を修理していた人夫のひとりが、誤って川の中へ落ちて流されてしまった。

 流れが速く、その危険性は多くの人が認知していた。男は五里(約20キロ)離れた下流で見つかり、発見した当初はもはや息がないものだと思われていたらしいんだ。身体も水の中に沈んでいた割に、かなり軽かったとか。

 だが彼は、生きていた。家へ運ばれてから目を覚ました彼は、不思議な話をしてくれた。自分は竜宮を見たのかもしれない、とね


 確かに落下した直後は、まともに手足も動かせないほど、勢いのある流れにもまれてしまった。顔を水面に出すこともかなわず、あっという間に体の中の空気は、あぶくとなって絞り出される。

 男も死を覚悟したらしい。あとは流木につかまるか、垂れ下がっている枝へ奇跡的に引っかかるかくらいしか期待できない……苦しさを増していく意識で、かろうじてそう考え始めた矢先のこと。


 どぷんと、流れを外れて自分の体が、勝手に沈み込んだ。

 勢いを殺され、落ち着きを取り戻した視界に映ったのは、底が確認できないほどの深いくぼちの姿だった。足がつかないのはこれまでの川も同じだったが、一瞬、海まで流されてしまったかと思ったほどらしい。

 そして、顔を傾けた先では、不思議と息をすることができたらしい。顔は先ほどより水深くを向き、一片たりとも吸える空気などないはず。なのに、鼻を伝って入ってくるのは水ではなく、外気の涼しさ、心地よさだったとか。

 そしていくら泳いでも、手足の疲れを一切感じなかったとも。


 試しに顔を上へ向けてみる。たちまち、首をもがんとするほどの流れが襲い掛かってきた。もちろん、息をすることなど思いもよらない。

 対して、下を向くとどうだ。どうやら男の顏ひとつ分ほどの幅で、息のできる空間が長く続いている。

 かの空気の道は目で見ることはできない。代わりに、わずかにでも外れればたちまち息苦しさが襲い掛かってくる。それを目印として、男は息を継ぐことのできる道を辿り、泳いでいった。それはひたすらに沈んでいく道で、本来、浮かび上がるべき水面はどんどん遠ざかってしまったとか。

 

 だいぶ深くまで潜ったが、川底の姿は見えない。汚物がはるか上方の水流に流されているためか、男の前には、妙に澄んだ水中の景色が広がっている。

 泳ぐ男の腹の下では、背の高い水草が原っぱのように続いていた。男がたどる空気の道は、その中へ潜っていく気配を見せない。ここしばらくは浮きも沈みもせず、真っすぐ続いている。

 もうどれくらい泳いだか、男には感覚がない。疲れがなく、水面へ顔を出さなくて良いからだ。周りの景色を確かめられず、自分がどこにいるのか分からなかった。

 自ら浮かび上がることも考えたが、それも難しい。息の苦しさにくわえ、今度は頭にかゆみらしきものが走り、身体の節々に痛みを感じ始めてしまうんだ。強いめまいすら覚え、絶えられずに、空気の道へ身体を引き戻してしまう。


 ――もしこのまま浮くことが叶わなくば、自分は竜宮へ行くのだろうか。


 頭に浮かんだのは、おとぎ話の一話。

 亀に乗ったか、自力で泳ぐかの違いはあれど、どちらも水底深く潜っていくことに違いはない。

 

 ――もし竜宮へたどり着けたなら、自分はどうするべきだろうか。すぐに引き返したなら、自分の生きている時間に戻れるのだろうか。

 

 ぼんやりと夢想する彼の目が、ふと水と草以外の新しい影を捉えた。

 

 それは魚の影のように思えた。尾ひれをしきりに左右へ振り、ずっと前方を泳いでいるようだ。やがて魚は大きく右へ曲がり、男はそれとは逆方向へ顔を向けるが、とたんに水が一気に鼻の中へ突っ込んでくる。

 空気の道から外れたんだ。軌道を直し、楽になれる向きを探す。やがてそれは、魚の去っていった方向だと判明したらしい。

 魚の動きは遅かった。男がいくらも水をかかないうちに、また尾ひれの影が見えてくる。

 そして魚が向きを変えるたび、空気の道もそちらに沿って曲がっていくことも分かった。

 

 あの魚が、空気の道の源。そう察した男は、そっと魚の後をつけていくよりなかった。

 もはや浮き沈みのみならず、後戻りもできない。後ろを向けたとしても、今度はうわばみに巻きつかれ、身体中を締め上げられるような痛みに襲われるからだ。

 魚の先導は、じょじょにその速さを緩めていっているらしい。たちまち間合いをつめてしまった男は、はじめてこの魚の巨体に気がついた。

 尾ひれより少し先までは、コイなどと変わらない太さ。それがある場所から、ぶっくりと膨れる。横になった男の幅より広いのでは、と思うほどの均衡のなさ。


 先に自分が想像した、うわばみの影がちらつく。

 蛇は獲物を丸呑みするが、それを食べた直後は大きく腹が膨れる。元々の細い身体と食べた獲物による皮の膨張が、奇異な見た目を生み出すとも。

 もし、いまの自分が直面している事態も、それと同じだとしたら……。


 考えたときには、もう遅い。

 尾ひれの動きがぴたりと止まったかと思うと、今度は縦方向に触れ始めたんだ。向きも変えず、尾ひれを縦に振るさまなど、男は初めて見た。

 身体が勝手に吸い込まれていく。男はすでに泳ぐことを止めていたが、そんなことはお構いなしだった。腕を逆向きへかいての抵抗は、ほとんど意味を成さない。

 男は身体ごと、魚へ突っ込んでしまった。そうして真っ暗になった景色は、魚の腹の中か。自分の目がオシャカになったせいか。息はできるものの、同時に背後を向いたとき以上の身体の締め付けを覚え、男は気を失ってしまった……。


 そこからの記憶はあいまいで、次に目を覚ましたときはここだったという。

 一息に話し、彼は少し飲み水を所望した。話を聞き、元気そうだと安心した人々は席を立ちかけたが、お椀に口をつけた彼を見るや、驚いて足を止めてしまう。

 ごくりとのどを鳴らした彼が、急に苦しみ出したんだ。かすれた悲鳴をあげると共に、そのまたぐらが、どんどん濡れていく。

 尿ではなかった。特有の臭いはなく、代わりににじんできたものは、かすかに赤みがかかっている。その場に控えていた医者によると、血が混ざっているようだと判断された。


 彼は以降、水を含めたあらゆるものを取り入れることができなかったらしい。

 寝たきりで過ごす彼は、水だろうとおじやだろうと、飲み下した端から、あっという間に下の口から飛び出してきてしまう。柔らかくなった米粒も、ほぼそのまま流れ出てきて、ろくに腹の中へ留まらない。

 飲み食いがまともにできなくなった彼は、手厚い看護も空しく、数日後に息を引き取ってしまった。

 医師が遺族の許しを得て、彼の身体を解剖してみたところ、本来中におさまっているべき臓器のひとつひとつは、ほとんど目で見えないほどしぼんでいたらしい。そして開かれた身体のあちらこちらには、これらに収まりきらなかったと思われる、米粒の姿が見受けられたとか。

 

 彼のいう空気の道。いや、厳密には空気すら怪しいが、きっとその生き物出すものを吸い込みすぎて、身体の内側が潰されてしまったのだろうな。

 それすら気づかないほどの、心地よさに包まれながね。



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