1-14 悪夢への抗い
レスカ・アルティミリアとレイス・レオンハートがウィルオー・ザ・ウィスプとの戦闘を開始してから十分が経過したとき、他の人間はただただ呆然と見ているしかなかった。
レスカとレイスの協力態勢、二人は息の合った攻撃を繰り出しては目も当てられないような嵐のような攻撃を繰り出していた。それは、他の人間の援護など無意味と悟らされるほどであった。
一方で怪我人の回復も順調に進みつつあった。盗賊団には治癒の魔法が使える人間が十人ほどおり、武装宿屋もサーシャが多少の心得があるということで、手伝っていた。衛兵の中にも五人ほど治癒魔法の使い手がいたようだ。その甲斐あってか、今は既に七十人程の治療が済んでおり、もう既に半分の治療が済んでしまっていた。そして、治療が終わった者からレイスとレスカの戦いを観戦し始めていたが、レベルの高さに唖然とし言葉すら失っていた。誰かの助けなどむしろ邪魔だと感じさせるほどであった。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」
ウィルオー・ザ・ウィスプの叫び声が響き渡る。耳を劈くようなけたたましい鳴き声。それは次第に大きくなっていった。レスカとレイスの攻撃は悉く通らないが、ウィルオー・ザ・ウィスプの攻撃もレスカとレイスには通じていなかった。その全てがかわすか打ち消されるかのどちらかだった。
「そろそろ、一発くらいは当たって欲しいのですが」
レスカが戦いながらそうぼやく。それを聞いたレイスは鼻で笑う。
「無理じゃない? 俺の攻撃すら通ってないようだし、これは本格的にまずいね。ったく、あいつらは早く全員の治療済ませてくれないかなあ。疲れちゃうよ僕」
「言ってくれますね。それと、聞きたいのですが、何故わざわざ敵同士の私たちの治療まで?」
レスカは錬金術の陣を展開しながらレイスにそう尋ねる。それを聞いて、レイスは更に笑う。
「僕らは僕らがこの場を生き残るために君らが必要だと判断した。だから助けた。君達が敵だとかそういうのは関係ないんだよ。盗賊団として特別君達――武装宿屋に恨みがあるわけでもないのでね」
「武装宿屋は呪い殺してやりたい程恨みがありますけど?」
レイスの苦笑。この男はあれだけのことをしておいて、この言い草であり、レスカはイライラが募る。だが、今はこの男の力を借りてでもこの場を凌がないといけないため、ぐっと堪える。
「レイス・レオンハート、この場が切り抜けられたら覚悟しなさい。それまではこの件は不問にしておきます」
「期待して待ってるよ」
それきり、また黙って戦闘を続ける。とは言っても互いに攻撃が当たらず、膠着状態である。
ウィルオー・ザ・ウィスプの攻撃は更に過激になっていった。人魂の数がみるみる増え、周囲の草っ原を焼き尽くす、焦げた臭いと立ち上がる狼煙、それに伴い頻度の増す鳴き声。次第に空中の何もないところからの発火が始まり、レスカとレイスを直接燃やし尽くそうとする。だが、それも成功しない。レイスの魔法により、防がれてしまう。
レイスの魔法、それは絶魔法の上級魔法、空間に干渉する魔法だ。空間を歪ませ、あらゆるものの干渉を拒む絶対的な真空の壁を造りだす。それをレイス自身とレスカの周囲にも出現させている。故にウィルオー・ザ・ウィスプのからの攻撃を全て防いでいるのだ。そして、こちらの攻撃は殆ど当たっている。しかし、これもウィルオー・ザ・ウィスプの消滅と出現を繰り返す無敵性により無傷で済まされてしまっているのだ。
いい加減に痺れを切らしたレイスが飛鳥やヤヒコの居るところに怒鳴り声を飛ばす。
「おい! 全員の治療はまだ終わらないのか!?」
「団長! 今、全員の治療完了しました! ここにいる全員、完治です!」
そこで、治癒役の一人がそう答える。それを聞き、レイスは更に大きな声をあげる。この場にいる全員に届くほどの声だ。
「よーし! 上出来だ! 一同に告げる! 今すぐにこの場を撤退しろ!」
レイスが撤退を促した。つまり、逃げろと言ったのだ。尻尾を巻いて惨めに。そして、それは盗賊団の間でざわめきを起こした。
「団長!? どういうことですか!? 俺達や敵までも治療したのは全員でウィルオー・ザ・ウィスプを倒すためじゃなかったんですか? おめおめと逃げろというのですか!?」
「違う! ウィルオー・ザ・ウィスプから全力で逃げられるようにするためだ。こいつは今の俺では倒すことはできない。だから、この場を生き抜くためには逃げる以外の選択肢はない!」
レイスは丁寧に説明するが、それでも納得のいっていない表情を浮かべている。そして、さらに不満を漏らす。
「それなら、何故敵まで治療させたのですか? 武装宿屋や城の衛兵達までは回復させる必要ないじゃないですか!」
「馬鹿か、お前は。今、この場にいる全員が力を合わせなきゃ、乗り切れられない場面なんだ。詩情で物を考えるな!」
「ですが…………」
なおもレイスの言葉を聞き入れないその態度に今度はレイスではなく、別の所から声が発せられた。ヤヒコの声だった。
「おい、ボスの言うことが聞けねえってのか? だったら、お前はここで一人でのたれ死ん――」
――のたれ死んでいろ。そう言おうとしたが、今度はそれをレイスに遮られた。
「おい、ヤヒコ」
ヤヒコがビクッと肩を震わせる。その表情は僅かに強張り、恐る恐るレイスの方へと向ける。
「お前、下手なこと言ってんじゃねえぞ? いいか? 子の盗賊団において殺人は犯さないことが鉄の掟だ。ましてや、身内殺しは最大の禁忌、それに誘導する行動も当然厳禁だ。だから、冗談でも仲間に死んでいろなんて言おうとするな」
「す、済まないボス」
レイスの重い声音を聞いて、ヤヒコが謝罪する。それを聞いたレイスは一転して明るい声になった。
「分かってくれたならいい。あと、俺のことは団長と呼べ」
「それは遠慮しておく」
ヤヒコはそれだけ言うと踵を返し、逃走準備は始める。
「盗賊団の皆! 馬車の準備を急げ! 武装宿屋と衛兵達も急いで自分達の馬車に乗り込んでくれ! 一気にここを離脱するぞ!」
その合図と共に一斉に動き出す。
「飛鳥君!」
「君も……いや、君達も必ず生き残ってくれ。いずれ、機会の時にまた会おう」
飛鳥は返事をしなかった。飛鳥は心の中で二度と会いたくはないと感じていた程だ。また会おうなどど気軽に答えられるものではなかった。
着々と、離脱の準備が進む。次々に馬車に乗り、今すぐにでも出発できる体制が順次整っていく。武装宿屋と衛兵はもう完了した。しかし、出発は出来ない。レスカがまだ乗り込んでいないからだ。そして、それはレイスの離脱を待つ盗賊団も同じだった。やがて、盗賊団も全ての離脱準備が整った。
「団長、準備完了しました! 今すぐ出られます!」
拡声器を使い、レイスに完了を告げる。それを聞いたレイスはにやりと笑い、大声で返事する。
「よーし! そのまま出発しろ! 全馬車散り散りに分かれて進み、盗賊団は例のポイントに集合だ! 何日でも何か月でも掛かっていい! 必ずそこに落ち合うぞ! いいな!?」
「団長はどうするんですか!? 一緒に逃げましょう!!」
「馬鹿を言うな、俺はまだ逃げられねえよ。お前らが背後に立っているからな、|ウィルオー・ザ・ウィスプ《こいつ》から目を離すわけにはいかねえ」
「しかし! 団長を置いていくなど…………」
なおも食い下がる団員にレイスは穏やかな声で説得する。
「安心しろ、例のポイントで落ち合うと約束しただろ? だから、まだ死なない、死ねないだろ。生憎、今は俺の他にもレスカ・アルティミリアも居る。なんとかなるさ、だから…………行け!」
「くっ………………出発する!!」
盗賊団の馬車が一斉に走り出す。僅かに遅れて衛兵の馬車が走りだし、最後に武装宿屋の馬車が走り出す。しかし、武装宿屋の馬車の中では少しばかり喧騒が起こっていた。
「なんで、勝手に出発してるの!? レスカさんがまだ戦っているのに! 見殺しにするつもり!?」
そう抗議したのはセシリアだ。和弥の馬車の操縦の下、飛鳥がセシリアの説得に入る。
「仕方ない……仕方ないんだ! 俺たちが助かるためには…………!」
飛鳥がそう告げるが、セシリアとしてはそれで納得できるはずもなく、さらに抗議する。
「仕方ないって……それで納得できるはずないでしょ? 今すぐ戻ってレスカさんを乗せて一緒に逃げるべきよ!」
セシリアの必死の頼み、それを無暗に了承することも出来なかった。何故なら、せっかくレスカの作り出した闘争のチャンスを一度無駄にしてしまうからだ。故に、現状の最善手は全力で逃げる、これなのだ。だが、それを考慮に入れたうえで一つ提案をする。ただ単純に戻るわけにもいかないので妥協案としての候補だ。
「それなら、一つ条件がある。ただし、俺の一存じゃ決めることはできない。和弥、弥生、サーシャ、セシリアの四人で決めてくれ。その条件は――――」
「レスカ、ごめんねぇ? 勝手にしんがり役させちゃってさ、しかも勝手に逃走用の足まで全部逃がさせちゃったし」
ここは変わって、ウィルオー・ザ・ウィスプとの戦闘場面。レスカはウィルオー・ザ・ウィスプと戦いながらレスカに謝罪を入れた。しかし、レスカはひたすら嫌そうな表情を浮かべている。今、一、二を争う程に憎んでいる相手から表向きにも気を使われている形になっているからだ。レスカは気遣いに対する礼などは言わずに毅然と返す。
「思ってもないことを言うのはやめてください。どちらにしろ、あなたが残っていなくても私一人で足止め役をやっていました。ですから、謝罪をされる義理なんて全くありません」
「あらら、突っぱねるねえ。僕は本心から言っているんだよ。実際、僕らここで死ぬかもしれないし」
「死ぬのなら一人で勝手に惨めに死んでいってください。私は死ぬ気など毛頭ないので遠慮させていただきます」
レイスはやれやれといった感じで一瞬両の手のひらを宙へと向けた。
「まだ必ず死ぬとは言ってないだろう? もう少しだ、馬車の足音が完全に消えたら一気に僕らも離脱するよ」
「私は馬車の音なんて既に聞こえていませんが」
「僕には聞こえている。僕の煌魔法により身体強化された聴覚ならね。ざっと、一キロ先までなら聞こえると思うよ」
「化け物ですか……」
「いやあ、それほどでも」
「褒めてません」
レスカは呆れて嘆息した。しかし、本当に一キロ先まで音が聞こえるというのならば、今は頼りになることは間違いなかった。なにせ、逃げた者達の安全を高い確率で出来うる限り保証できるからだ。
そして、さらに時間が経過する。
後どれくらい時間稼ぎをすればいいのだろうか? レスカはそんなことを思い始めた。レスカはだんだん疲れが出始めて精神力を切らし始めているのだ。そして、それにはレスカも気付いている。レイス自身、バレないようにこっそりレスカに疲労軽減の魔法を掛けているがそれでも、疲労が溜まってきているようだ。
「レスカ、大丈夫かい?」
「なん、のことですか?」
レスカはあくまで何も問題はないように振る舞おうとしているが明らかに疲労の声が出ていた。
「隠しても無駄だよ。お前、もうそろそろ体力限界だろう?」
「何を言っているんですか、まだまだ行けますよ。それより、後どのくらいかかるんですか?」
レスカは必死に足を奮い立たせ、残り時間を問いただす。
「あまり無理しないでくれ。逃げる時にお前を抱えながら走るのは骨が折れる。それに、もう少しだ、足音がもうすぐ消えるはず……あれ? は?」
「今度はなんなんですか?」
レイスがめずらしく動揺の声を漏らした。しかし、突然の動揺にレスカは理解が出来ず、逆に少しばかりの動揺と共に理由を問いただした。そして、レイスは馬車が逃げて行った方向、その奥にある城のある中央都市へと続く森をわずかに見る。ちなみにこの森は霊森とは反対側である。
「一瞬意識を外した隙に、馬車の音を再度探ったら、さっきより音が大きくなっている馬車が一つある。僕の聞き間違いじゃなければ馬車が一つこっちに向かってきているね。ったく、せっかく逃がしたのにわざわざ戻ってくるなんてどこの馬鹿だか。この調子なら後十分でここまでやってくるな」
「なんか嫌な予感がしますが……」
そして、そこから更に五分が経過し、ついに、レスカの体力が限界を迎えた。
レスカはその場で膝を突き、もう錬金術を使えないほどに疲労していた。一瞬にして、事態がさらに悪化する。レイスは身の毛もよだつ思いをした。ウィルオー・ザ・ウィスプに警戒しつつ、レスカに近寄る。
「おい、本当に大丈夫か? 待ってろ、今疲労回復の魔法強めに掛けてやる」
「今までもそれ掛けてもらってたのは知っています。それでも、これならあまり効果はないでしょう。それならあなたはウィルオー・ザ・ウィスプの相手をしていてください」
レスカは左手であっち行けと前後に振る。レイスは無視をして、回復魔法を掛ける。
「なんだ、気付いていたか。でも、そんなのは関係ない。お前を見捨てられるか」
「盗賊がいい人風のことを言っても説得力ないですから」
「人の命だけは盗ったり盗られる状況に追い込まない。それはさっきも言ったことだろう」
レイスは背後に真空の壁を作りつつ、レスカの治療を続ける。しかし、ここである異変に気付く。
「……静かすぎる」
そう、ウィルオー・ザ・ウィスプが突然静かになった。攻撃してきている気配すらない。それはレスカの今の言葉からも分かったことだ。何のために? 何故? 手加減? それとも舐めている? だが、相手は魔獣だ。そんな高度なことをするとは思えない。とすれば何かを仕掛けてくるはず、とレイスは考えた。そして、答えはすぐに分かることとなった。
「ギイイイイィィイィィィィイイィイイイィイィィィイオオオオオオオオォォォォォォォ!!」
静かになったと思ったら唐突に今度は今までとはまた性質の違うような、今までで一番甲高い耳障りで不快感しか残らないような恐ろしい声が響き渡る。
「なん……だこれは!!」
レイスが必死に耳を抑える。だが、片耳のみだ。今はレスカの治療に片手を使っているため、片手でしか耳を塞げないからだ。目の前のレスカは両手で必死に耳を抑える。
「なんなんですか……この声……!…………いや!!」
突然にレスカが倒れこむ。そして、全く起き上がらない。
「おい! どうしたんだ!? まさか、これは……ウィルオー・ザ・ウィスプの攻撃か……? 今までやってこなかったからおかしいとは思ってたが悪夢か……」
レイスが結論に辿り着く。ウィルオー・ザ・ウィスプの能力、かつて飛鳥達が城で説明された悪夢を見せるという能力それがいまここで発揮されたのだと判断した。
「ちっ! まずいな、なんで俺がこんな状況に追い込まれてるんだが、気絶しているレスカを守りながらとかハードルが高すぎるよ……」
レイスは渋々立ち上がり、ウィルオー・ザ・ウィスプと向き合う。ウィルオー・ザ・ウィスプの方も攻撃を再開しようとまた小さな人魂を展開していた。
「てめえ、レスカをやったこと後悔させてやるよ」
レイスは攻撃を最大限に展開する。絶魔法による攻撃、ウィルオー・ザ・ウィスプの体内と外側を直接ぶち壊す真空を精製する。音もなくウィルオー・ザ・ウィスプが爆散する。しかし、案の定また再生する。相変わらずの手詰まりの状況でさらに状況は悪化する一方だった。
「あと少し。こっちに戻ってきた馬鹿共が到着まであと三分程……早く来てくれ」
一秒、一秒が長く感じられる。こんなにも時間の流れが遅く感じられるのは何年ぶりだろうか。レイスは戦いながらそんなことを思っていた。向かってきている馬車はおそらくは武装宿屋のものだろう。残り時間二分、それだけ耐え抜けば馬車が到着し、レスカを逃がすことが出来る。正直なところ、欲を言えばレイス自身も一緒に拾ってほしいところではあるが、さすがにそれは虫の良すぎる話だということはレイスも理解している。だから、余計な望みは持たない。レイスの思考は全て、レスカを逃がした後の自分の生存についてだけである。
おそらく、単純な力だけで見れば逃げ切ることは可能だろう。しかし、ウィルオー・ザ・ウィスプには悪夢を見せる力がある。今のレスカの状態を見れば、防ぐのは難しいだろうし、悪夢に落とされたら、悪夢を見ている間に死ぬだろう。はっきり言って難易度が高すぎるというのがレイスの率直な感想だ。だが、今ここで死ぬわけにもいかない。なんとかしてこの場を切り抜ける方法を考えなければならない。
「ちっ、どうするかな……あまり考えてる時間もなさそうだ」
馬車到着まで後一分。粘りどころだ。早く来い、早く来い。思考時間がないのは仕方ない。だから、一刻も早くレスカを逃がしてスッキリしたい。
馬車到着まで後三十秒。見れば、馬車の実態がはっきりと見えてきた。やはり、戻ってきたのは武装宿屋だった。レスカはウィルオー・ザ・ウィスプの攻撃は避けつつ、レスカを抱き上げる。そして、ちょうどレスカが意識を取り戻した。
「うっ……私は何を……ってここは!?」
「お? 意識が戻ったか。どうだ? 悪夢でも見たか?」
レイスがレスカの顔色を窺う。そうすると、ようやくレスカの意識がはっきりとしてきた。
「ええ。信じられない夢を見ていたわ。まあ、それはいいとして今の状況は?」
「安心しろ。お前は助かる。馬車が到着したよ」
レスカが横を向くと、そこにははっきりと武装宿屋の馬車が目の前まで来ているのが見えた。
見ると、和弥と弥生が身を乗り出している。レスカを広いそのまま逃げ去るつもりなのだろう。それはレイスも察したようでレイスはレスカを降ろし、馬車の方へと向かわせた。
レイスは振り向き、またウィルオー・ザ・ウィスプと向き合う。最後に顔だけ武装宿屋の馬車に向け、親指を立てた。「よくやった」とそういう合図だ。向こうはその仕草に一瞬呆けた顔になったがすぐに表情を取り戻し、レスカに声を掛ける。
「レスカさん! 捕まってください!」
しかし、すぐには返事をしない。レスカはレイスの方を見る。
「レイス、あなたはどうするつもりですか?」
「なあに、もうちょい頑張ってみるよ。君らが逃げ切れるようにね。ありがとうな、生き残ってくれ」
それだけ言うと、レイスはしっしっと手で追い払うようにレスカに向けた。レスカは馬車の方へ走り、和弥が伸ばした手をしっかりと握る。そして、多少乱暴ではあるが、和弥と弥生の二人掛かりでレスカを引き上げることに成功した。見事、レスカの救出に成功したのだ。それを確認したレイスは今度こそ、武装宿屋から目を離し、ウィルオー・ザ・ウィスプと完全に向き合う。
「さあて、ウィルオー・ザ・ウィスプ! もう少し付き合ってもらうよ。武装宿屋の馬車が逃げ切るまでね」
「何をかっこつけてんだよ。お前も来るんだよ」
背後から声がした。直後、レイスの体がぐいっと引っ張られる何事かと後ろを振り返るとそこにはレイスの体を引っ張り上げている飛鳥の姿がった。そして、和弥、弥生の手も伸びてきて三人掛かりでレイスを馬車の中に引き摺り込む。
「何を……」
「お前に死なれちゃ困るんだよ。だから、助けた」
「甘いことを……」
レイスは呆気にとられながらそれだけ呟いた。そして、それには返事をせず、飛鳥が声をあげる。
「よし! レスカさんも盗賊団のボスも回収した! 一気に逃げるぞ」
即、馬車を反転させ全速力で元来た道を走り抜ける。背後のウィルオー・ザ・ウィスプがいつもの甲高い鳴き声を発しているのが聞こえてきた。
ここからが本当の逃走劇の始まりだった。