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ヤヤはヴァンディットが皇帝に即位する際に、召し上げられたしがない側室だ。

実家は貴族ではあるが末端貴族。貴族とは名ばかりの少し裕福な一般市民とさほどかわりない。

食うには困らないが、派手にもならないその暮らしは側室としての召喚を受け終わりを告げた。


しかし、いざ皇帝の住まう城に入ると、そこには集められた幾多の美女。これ幸いと、外に出れないだけで実家にいた時とあまり変わらない暮らしが始まる。


数えきれない美女がいるにも関わらず、皇帝が後宮に訪れるのは月に一度。それも昼。様々な美女を侍らせて、お茶を飲めばさっさと帰る。


ヤヤはヴァンディットが男色か不能なのだと信じて疑わなかった。


そんなヤヤの暮らしは、月に一度の皇帝の訪問日にも顔を出さず、後宮内の図書館で本を漁ったり、庭園の散歩をしたり、趣味である絵を描いたりしていた。

皇帝の寵愛を欲することなく、女同士の熾烈でドロドロとした争乱に巻き込まれないその暮らしはまさに快適だった。


16歳で召し上げられて十年間、下賜されていく側室や意味もなく命を奪いあう側室たちを横目に日々穏やかな暮らしをしていたヤヤだが、皇帝即位を祝う今日の夜会だけは逃げられなかった。


側室の全員出席を言い渡されたこの夜会。今までは側室の多さからのらりくらりと夜会の出席を断っていたのだが、今夜はそれが出来ずに渋々ながらドレスを新調し出席していた。


皮を被った狐と狸の化かし合いを眺めつつ、護衛の騎士と談笑しながら出されていた酒や食べ物を忙しなく口に運ぶヤヤはまさに壁の花。身に纏うドレスも無難としか言いようがなく、良くも悪くも目立たない。


実家は末端貴族、後宮内でも日陰を歩いている彼女に声をかけるのは知り合いしかおらず、それも数分話せば終わるという呆気なさだった。

もとより、人付き合いが苦手な彼女はそれを不満に思うことなく、ただ履き慣れないヒールを脱ぎたいがために夜会を抜け出す算段をしていた。


それが、どうだ?


出たくもなかった夜会で予期せぬ戦闘に巻き込まれ、逃げ惑う人に押し流され護衛と逸れてしまい、なんとか戦闘から逃げようとすれば、履き慣れないヒールに足を取られ転んでしまう。なんとか、逃げ惑う人の間を縫って、壁際にへばり付くように逃れた時には満身創痍だった。


逃げようにも人波に飛び込めば逆に危ないと思い、人波が落ち着くかこの戦闘が落ち着くまではと、壁にへばり付いたままじっと息を殺す。


どこからか、一際大きな歓声が聞こえ、そちらに目を向けると、人波が割れ血塗れのソルディー公が歩いてくるのが見えた。


その姿はまるで妄執に取り付かれた幽鬼のようで、ヤヤは彼の姿を見ながら思った。


(勝ったのは皇帝か…)


その目は少し冷めていた。


そもそも独裁といえど、この国を十年も支えてきたのは他ならぬ皇帝。独裁せざるえなかったのは、手のつけられない程に腐った内部の膿を出すためだ。

その腐った膿の代表格で、出たくもない夜会を穏やかに終わらせてくれなかったソルディー公に、ヤヤはムカつきこそすれ同情や憐憫をかける気にはなれなかった。


しかしながら、血塗れで幽鬼のようなソルディー公ははっきりいって、恐ろしい。

そんな彼が呻き、足を縺れさせながらこちらに来る。彼の血走り濁った眼は、何故かヤヤ捉えてヤヤの足を竦ませた。


その視線に縫い止められたかのように動けなくなるヤヤの脳内は、この状況には似つかわしくないものだった。


(ちょ、腸が出てるし!私を見るより、その腸しまって!!)


そんなことを考えているヤヤは腸繋がりで、ディディの腸詰を思い出す。アレは美味しいが、ソルディー公の生々しい腸は美味しくなさそうだなと思うヤヤ。


目の前に迫るソルディー公に、恐怖で震えはするが悲鳴は上げない。


ソルディー公の口から一際大きな血の塊が吐き出されると、それは僅かにヤヤのドレスに掛かり辺りに散らばる。それを最後にソルディー公の力が尽きたのか、大きく彼の身体が傾いた。


「ひっ!」


短く息を呑むヤヤのドレスを倒れながら縋るように掴む彼。目を逸らすことも叶わず、ヤヤは壁に背を押しつけ少しでも離れようと身をよじる。


(これは…、助からないわね)


ソルディー公の出血の多さからそんなことを思っていると、


「だっ…だずっ…げでぇっぐれ…っ!!」


血反吐を吐きながら喚くソルディー公がそこにいた。


助けを呼ぶくらいなら、最初から仕掛けるなと思うヤヤは、ホラーなソルディー公を見ながら震える喉を何とか押さえて言った。


「無理っ!!」


その声が聞こえたのかどうか、どすっと鈍い音がしたかと思うと、ソルディー公の身体がびくりと跳ね、ヤヤのドレスを掴んだまま、完全に床に倒れた。


背後からブツブツとドレスのボタンが弾け飛ぶ音を聞きながら、その瞬間を目を見開いて看取るヤヤ。


(どうせ殺すんだったら、最初から息の根止めといてよ!)


したくもないホラー体験に内心文句を言いつつ、ソルディー公のホラーな死に様に身体はカタカタと震える。その震えに合わせて背中のボタンの弾け飛んだ血の付いたドレスがソルディー公に掴まれた手の方へとズルズルと脱げていく。肌を滑る布の感触を感じながらソルディー公に掴まれている自分のドレスへ目を向けたヤヤは、青ざめた顔で少し思案するとドレスをがばりと脱ぎ捨て、ソルディー公の死体から顔を背けながら、震えてうまく動かない体を叱咤して二歩、三歩と距離を取った。


白いスリップドレス姿になってしまったが、あのままでいるのはもっと嫌だった。


ヤヤは気付いていなかったが、ソルディー公側の人間は既に斬り伏せられているか、捕らえられており、一連のヤヤの行動を見ていたのは、皇帝と皇帝側の人間だけ。


逃げ惑っていた貴族や側室の姿は既になく、無関係な者はヤヤしかいなかった。


「ヤヤ様っ!!」


ヤヤの護衛である、リンクスの声が聖光の間に響く。

弾かれたようにそちらを見るヤヤは安堵のためか、骨を抜かれたようにその場にへたり込んだ。


直ぐ様駆け寄るリンクスは息を切らして、何処となく憔悴していた。


「申し訳ありません…!」


自分の上着を脱ぎ、ヤヤの肩にかけるリンクスは、言い訳を一切せずに謝罪だけを述べる。

ヤヤはこのリンクスの潔さが好きだった。


「お怪我はございませんか?」


泣きそうになっているリンクスの眼は、ヤヤを限りなく労わっており、そこには打算などは一切ない。


「こ…腰が抜けたみたい。リンクスは怪我はなかった?」


泣きそうなリンクスを見て、くしゃりと弱々しく微笑み冗談混じりにそう言うヤヤ。

それを見て更に泣きそうになるリンクスは、ヤヤを生涯護りたいと心から思うのだった。


「ごっほん」


わざとらしい咳払いが、美しい主従愛に水を指す。


「側室のヤヤ様でございますね?」


その後聞こえてきたのは、透きとおるような涼やかな声。

ヤヤとリンクスはハッとその声の方に目を向けた。

そこに立っていたのは、帝国の美神と言われる皇帝の片腕、セリウス=ミンディだった。


「セ…セリウス様」


呟いたのは果たしてどちらだったのか。ヤヤもリンクスも間近でセリウスを見たことはなく、その流れるような白金の髪と艶やかな紫紺の瞳が特徴的な中性的な美貌にぽかんと口を開け見惚れていた。


「ヤヤ様?」


セリウスの眉間に僅かに皺がより、再度ヤヤを呼ぶ。


その声に先に気を取り戻したリンクスが、ヤヤを揺さぶった。


「ヤヤ様、ヤヤ様!お気を確かに!!」


未だ凄惨な現場にいるにも関わらず、ここは天国かっ!とマジで思っていたヤヤは、リンクスの揺さぶりで漸く飛んでいた魂を身体に戻す。


「あっ…、何だっけ!?」


何を言われていたかわからないヤヤは顔を赤らめ、セリウスから視線を外す。次いで、リンクスを見やるが、こちらも軽くパニック状態だ。


そんな二人にため息を吐き、頭を振るセリウス。それから、一つ大きく息を吸い込みヤヤとリンクスに言葉をかけた。


「今宵はこのようなことになり、大変申し訳ありませんでした。さあ、そのような格好では風邪を召されてしまいます。護衛は速やかに部屋にお送りしなさい」


前半はヤヤに、後半はリンクスにと告げられた言葉に二人は慌ててその場を去ろうと試みた。


しかし、立ち上がろうとしたヤヤは腰の抜けた状態から回復しておらず、立ち上がることが出来なかった。


「ヤヤ様、失礼します」


見兼ねたリンクスはヤヤに断りを入れると、ヤヤの膝裏に腕を差し込み抱え上げた。


「うわっ!」


突然高くなる視界に驚きの声をあげつつ、ここから部屋までの距離を思うヤヤ。


(腕痺れないかな?)


そんな心配をしてみるが、リンクスに降ろしてもらおうとは思わなかった。


気付けばむせ返るような血の匂い。再び、身体が震え出す。


己を抱きしめる様に、リンクスの腕の中で縮こまるヤヤは一刻も早く部屋に戻りたかった。



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