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前書き

 ペステリア歴 二百六十六年 六月二十六日


 ジオ国の西端の街を出てから約半日。

 背伸びをすれば手が届く程に近くなった白と青の空の下、大きな車輪を履いた黒い乗合自走車が灰色の山肌を撫でる様にえっちらおっちらと上っていく。


 やがて、座席の下から聞こえる排気音がぼしゅぼしゅっと太くなり、歪んだ崖を慎重になぞり出した後輪が小石をパラパラと崖下へと落とし出すと、隣で膝を揺らしていたディンさんの眉間の皺は一層深くなっていった。


 そんな相棒の表情をちらちらと伺っていた私が、ここぞと言うタイミングを見計らい、


「わっ!」


 とその肩に襲い掛かると、不機嫌で不安を誤魔化していた男は椅子から飛び上がる程びくりとした。

 そしてそれから、険しい山道を走る自走車よりもゆっくりとこちらを振り向くと。


「………おい、あんたさ、誰の金でこんな高いモンに乗ってると思ってんだ?」


 と、にふにふ笑う私の鼻に向かって腕を伸ばして来る。しかし、これまで何度もその手に鼻を弄ばれてきたこの私には分かる。今日の彼の動きには切れがない。有体に言えば、遅いのだ。


 だから私はさらりと華麗にその腕をいなしつつ。


「えへへっ、駄目ですよディンさん。ここは公共の場なんですから、ぷぷっ、ほらほら、あんまり動くと自走車がバランスを崩しちゃうかもしれませんよ~」


 と身体を揺らしてみせると、ディンさんはまるで歯車が錆びたかの様にぎりぎりと動きを固くして。

「……ああ、そうだな」

 などと精一杯の格好をつけて外していたローブを目深に被り直し、そおっと背もたれに寄り掛かった。


「ばふ~。今日のディンさんは、弱虫ですねっ」


「うるせえな。俺はもともと弱虫だっつうの」


「ふふ。ではでは今日は芋虫ですねっ。あ、でも芋虫さんは高い所を怖がったりしませんよね? おやおや? それじゃあディンさんは一体何虫なのでしょう? これは不思議、疑問ですよ。なので私は尋ねてみます。では張り切ってお答えください! あなたは何虫なんですかっ!?」


「うるせえ。寄るなはしゃぐな、窓でも見てろ。あと俺は虫じゃねえし高い所も別に平気だ、怖かねえ」


 等と言う言い訳をつらつらと述べる我が相棒ではあったが、眉間の皺は深いままだし膝の揺さぶりも止まらない。まあ、彼が自走車に乗るのは半年振り三度目で、それも大変に揺れる山越えなのだから怖くなるのも仕方が無いのかも。


 その点私はへっちゃらだった。窓の外に広がる無限の舞台がこの私の冒険を待ってくれているからだ。ただ、ただしだ。臆病を隠すための苛立ちを纏った見るからに怪しい黒髪男の隣に私の様な小柄な金髪娘がその美貌に憂いを宿して国境越えなどをしていると、他の乗客からあらぬ疑いをかけられかねない。


 そう思っていつも以上に元気良くメモとペンを握りしめてぴとりと身体を寄せた私にディンさんはぶっきらぼうに何事かを言っていたが、残念ながらすでに私の興味はそこには無かった。


「あ! ディンさんディンさん! ほら、見て下さい! あれあれ、あれが噂の《空中神殿》カズアール遺跡ですよ! 本当にあんな山の中にあるんですねっ!」


 呆れた顔でこちらの顔を見つめる相棒の膝に身を乗り出して向こうの山を指差した。

 霞の間に姿を現したのは、緑色の草に侵食された段々造りの建物群。山頂付近に一際高く見えるあの影が、神殿に違いない。


 しかし今思えばはしゃぎ過ぎ。割と大きな声だったかもしれない。これは反省。淑女としてお恥ずかしい。


「知ってますか、カズアール遺跡。私の推測によると、かの高名な冒険家トム・ティッパーフィールド師匠もあの遺跡を訪ねているはずです」


 言いながらペシペシと相棒の腿を叩いた私を、ディンさんは苦笑とともにちらりと見やり。


「……そうなのか?」


 と窓の外と私の顔を確認し、それからやや縦長の黒瞳を斜めに動かして。


「いや、《あの本》にゃそんなシーンは無かったはずだ」


 と自分の言葉にうなずいた。哀れ、読み書きが出来ない分、己の記憶に頼って生きていくしかなかった我が相棒は、その分記憶力には過剰な自信を持っているのだ。


 ディンさんがそこを否定されるとムキになるのは分かっている、なので私は『ええ、ええ』と母の様な温かい笑みでなだめながら。


「ですから私の推測だと言っているじゃあないですか」


 と、真実彼の言う通りティッパーフィールド師匠自身が記した冒険譚にも、それを元にして世界中で出版された冒険小説群にさえ、彼がカズアール遺跡を訪れる場面が無い事に賛同した。


 が、しかし。


「良いですか、ディンさん。ティッパーフィールド師匠の『あてどない旅』と言う冒険譚とは、旅の間に師匠がほぼ毎日つけていた日記をまとめたモノです。ですが、ディンさんもご存知の通り、その本には師匠の旅の全てが記載されているわけではありません。といいますのも、世界中を巡る冒険の途中、師匠は資金のために各地の出版社や小説家、さらには芸術家や貴族などにその冒険話や日記そのものを売っていたからですね」


 ティッパーフィールドへの愛と知識が足りない相棒は、私の解説に『へえ』と気の無い返事をした。


「後年、それらを世界中から集めたティッパニスタが『あてどない旅』を出版しましたが、未だ失われた日付――いわゆる『空白のページ』も多いままなんですよ。そして、彼がジオで『光の海』を見つけた後の三か月間も、空白のページとして存在しています」


 ちらりと私を見た相棒の瞳に興味の色が宿ったのを、私が見逃すわけがない。


「果たしてこの三か月、彼はどこに行っていたのでしょう? ふふふ、どうです、ディンさん? 山の上に残された古い市街の跡が、隣の国に存在する。ディンさんだって、一度は行ってみたいと思っていたんじゃありませんか?」


「……どうだかな?」


 図星を突かれた顔で、ディンさんはニヤリと笑った。私は、彼が見せてくれる顔の中でこの表情が割と好きだった。だから私もえへへと笑って、視線を外し。


 そしてすぐに、その風景に興味を移した。


「あ、見て下さいディンさん。あんなところにお家があります」


 言って、私が指さしたのは、煙突付きの小さな小屋。カズアール遺跡の真ん中から、山間を流れるフォリオ河の本流へと流れ込む小さな川がくねった礫場に、たった一軒だけぼつんと佇むおかしな家。


 すると、かつてそれと同じようにジオの森の中にたった一人で住んでいた我が相棒は、楽しそうに笑いながら。


「……はっ、変な奴ってのはどこにでもいるもんだな」


 などと言って、くしゃくしゃっと頭を掻いていた。


 だから私も笑ってまた彼の腕に寄り添い、私自身の日記を書くのだ。

 あくまでこれは、あなたが人買いの類だと思われないためにですよなどと言いながら。


 午後には、目的の街につくだろう。

 ランビア国の東側、果物と造船とそして何より遺跡の街『アレリア』。滞在予定は二月ほどだ。

 さあ、仕事を探さなくては。

 できれば花屋さんで働きたい。


 ――ある少女の日記より


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