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かび臭い夜には

 その夜、いよいよ明日の朝に迫ったカズアール遺跡探険に向けてまとめた荷物を机代わりに、いつもの様に日記を書いていたパルムシェリーは、書きつける程に己の内側をぞろぞろと撫であがってくる不安が堪こらえ切れなくなって声を上げた。


「ああもうっ! もうもうっ! ディンさんは馬鹿ですっ! バカバカバカ!」


 突然にぺしっと飛んで来たペンと罵声に、ディンは床の上の寝袋ごとベッドの上でご乱心な相棒を振り返り。


「……何だよ?」


 と尋ねてみた。しかし相棒は怒りの涙を浮かべた目でディンを睨み下ろすと、ぷいっとベッドにひっくり返ってしまう。


「なんだって」


 宿に返ってきた当初こそ、美味しいお菓子と美人女優とそして何より明日から始まる冒険の予感に機嫌よく『取材』と称した質問をしつこく繰り返していた彼女であったが、ディンがそれに答えているうちにだんだんと機嫌が傾いて来てしまったのだ。


「……言っとくが、俺は嘘はついてねえからな」


 文字を覚えられないディンには、憧れのティッパーフィールドの様に己の冒険を世に知らしめる冒険譚を書くことができない。だからこそ、相棒としてパルムシェリーを連れている。なので当然、彼女が書いた二人の冒険譚の内、ディンに関する部分はパルムが彼に取材して、それをもとに彼女が書いた物を読み上げてディンに確認するという事になっている。その際に、『嘘を吐かない事』と『嘘を読まない事』と言うのは、二人の間で決めた最初のルールだった。


 だからディンは正直に答えたし、聞かれるままに教えたのだ。


 あの金髪ド美人女優メンチ・ヴィクトリアと、そのお供であった好々爺とを光の海に渡した時の事を。


「別に、そんなんじゃありませんっ」


 無理な日程の依頼を跳ねのけ、それでも『絶対に芝居に必要なのだ』と食い下がるメンチに値段を吹っ掛けた事。爺の折衷案で依頼を受け、どこぞの王女様を渡した時と同じルートを辿って光の海を目指した事。その途中で、女優の香水に興奮した獣をやむなく狩った事。


 直接世界遺産である『海』に足を踏み入れる事は固く禁じられているので、プエラトの街へとソリを使ってくだり、そこから崖の上へと上ったこと。今度の結婚式で『ジオの王女の恋物語』のヒロインを演じる予定らしい金髪我儘お嬢様に、ディーノと言う男についてあれこれと尋ねられて嫌気がさした事。

 女優根性だけで着いて来た女を半ば強引に押し上げてなんとか絶景のポイントに辿り着いた時にはもう明け方で、ギリギリあの光の海を見られた事。


 彼女がそこで歌いだしたとんでもなく綺麗な歌の事。それから、天国ってのがあったならきっとこういう風なんだろうと思った程、月夜に煌めいたメンチのダンスと爺の伴奏。


 見所があるから移動劇団に入れてやるとしつこく言われたが、台本など読めるわけがないので『ふざけんな』と断った事などなどを。出来るだけ詳細に、今思い出しても込み上げてくるあの夜の感動を、正直に。


「じゃあ、なんで怒ってんだ?」

「怒ってません」


 言って、パルムは寝返りついでにじろりとディンを睨み付け、再びくるりと向こう向きに。


 ディンは溜息。


「……あのな、言っとくけどあの道を渡したのはあんたが初めてじゃないし、もちろんあのド美人様が最初って訳でもねえ。それこそ俺はいろんな女をとっかえひっかえあの海に――いって!」


 ニヤリと笑った言葉の途中、投げつけられた光写機が顔にぶつかる。


「不潔です! これは成敗! 成敗です!」

「うるせえな、別に何もしちゃいねえって。客だぞ、客」


 苦笑と共に首を振ったディンに、パルムはぶすっとしたまま起き上がり。


「あと、言っておきますけど私は別にディンさんに焼きもちなど焼いておりませんので」

「ああそうかよ、そいつは残念だ」


「ふん、です。と言いますか、私は別にどうでもいいんです。このあてどない旅の途中で我が相棒がどこの女狐とよろしくやろうが、知ったこっちゃありませんので。全然、別にいいんです。そんな破廉恥話なんか冒険譚には絶対載せませんし、勿論この私の前でそんな淫らな話をした日にはそれ以降の物語はディンさんの血文字で綴られることになりますけど。それでも決して、私のこの気持ちは焼きもちや嫉妬ではありませんので」


「そうかよ」


 まくし立てた相棒に、ディンは苦笑。言えば怒るし、言わなくても怒る。一体何をどうしろと。


「だったらなんで怒ってんだよ?」


 パルムは大げさに溜息。


「だから怒ってません。まったく、ディンさんはしつこいですね。だからモテないんですよ。そうですよ、ディンさんなんかがメンチさんに好かれるわけありませんし。身の程を知りやがれです。……というか、本当に私は怒ってませんし……でも、はい。そうですね。私は、ただ――」


 言葉の途中、ふっと灯が消える様に声を落としたパルムは、その胸をそっと両手で押さえて。


「……ただ?」


「――ただ、不安なんです。多分、きっと、そんなことはあり得ないとは分かっているのですが、少しだけ。少しだけ、何故か急に不安になりました」


「…………なにがだ?」


 そのまま月の光に溶けてしまいそうな彼女の姿に、ディンは思わず床の上から身を起こした。


 するとパルムは首を振って、自嘲に近い笑みを浮かべると。


「もしも、私がいなくなっても、貴方の旅は続くでしょう。でも、私はどうでしょうか? もしも……もしも――私の傍からディンさんが居なくなってしまったら……誰かが、ディンさんを取り上げてしまったら。私の冒険は、続かないような気がします」


 相棒が吐露した感情に髪を掻いたディンは、『……あー』と言葉を探して安宿の天井を睨んだ。


「まあ、なんつうか、逆だろ。案内板すら読めねえ俺じゃ異国の旅なんて到底無理だが、あんたなら、上手くやってけるさ。世の中、そうそう悪い奴ばっかりじゃないからさ」


 慰めようと言った台詞に、相棒は『いいえ』と笑って見せた。


「それは違います。だって、私の代わりなど、いくらでもいます。ディンんさんには――ある程度の言葉が喋れて、ある程度の読み書きが出来れば、それでいいのでは、と。でも、私には……私の冒険は、あなたが消えれば、終りなんだろうなと」


 いつか、ふと。彼が。


 それは――彼女が今日、覚えた感情は。『怒り』でも『嫉妬』でも無く、『恐怖』に似た感情だった。


 楽しい冒険の旅の中、最初の街で彼女が覚えた『恐怖』は身体に染みついた『孤独』に似ていた。湖畔の塔の隅っこで、一人ぼっちで本を読んでいたあの日々に。やるせなさに突然叫び声を上げる様な狂気が、少しずつ馴染んでいくあの感覚に。


 きっと、河の音とカビの匂いが思い出させるのだと彼女は思った。


 そう思って、ぼんやりと窓の外の月灯りを眺めながら、少し伸びて来た金色の髪をくすくすと震わせて。


「少し、寒いです」


 とディンに笑いかけて見せた。


「……窓、閉めるか?」

「はい。お願いします」

「かび臭くなるけど、いいか?」

「いいです。私は寒いんです」


 ディンはゆっくりと起き上がり、髪を掻きつつ窓を閉める。振り返ると『ありがとうございます』と気丈に笑う彼女の唇が、少し震えていた。


 溜息。


 取材と称して何でもかんでも聞いて来るくせに、そっちは何も言わないのかよ、と。いくら相棒とは言え、そうやって黙って肩を揺らしている女を見ても、こちとら笑っているか震えているのかも分かりゃしねえ馬鹿なんだよ、と。


「……ったくよ」


 苦笑と共に、ディンは寝床に足を向け。それから。


「これ、何だと思う?」


 と言って月明かりに膝を抱いた金髪の横に《それ》を放り投げた。


「……何ですか、これ? お魚?」


 小さな木細工を手にして不思議そうに首を捻った相棒の瞳が、水に映った月の様に静かに揺れる。


 本当に面倒くさい女だな、とディンは笑って。割に合わねえな、と胸の内で呟きながら。


「言わなくて悪かった。予定変更だ。明日は、朝一番で走竜を借りる」

「はい?」


 その玩具から漂う心地のよい匂いをすんすんと嗅いでいたパルムは、ぱちくりと相棒を見つめた。月と星の薄明かりの中で、黒髪の少年は真実の神でも騙そうかという様な悪い笑みを湛えながら。


「河の主なんだってさ、それ。あの髭職人に聞いて来た」

「……主? 河の? はい? これが?」


 きょとんとするばかりのパルムの瞳の中で、彼はくしゃくしゃと髪を掻くと。


「ああ、なんつうか、まあ、アレだ。行ってみたい場所があるんだよ。まあ、なんだ。明日も明後日も、ずっと先も。あんたと二人で、さ」


 それだけ言ってごろんと横になった彼の背を見ながら、パルムシェリーは二度三度と瞬きをして。それからくすくすと肩を揺らすと。


「ふふ、ふふふ。今の台詞はイマイチです。そう言う格好いいのは、もっと素敵にお願いします。ばふ~、しどろもどろで、かわいいですねっ」


 笑った少女を肩越しに睨み付けた相棒は不満気に。


「うるせえ。ホントは、明日驚かしてやろうと思ったんだからな」


 安宿のかび臭い天井に向かって苦笑して。


「フフフ、あの、ディンさん。少し窓を開けて下さい、かび臭くて死んでしまいます」


 とふざけた少女には、


「へいへい、あんたが死んだら、俺は困っちまうからな」


 と笑って、素直に窓を少し開けてくれた。


 その横顔を見つめながらベッドにこてんと倒れたパルムシェリーは、そっと目を閉じた。枕の上に乗せた変てこな玩具から染み出す不思議な香りを、とても心地よく感じながら。




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