42.欲望と妥協
サザンクロス内部の『私室』のベッドにポラリスが腰かけていた。
顔を俯かせ、何かを抱えるような姿勢。
その表情は柔らかく、しかし口元がわずかにひきつっているように見えた。
膝の上の空中で、わずかに手を動かす。
「いつもいつもご苦労さまです」
口から洩れる言葉は優しい。
内容だけでなく、その声色にも慈愛と感謝が感じられた。
「そんなに頑張らなくてもいいんですよ」
その言葉は、心の奥に沁み込んでくる。
「貴女のことは皆が大切に思っています」
幼子に語り掛けるようにゆっくりと。
「無理はしないでくださいね」
強い言葉は使わないように。
「頑張っている貴女も勿論素晴らしいと思いますよ」
肯定はしても否定はしないように。
「頼りにしていますからね」
働けと命じることも。
休めと命じることも。
強要される事は人にとって強いストレスとなるから。
「うぇっへへへへへ」
一見すると、ついに激務に耐えかねてポラリスが壊れてしまったように見える。
しかし、彼の膝から聞こえる脳が蕩けたような声が、そうではないと見る者に伝える。
そこにははんぺんがいる。
ポラリスに膝枕されて、頭を撫でられて、甘い言葉を囁かれていた。
愛の言葉ではない。
労いと、感謝の言葉。
ひび割れた心に、暖かな水が沁み込んでいくのを、はんぺんは感じていた。
休みが欲しい、と彼女は言った。
物理的な休息ではなく、精神的な充足が必要だと彼女は訴えた。
前世では触れ合う事さえできないような絶世の美青年を相手に愛欲に溺れようとした。
しかし、基本的に自己肯定感の低いはんぺんに、その一線を超える事はできなかった。
一歩引いた結果として、彼女は休憩中に甘やかす事を要求した。
そして強欲と妥協の狭間で揺れ動いた結果が、この膝枕だった。
「貴女のお陰でみんなが助かっていますよ」
流石にポラリスも、自分の外見が周囲からどのように見られているかを理解している。
だからこそ全力で、甘ったるいカフェオレのような言葉を吐き続ける。
恥ずかしさを出してしまうと、聞いている方も恥ずかしくなってしまうものだ。
こういう行為は、全力でやりきるに限る。
何よりこれははんぺんに対するご褒美なのだ。
彼女に恥ずかしさを伝染させてしまう事は勿論、気を使わせるような感情を抱かせてはいけない。
砂糖水のような空気に浸る事だけに専念して貰うべきだ。
(しかしジャケットを脱ぐ必要はあったのでしょうか)
全力ではんぺんを甘やかしながら、ポラリスはそんな事を考えていた。
いつもの彼女はその居場所がわかるように、革のジャケットを羽織っている。
しかし、なぜか膝枕をする際に彼女はそれを脱いだ。
頭を撫でる時に間違ってラッキースケベ的なボディタッチを期待しての行為だとは、ポラリスは気付かなかった。
自分から要求する事はできないが、相手をその気にさせて、ポラリスから手を出して貰おうと考えた、姑息な作戦だとはわからなかった。
(いつもは気にしていませんでしたが、そう言えばはんぺんさんって基本全裸なんですよね……)
どのような造形をしているかはわからないが、人型であるのは間違いないだろう。
そもそも、魔王であるポラリスは、例え名状しがたき形状をしていても、その種族の中で魅力的であるならば、好意的に見る事ができる。
(…………1、2、3、5、7、11……)
意識しないようにすると逆に意識してしまうので、ポラリスは頭の中で宇宙を思い浮かべる事にした。
結局二人の間で何もないまま、はんぺんはひたすら膝枕で頭を撫でられ、甘い言葉で蕩けさせられ続けたのだった。
ポラリスによる『甘やかし』は、この後クランメンバーの間で流行するようになった。
ストレスを抱えがちな生産班は勿論、肉体的な疲労が大きい採集、索敵班からも要請が殺到する。
しかも男女問わず人気の娯楽となったのは、魔王という特殊な種族と、その高いビジュアル値のせいだろうか。
「魔王様も休ませてあげないと駄目よ」
そのブームは、自分も散々楽しんだエリにそう諭されるまで続いたのだった。
その後はあくまでポラリスの業務の一環として、彼が勤務中の時間のみ、休憩中のメンバーが要求する事を許される事となった。
「しかし、ドーテイさん、普通に『私室』に入るんですね」
現代日本で言うところのサラブレッドとほぼ同じ大きさのドーテイだが、その体は『私室』は勿論、備え付けのベッドにも収まっていた。
ドーテイが収まったというより、部屋や設備が、彼の体格に合わせて大きさを変えているようだった。
「ああ、なので進化などで体の大きさが変わっても、それほど不自由しないだろうという事がわかったのは大きいな。恐らくは特殊な部屋型の設備だけの効果だろうが」
クラン内の通路や『玉座の間』の大きさはそのままであるので、ドーテイはそのように推測していた。
「しかしポラリス様も普通にドーテイと呼んでくれるようになったのだな。嬉しい反面、初期の初心さが無くなって、少し寂しくもある」
ポラリスに膝枕されて頭を撫でられながら、ドーテイはその複雑な感情を吐露した。
「まぁ、まだ呼ぶ時に少し抵抗はありますけど……」
そう前置きして、ポラリスはどこか遠い目をして言葉を続ける。
「テイオーさん、とは今は別の意味で呼びにくくなってしまいましたし」
「おおメタいメタい」
ポラリス「ちなみにげんごろーさんも、設定を考えている時は別の名前だったんだですけど、その後に同名のアスリートが世界レベルで有名になってしまったため、変更されたんですよ」
ドーテイ「ガチムチマッチョで、げん『ごろー』……。なるほど、田〇源五郎先生か……」
ポラリス「アスリートって言いましたよね!?」




