こけけ (ここへ来い)
こけけ(ここへ来い)
その時、俺はぐっすり眠っていた。
あの日は夜勤明けだった。
夜勤明けで家へ帰るのと、子供が学校へ行くのがちょうど重なった。賑やかな一団が去ってくれて、さて俺にとっての夕食だ。いくら子供だからって、外でワイワイ騒いでいると食べる気が失せてしまうのだが、その日は幸運だった。
一風呂浴びて、一杯やって、それから女房の手料理をいただく。それが日課だ。
あの日、入浴剤をたっぷり混ぜた湯船で、温まったなぁ……。
その日はどうしてか燗酒を呑んでしまった。いやというほど湯船で温まったのに、今度は腹の中からカーッと熱がふいてくる。
カレイのから揚げが旨かったこと。とても忘れられない味だった。
夕食を終えてテレビをつけてみたけど、くだらない番組ばかりじゃないか。チャンネルを一通り切り替えてみて、気を引く番組がなかったから消してしまったよ。
そうすると、することがないだろ? つまり、寝るにかぎるってことだな。
俺は仕方なく二階へ上がったのさ。どうしてって? 二階が寝室なんだ。
空は曇ってる。だけど、カーテンなしで寝られるほど暗くはないんだな。だから、厚手のカーテンでぴっちり陽を遮ったのさ。
ところで、このところ子供が帰る時間が早かったので、女房とはご無沙汰だってな、うまい按配に今日は普通授業だっていうから引き込んだのよ。
真昼間だろ? そりゃあ女房も嫌がったけどよ、そこはそれ、連れ添った仲だからな、外のことなんかすぐに忘れちまって。
長湯で体が火照ってるとこへむけて熱燗やったからな、莫迦に元気がいいんだ。それには女房も喜んだね。日頃みせない乱れっぷりさ。
おかげで二人ともへとへとさ。だけど、女房には用事があるからよ、頬を染めて降りて行っちまった。俺はそのまま、バタン・キューさ。
ダンダンダンダン、ガタガタガタガタ……
とてつもない揺れで飛び起きたんだが、寝入りばなだから頭がしゃんとしないんだ。枕元に置いたはずの眼鏡もどっかへ跳ばされちまってる。
これは何事だ? 落ち着こうとしてたらまた揺すられた。
ガッタンガッタン揺すられてみろよ、箪笥の引き出しがガンガンぶつかってくるんだ。女房の着物が入ったまま、情け容赦ないんだ。その箪笥がダーっと倒れて、下敷きになっちまった。
幸いなことに布団を被っていたから怪我はしなかったよ。いや、してたかもしれねぇ。けど、痛くも痒くもないんだから、きっと大丈夫だったんだろう。でもな、箪笥が持ち上がらねぇんだ。布団が邪魔してよぅ、手足を突っ張るのにビクともしねぇ。
這って出ろだと?
ふん、知りもしないで勝手なこと言いやがって。そんなに広い家じゃないんだよ。悪かったな。
そのうち、外が大騒ぎになったんだ。サイレンが鳴るは、放送がガナルは、水が来るって叫んでるのも聞いたよ。だがな、動けねぇんだ。
ワーワー騒いでる最中だったな。
家がよ、ふっと浮いたのよ。まさかと思ったよ。家が浮くんだぞ。
そしたらな、ガシャーン。何かにぶつかった。
慌てた自動車がぶつかったのじゃないぞ、屋根のほうから響いてきたんだからな。
さっぱりわけが解らんうちに、水に呑まれちまったのよ。
なぁ、教えてくれよ。ここはどこなんだ?
いつんなったら帰れるんだ?
海底には、巻上げられた泥を被った瓦礫が朽ちるのを待っている。
その隙間から、こっちへ、こっちへと手招きをする者がいるのだ。
朽ち果てた体で、しきりと我々を人を呼んでいる。
こけけ…… こけけ…… こけけ