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メンチ・ヴィクトリア

「ん?」


 振り向いた元渡し屋の腕に、パルムはささっと身を隠した。そうして相棒の背からそっと相手を覗いてみれば。


「……ああ、さっきの」


 とディンが言う通り、先程すれ違ったマスクの女性だった。ディンに並ぶ程の身長から、パルムのそれと同じような金色の髪が街燈に美しくなびいている。


「何か用か?」


 それでもディンが放ったのは、ぞっとするほど冷たく硬質な声。名乗った覚えのない相手に通りで名を呼ばれれば、ディンの様なはぐれ者でなくとも警戒すると言うモノだ。


 すると彼女はびしっとディンの顔を指さして。


「先程あなた達が買っていったお菓子を譲りなさい!」

「……菓子?」


 拍子抜けしたディンは、腕の後ろから覗くきょとんとした金髪と手の中でくしゃりと潰れた包み紙を交互に見て。


「……もう食っちまったが?」

「なっ!? う、嘘でしょ!? こんな往来で……どんだけ卑しいのよ、この田舎者っ!」


 差し出された空っぽの包みを見たマスク女は、両手を金髪頭に当ててキンキンと耳に響く声を上げている。


「用はそれだけか? んじゃな」


 肩を竦めたディンは、何か言いたげに眉尻を下げているパルムを促し家路に戻ろうとした、が。


「待ちなさいって言ってんでしょ!」


 と、通りに響く大声と共に駆け寄ってきた女に肩を掴まれ、ぐいっと無理矢理振り向かされた。


「なんで貴方がここにいるのかしらっ! 渡し屋ディン!」


「……うっせえな。耳がおかしくなるだろうが」


 失礼女を睨み付けたディンは、今度はぐいぐいと袖を引っ張られてまた振り向く羽目になる。


「……何だよ?」

「あの、もしかしてお知り合いの方ですか?」

「さあな? こんな変てこ金髪女はあんたしか知らねえが」

「でも、ディンさんの事を――」


 首を傾げたパルムの言を、マスク女の低い笑い声が遮った。


「ふっふっふ。そうよ、渡し屋ディン。あなたには私と知り合いだという事を一生自慢させてあげるわ! このメンチ・ヴィクトリアがね!」


 叫ぶと同時、マスク女はその顔を覆っていたサングラスとマスクを取り払い、往来に素顔をさらけ出した。


「わっ」


 と思わずパルムが声を上げたのは、その素顔が驚くほどに美しかったからに他ならない。


 そよ風に愛された金髪と、透き通る月の様に白い肌。瞬きする度に星が飛んできそうな焦げ茶の瞳。色気溢れる艶色唇。その美貌を支えるのは服の上からでも分かる程に抜群のプロポーション。


 男であるなら一度目にすれば忘れる事は無いだろう美女を前に、パルムはあれれと首を傾げた。メンチ・ヴィクトリア――言われて見ればどこかで会った気がするその美貌、そして聞き覚えのある名前だった。上手く思い出すことが出来ないのは自分が女だからだろうかと右に左に首を捻る。


 しかし、その隣で同じように首を捻った男は。


「……どこかで会ったか?」


「なっ!? ホ、ホントに!? あんたホントに言ってんの? 光の海! ほら、王女様の結婚式の少し前に、白髪のお爺ちゃんと光の海まで渡してもらったあの《ど美人様》よ! ああっ、もう! ほら、あんたみたいな田舎者を劇団に誘ってあげたでしょうがっ!」


 長く細い腕を踊るように振り回した絶世の美女の大声にようやく合点がいったディンは、わざとらしく軽く手を打って。


「ああ、移動劇団ね。あの金髪我儘ど美人様か。そういやそんな名前だったかもな」


「なっ、んっ! ちょ、ちょっと! 褒めるかけなすかどっちかにしてくれないと困るじゃないっ!」


 そうやって人の顔を指さす仕草や必要以上にデカい声と高飛車な態度。確かにジオで渡しをやっていた頃に光の海へ案内した、我儘で美人なだけが取り柄の金髪女だ。


 何だかもう、遠い昔の様に懐かしいなとディンは笑った。


「なによもうっ! でも、まあいいわ。許してあげる。ええとそれで――」


 と、美しい髪を掻きあげた美女メンチが何かを言いかけた時。


「ああああっ! ディンさん、メンチ! メンチ・ヴィクトリアですよ、この人! この人、メンチ! メンチ・ヴィクトリあんぐっ」


 負けず劣らず大きな声で騒ぎ始めたパルムの鼻を、ディンの指が捉えた。


「だからさっきからそう言ってんだろ」

「ふぁ、ふぁなひてくだふぁい。ふぁな、ふぁなをふぁなひて」

「ったく、で、そのど美人様が何だって?」


 ふがふがと暴れる鼻を離した途端、金髪我儘女筆頭は両手を大きく広げ興奮に青い瞳を輝かせ。


「メンチですよ、メンチ! ほら、あの、レイシア様の祝祭会で、ええと、その……とにかく何か凄い事をして新聞に載っていた方ですよっ!」


「最優秀芸術賞ねっ! それと最優秀女優賞も頂いたわっ!」


「そうっ、それ! その移動劇団(カンパーニャ)ですよ! 詳しいですねこの人!」


「当たり前でしょっ! 何なのよこの子っ!」


 右から左からキャーキャー叫ぶ金髪に挟まれたディンは、いらいらと髪を掻いて。


「だからうるせえっ! ったく、何なんだはこっちの台詞だっつうの。んで、そのなんとか女優様が何の用だよ? 言っとくけど、あの変てこ菓子なら、もういくら積んだって出て来ねえぞ」


 言ってディンがぎろりと我儘金髪二号を睨み付けると、彼女はふんと鼻を鳴らして腕組みをして。


「残念だけど、それなら仕方ないわ。諦めてあげる。――その代り、あんたに頼みがあるのよ、渡し屋ディン」


 街燈の下、すらりと背の高い新進気鋭の美人女優と、それを見上げた後の伝説の美少女冒険家の目が合った。


「……ちなみにそっちの子は? お仕事?」


 問いかけたメンチに、ディンは肩を竦めて。


「まあな。明日の朝には出発する」


 すると女優メンチ・ヴィクトリアは少し難しい顔になり、『……そっか』と呟いた。


 パルムがディンの袖を引いたのと、ディンが口を開いたのはほとんど同時。


「……何か用があるなら言ってみろ。俺たちゃ別に急いでる訳じゃ無い」


 ちらりと再びメンチはパルムの顔を見て。それからふっと笑って髪を掻き上げると。


「カズアール遺跡に行ってほしいのよ」


 思わず、パルムとディンは顔を見合わせた。そして喜び勇んだ金髪がモノを言いかけた口を、素早くディンの手が塞ぐ。


「それでしたらんぐっ」

「……いくらだ?」


 んぐんぐと唸る相棒の口を塞いだままその顔を背中に追いやったディンに、最優秀女優は呆れた様な顔をして。


「そうね。経費とは別に、二万ルエンでどうかしら?」


 ディンは、小さく頷いた。材木屋で働いて稼ぐ金が、一日当たり五千ルエンだ。それを考えれば、相当な払い。つまり、そういう仕事。だから割に合うかどうかは内容次第になってくる。


「気前がいいな。どんな仕事だ?」


 わずかに警戒したディンに、メンチはコートのポケットから手のひらより少し大きめの箱を取出して。


「これ、知ってるかしら? 光写機よ。これで、あの遺跡から見たこの国の風景を撮って来てほしいの」


「……光写……なんだそりゃ?」


 初めて目にする謎の箱に、ディンは日々知識の泉を浴びる本の虫を振り返る。すると、そこで知識を喰う女ことパルムシェリーは目をキラキラと輝かせていて。


「ええっ! 知らないのですか? 光写機ですよ、光写機っ! 景色を保存できる機械ですよ!」


「ふふん、まああんたみたいな田舎者は知らないわよね。そうよ。これは絵よりも正確に見た景色を保存してくれるっていう、中央連合国で流行ってる機械なのよ」


 田舎の王国から旅立ったばかりの元渡し屋は、しげしげと彼女の手の中の箱を見た。


「もうっ、ディンさんは無知ですねっ! ジオでも大手の新聞社には導入されているんですよっ! はぁ~、カッコいいですね」


 隣でキャピーっと騒ぐ金髪に、ディンは閉口。そう言われれば噂で聞いたことがある様な気もするが、文字が読めない人間に新聞などを読む習慣があるわけがない。


「せっかくだけど、見せびらかしてる暇は無いわ。とにかくこの機械に、あの遺跡から見える一番良い景色を保存して、今から一月以内にこの国の首都劇場まで持って来て頂戴。それが出来たら、交通費とは別に二万ルエン」


「……一月ってのは、どういうことだ?」


「鈍いわね。首都で次の舞台が始まるまでに決まってるでしょ。それまでに見ておかないといけないの。本当ならこの目で見るのが一番なんだけど……予定よりジオの公演が好評になっちゃって、明日には首都に向かわなくちゃいけないのよ」


 ディンは頷く。『芝居に必要だから』と強引な日程で光の海まで足を運んだ連中だ。それも恐らく『芝居に必要』なのだろう。


 ちらりとパルムと目を合わせる。特に異論は無い様だ。


「勿論交通費ってのは、遺跡の見学料やら首都までの自走車代も全部だろうな?」

「ええ、当然よ。売れっ子劇団の看板女優をなめないで頂戴」


 ふん、と鼻を鳴らしたメンチに、ディンは眉を持ち上げて。


「二人分だ。俺とこいつと、二人分」


「……その子も? ……まあ、別にいいけど」


 とディンの手の平に光写機をそっと乗せて。


「その蓋をあけて、十分くらい置いて置くの。そしたら蓋を閉めるだけでいいわ。晴れた日に撮る事、写してる間は絶対に動かさない事、それと、一枚しか撮れないんだからあちこち回って本当にここが一番っていう風景を選んで頂戴」


 早速『わーい、貸してください』『いや、駄目だ』と取り合いを始めたディンとパルムに溜息を吐きつつ美人女優は注意をまくし立て――


「んっと、なんだ? とりあえずこの蓋をあけりゃ――」

「あけるなあああっ!」


 と舞台仕込みの怒鳴り声と共にディンの脇腹を蹴り飛ばした。


「何なの!? 頭おかしいのあんた!? ねえ、ちゃんと聞いてた!? 一回しか使えないんだから! ホント、失敗したら弁償してもらうわよ! それ、超高かったんだからね!」


「分かってるって。うっせえな」


 キンキンと怒鳴り散らすメンチに肩を竦めたディンの手の平から、さっと光写機は奪われた。


「成程成程、これはつまり田舎者のディンさんが持つと危険なアレですね。なのでこれは私の役目だと主張します。ね、そうですよね、大女優のメンチさん?」


 それを奪い取った相棒は、どちらが女優か分からぬ程の媚びた笑顔をメンチに振りまく。


「……ええ、そうね。じゃああなたにお願いするわ」


「わーい! えへへ。任せて下さい! ぐふふ。ふたを開けちゃダメ、開けちゃダメ……はああぁん、開けたい! 開けてしまいたいっ! これは禁断! 背徳の甘い罠ですよっ!」


「ホントのホントに、開けたらぶっ飛ばすから」


 手に入れた機械を頭の上に掲げたり抱きしめたりする少女の姿に絶世の美貌を引き攣らせたメンチは、大げさな溜息を一つ吐き出し、それから黒髪の男をじろりと睨み付けると。


「……ねえ、あの子。どこまで渡す契約なの?」


 とディンに尋ねた。


 往来の真ん中でくるくると踊っている小さな金髪に苦笑を浮かべたディンは。


「……一応、世界の果てまでだ」


「はあ? どこよ、それ?」

「どこだか知ってる奴がいたら、その先までさ」


 我ながら実に馬鹿げた話だと、宵闇に向かってカラカラと笑った。




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