幕間2 追想
ユウキ・シェリングは惑星シュライクの衛星、アカシアの居住区に産まれた。
当時、アカシアには複数の『街』があり、ユウキが産まれたのは、2番目の規模をもつ『パルム』という街であった。
シェリング家がアウディアに移住したのは祖父の代だ。
祖父は作業機械のメンテナンスなどを行う技術者であり、アウディアが掲げる政策に賛同したというよりも、割の良い仕事を求めて移住を決意したと聞いている。
当時――今もそうだが――アウディア政府は多産を奨励しており、祖父と祖母の間には3人の男児が産まれた。
その末っ子がユウキの父親である。
気楽な三男坊は大学在学中に出会ったテイクアウト形式のランチショップ――平たく言えば弁当屋――の娘と恋に落ち、色々とすったもんだの末、養子としてその店を継ぐこととなる。
その店こそが、ユウキが生まれ育った家だった。
店はそれなりに繁盛しており、貧しいと感じたことは一度もなかった。むしろ、店が忙しい時間帯には両親だけでは手が足りなくなり、ユウキと二人の兄は子供の頃から店の手伝いをしなければならないくらいであった。
ユウキも、ハイスクールに入るころには店の全てのメニューをそらで調理できたし、弁当の単価も完璧に暗記していた。
アウディア人は、資材が乏しい中、自給自足で国を造り上げてきたという歴史から、他力本願とは無縁の性格を持ち、基本的に勤勉で努力家である。
また、アウディア建国に関連したとある科学者の影響から、厳しい環境下に自己を置くことを厭わない。厳しい環境に身を置き、努力を怠らないことで、より強い子孫が産まれると信じている。
そうした思想の下、学校や職場を含む各コミュニティーにおいて、健全な身体を育むためにスポーツが盛んに行われていた。
ユウキは、ミドルスクールまでは、2番目の兄とともにバスケットボールに熱中していたのだが、ハイスクールに進級したのを機に、空手を始めた。
武道は、心身の鍛錬手段としてアウディア人に特に人気があったが、ユウキ自身はそのようなことを全く気にしておらず、単にハイスクールの空手部の勧誘をしていた女子生徒が可愛かったから、といういささか軟派な理由で選んだ部活動であった。
しかし、やり始めてみると、正々堂々と他者と勝負して勝利する喜び、自身の身体が目に見えて強化されてゆく快感、そして空手の理念や礼儀作法を通じた健全な精神の涵養など、空手の魅力を実感し、すっかりのめり込んでしまった。
その空手部には、ジュニアスクールから空手を続けている同級生が一人おり、ユウキは組手(試合形式の稽古)では全く歯が立たなかった。
このころユウキは17歳、負けて笑っていられるほど人間ができていなかった。
あのエリートっぽい同級生になんとか一矢報いようと、今まで以上に稽古に取り組んだ。
だが届かなかった。
ユウキは、自分には才能が無いのかもしれない、と悩むようになる。
稽古のメニューを見ても明らかに自分の方が努力している。これで届かないのは才能の差ではないのか。
悩んでいたユウキは、店の手伝いで唐揚げを揚げている時、うっかり悩みを口に出してしまった。「自分には才能がないのだろうか」と……。
父親はそれを聞くと、逆に質問を返してきた。
「ユウキ、お前は誰の子だ?」
何を今さら。キャベツ畑で拾ってきたとでも言うつもりか、などと思いながらも、素直に父と母の子であると答えた。
すると父親は破顔し、
「そうだ、お前は儂とかーちゃんの子だ。お前、儂とかーちゃん見て受け継げるような才能があると思うか? お前に才能なんて立派なものがあるわけないだろう!」
そう言って夫婦そろって爆笑した……。
「チックショー!!」と叫びながら家を飛び出したのは、今思えば若気の至りである。
納得できないユウキは、今度は兄に聞いてみることにした。といっても長男のハルキは父親と同じタイプで、努力の量こそが成否を分けると信じている男なので、有効なアドバイスは貰えなさそうだった。
一方、次男のヒデキは、要領が良く、何事につけてもコツを掴むのが上手い男だった。聞くならこちらである。
次兄は既に大学に通うため自宅を離れて独り暮らしをしていたため、帰省した時に聞いてみた。
突然の質問を受けた次兄は、父と同様、答えより先に質問を返してきた。
「ユウキ、なぜそれを俺に聞こうと思った?」
ユウキは正直に答えた。
「兄貴は要領良いから。ハル兄みたいに『努力の量がすべてだ』とか言わなそうだと思って」
次兄は少し考えると、以外なことを言った。
「俺も兄貴が言っていることは正しいと思うぞ。結局どれだけ努力したかが重要だよ」
「えぇっ、でもヒデ兄は……」
「楽して成功してるように見えたか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「いいんだ。実際、俺は親父や兄貴みたいに時間かけてじっくり努力するのは嫌いたからな」
「うん、そんな感じがする」
「努力した時間が結果に響く? そんなこと言ってたら遊ぶ時間もバスケやる時間もとれんじゃないか」
「そうだろうね」
「だから俺は努力しないでいい方法を考えた。授業に集中して、必要なことは授業中に覚えた。休憩時間にも友達が話していることを聞いておいて、役に立つことがあれば覚えた。バスやトラムの中でもそうだ。世間話の中にも役に立つことは一杯あるからな」
「……」
「バスケでもそうだ、上手いやつが練習してる時はよく見た。どうやったらそんなに上手くできるのか考えたし、人にも尋ねた。俺はそうやって効率良く上達する能力を鍛えて自分の時間を作ったんだ」
「へぇー」
「でもな、自分の時間が取れるようになったころにな、クラスの嫌なヤツに言われたんだよ。『才能あるやつはいいよな』って」
ヒデキの説明に力が入る。
「そん時俺は何を考えたと思う? 『お前は授業中に居眠りこいてるだろう』、『トラムに乗ってる間も馬鹿話ばっかりやってるじゃないか』、『お前は俺と同じ工夫をしたのか?』、『俺と同じ努力をしたのか?』って考えちまったんだ」
ユウキは無言で聞き入ってしまった。
「結局、俺がやったのは、努力する時間をずらしたり、ちょっとばかり『努力の効率化』をしただけだったんだ。その時に、親父や兄貴の言うことは間違っちゃいないと思ったんだよ」
ヒデキはそこまで語ると、ユウキに真面目な顔を向けて言った。
「俺もこの歳だ。『努力したら必ず報われる』なんて理想を信じるほどお花畑な頭はしていない。何をやってもダメな時ってのは絶対にある。だがなユウキ。実際に成功を手にした人間ってヤツは、皆努力したヤツらだ。楽して成功してる奴がいるなら、そいつは隠れて努力してるか、昔に努力したかのどちらかだ」
「でも、天才ってヤツはいるんじゃないの?」
「まだ俺は会ったことがないが、多分いるんだろうな。でも、そんなイレギュラーなヤツのこと考えてもしょうがないさ。俺たちは天才じゃないんだから」
「ま、そりゃ確かに」
「それにな、才能なんて話を持ち出すのは科学の世界に『神』を持ち出すのと同じことだ」
「???」
ヒデキは、理解力の足りない生徒にやや苛立った顔を見せたが、解説はしてくれた。
「つまりそこで思考停止ってことだよ。『神が定めた』、『才能がない』、どちらもそれを言った時点でその先には進めなくなる」
「自分には才能があると思って努力し続けるしかないってことか……」
「俺にもわからん。だがな、覚えておけよ、ユウキ。努力して成功したヤツに『才能ある人は良いですね』なんてことを言ったら……」
ヒデキは少し間を置いてから静かに言った。
「返ってくるのは軽蔑だけだぞ」
ヒデキのアドバイスを受けてからも、ユウキの空手の腕はライバルには届かなかった。何が足りないのか悩みつつ、ユウキは今日も店の厨房に立っている。
「ユウキ! トンカツ2つ入ったぞ」
「あいよ」
冷蔵庫から豚肉の塊を取りだし、肉切り包丁を持つ。ノーマルのトンカツ弁当なら一枚250グラムだ。肉の大きさを計算に入れつつ、感覚で厚さを決めて切り、父に渡す。
流れ作業でそこまでやって、ポテトサラダの仕込みに戻る。
「ユウキ、ちょっと見てみろ」
父の声に振り向くと、自分が切った豚肉を手に難しい顔をしている。
父は無言で2枚の肉を順に計量器に乗せた。
250.8グラムと249.9グラムだった。
「許容範囲だろ? 何かまずかった?」
「いや、そうじゃない。今お前計らずにこれ切ったろ?」
「うん」
「こんなことができるヤツはそうそういないんじゃないか?」
言われてみたらそうかもしれない。しかし……
「毎日やってりゃ自然に覚えるよ」
「そうだな」
頷きながら、豚肉を油に滑り込ませる父。
「前にお前が言ってた空手の話な」
「なんだよ、急に」
「相手はジュニアスクールの頃からやってたって言ったろ」
「そうだよ」
「さっきの肉の話と同じなんじゃないか」
「……」
「才能とか関係ないよな? 単に経験の差ってヤツじゃないのか?」
そうかもしれない。
「いいじゃないか、お前に才能が無いのはもうわかってるんだ」
父はさらりと聞き捨てならないことを言った。
「ってことは、今後お前が成し遂げることは、全てお前の努力の成果だな。才能なんてわけのわからないものは関係ないさ」
「そういう考えもありかもな。ってことで、努力の成果だ。味見して」
ユウキは出来上がったポテトサラダのボウルを父に渡した。
味見した父の評価は「悪くない」だった。
父のアドバイスを受けたユウキは、才能云々のことは考えないことにし、再び稽古に熱中した。
ユウキの空手の腕はさらに上達したが、それでもライバルには届かない。
「相手もお前と同じように努力しとるんだ。相手と同じ距離を進んでるだけじゃいつまで経っても追い付かんよ」
と父が言うが、そんなことはわかっている。
追う者は前に見本があるのだ、兄のアドバイスにもあったではないか、よく観察し、良いところを盗み、コツを掴めばいい。
ユウキは、ライバルの稽古をよく観察することにした。体の使い方、呼吸、間合いの取り方など、学ぶべき所はたくさんあった。
ただ、それをすぐに実践できるほどユウキは器用ではなかった。やってみる、失敗する、直す、やってみる、また失敗する、の繰り返しだ。
そうしてストイックに稽古に励む姿に熱い視線を送る女子生徒もいたが、愚直を絵に描いた男であるユウキは相当に無神経かつ唐変木であり、気づくことはなかった。
そうして稽古に励んだユウキは、ハイスクール卒業前には、ライバル相手に組手をやっても3本に1本はとれる程には成長していた。
そんなこんなで、ユウキはハイスクール時代を空手とともに過ごした。
同級生達からの評判は、『真面目な堅物ではあるが、話の分かる男』というもので、親しい友人も結構いた。
進路を決める段になって、ユウキは、はたと気づいた。空手のことしか考えていなかったので、進路のことを何も考えていなかった。
但し、進学するのか、就職するのかという点では悩む余地はなかった。両親は好きにすれば良いと言ってくれたが、次兄のヒデキが大学に在学中であり、家計のことを考えると大学進学という進路は選べなかった。
なお、実家の弁当屋については、長兄が継ぐことが決定していたので、気にする必要は全く無い。
就職活動を始めるに際して、自身の強み・アピールポイントを知るために自己分析してみたところ、『空手ができる』『空手をに打ち込んできました』しか思い浮かばない。
そこで、開き直って空手道を活かせる職場を探してみた。
空手道を活かせる職場……警察官? 警備員? 迷っていた時に見つけたのが、針路指導室の片隅に張られたアウディア宇宙軍の募集ポスターだった。
深刻な人手不足に陥っていたアウディア宇宙軍は、ハイスクールに対しても必死で募集活動を行っていたのだ。
ユウキはそのポスターを見て、就職先としてのアウディア宇宙軍のことを考えてみた。
長所としては、安定した収入、充実した福利厚生、そして就職中に取得できる資格が多いこと。
短所としては、命を失う危険が他の職種と比べて多いこと、規律に縛られ、相対的に自由が少ないこと、職場が宇宙空間限定となるため、惑星シュライクに住めないことなど。
但し、短所の内、命を失う危険性については、戦争にならない限りそれほど考慮する必要はないだろう。
アウディアはこの先数十年――場合によっては100年以上――惑星シュライクの開発に集中する。
当然、アウディアが他国に戦争をしかける可能性はほとんど無い。
つまり、軍人になったとしても、自身が戦場に送り込まれる可能性は非常に低いということだ。
惑星シュライクに住めないことについても、ユウキ自身、惑星への移住についてそれほど強い希望を持っていないため、さほど問題にならない。
長所と短所を比較して、それほど悪い仕事だとは思えなかった。
採用に際しては、空手という武道をやっていたこともプラスに働くだろう。
さらに、害意を持つ者を防ぎ国民を守る軍人という仕事は、『先手なし』という空手道の精神にも一脈通じるものがある。
心は決まった。
こうしてユウキは、自らの意思で進路を決め、宇宙軍士官学校の入学試験を受験する。
人手不足というだけあって、入学試験で落とされる者は非常に少なく、成績優秀とは言えないユウキも問題なく合格。晴れて、ユウキは軍人となった。
士官学校での教養や訓練は厳しく、脱落し、辞める者も複数いた。
もちろん、ユウキにとっても楽なものではなかったが、空手で鍛えた精神が折れることはなく、ユウキは順調にカリキュラムを消化していく。
士官学校の2年目の終わりに、将来の勤務部署を決める希望調査があった。
3年次から各職種ごとの専門課程に入るため、その過程を決めるための希望調査である。
ユウキには、漠然と宇宙船を操縦してみたいという夢があった。狙うなら操船・操舵過程か戦闘機・攻撃機操縦過程だ。
同期生や先輩達から情報収集したところ、操船・操舵過程は軍歴の最初から最後まで艦船の操舵専門である一方、戦闘機・攻撃機操縦過程は、戦闘機などに乗った後、希望や適性によっては、艦船の操船への移行が可能であるという話を聞くことができた。
それならば、将来の選択肢が増える戦闘機・攻撃機操縦過程がお得である。
ユウキは選考試験の結果、戦闘機搭乗員として適正を認められ、戦闘機操縦過程へと進むことになる。
訓練生としてのユウキは、特異な能力を発揮するわけでも、特段のへまをするわけでもなく、成績席次はちょうど真ん中。
3年の士官学校教養課程を大過なく修了し、平凡なパイロット候補生として現場に配属されたのであった。
「と、まあ私の身の上話はこんな感じです」
「ふむ、えらく堅い話ばかりだったな。なんだ、色恋話の一つでもなかったのかね」
「え!? いやそんな話は特に……」
「何!? では君はまだ童貞か?」
「いやそうじゃないですけど……何ですか? 突然追及が厳しくなりましたね」
「ふむ、他人の色恋話ほど面白いものはないというじゃないか。で、どうだったのかね?」
「いやいや、つつかれても絞られてもいい話は出てきませんよ。もう勘弁してください!」
外惑星帯の片隅、漂流者達は意外に明るく時間を過ごしていた。
惑星レンの裏側を見て、その笑顔が凍り付くのはそれから3時間後のことであった。