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もう少しすれば職場復帰出来るほど体が回復したザイドは、仕事の感覚を取り戻す為に、職場である王城から自分が処理すべき書類を取り寄せた。
休んでいる間に他の者がある程度のフォローはしてくれたようだが、それでも結構な量の書類が残っている。これはいけないと、ザイドは自室に机を運びこみ、さっそく仕事にとりかかった。
書かれている内容を読んでサインをしたり、不備がある箇所を修正するなど集中して仕事をしていると、控えめなノックの音がする。
返事をすると、ティーセットの乗ったワゴンを押して、シェリーが部屋に入ってきた。
「ザイド様、お茶をお持ち致しました」
ザイドが驚く。
「シェリー、そんなことは使用人に任せればよい」
「わたくしがやりたかったのです」
そう言って微笑むシェリーにザイドはそれ以上注意することもできず、ペンを置いて、細い指がお茶を入れるのをじっと見つめた。
「どうぞ、ザイド様」
渡されたお茶を一口飲む。
「ああ、美味い」
ザイドは牙を剥き出して笑った。本当は執事が淹れたお茶の方が味は美味しい。だがシェリーの淹れたお茶は、味とは別に、心の中にまで沁みこむような温かさがあった。
「良かったです。何かわたくしもお手伝いできることはありませんか?」
「いや……」
さすがに国の内情にかかわる書類を任せることはできないし、シェリーに処理できるものでもない。
「そうですか」
ワゴンに手を掛けるシェリー。それを見たザイドは、シェリーが部屋から出て行こうとしていることに寂しさを感じて、慌てて言った。
「シェリー、そこに居てくれないか?」
椅子を指さすザイドに、シェリーが首を傾げる。
「ここに、ですか?」
「ああ。それで時々茶を入れてくれると嬉しい」
「分かりました。では、わたくしも、ここで少し作業をしても構いませんか?」
「作業? 構わないが……」
作業とはなんなのか、とザイドが思っていると、シェリーは一度ザイドの部屋から出ていき、隣の部屋から細長く切られた色とりどりの布を沢山持ってきた。
「それは?」
「この布を編み込んで、鞄や胸飾りなどの小物を作るのです。わたくしが生まれ育った街の伝統工芸なんです」
「シェリーの故郷の……」
シェリーが少しだけ遠い目をする。
「わたくしの故郷は王都から程近いメイロウという街なのですが、その街では女の子は嗜みの一つとして、編み方を母親から学びます」
「……そうか」
「はい」
シェリーはザイドに微笑み、布をいくつか手に取って編み込み始めた。道具を一切使わずに手で複雑に編んでいく様子を暫し見つめる。
故郷が恋しいか。
それは、訊けない。ザイドはシェリーから視線を外し、仕事に戻った。
時々シェリーがお茶を入れ、昼食を一緒に食べて、また仕事をして……。
「あまり無理をなさると、ぶり返しますよ」
シェリーの言葉にハッとする。窓の外を見れば薄暗く、部屋のランプには明かりが灯されていた。
「夜なのか……」
「ザイド様は真面目なのでございますね」
シェリーがザイドの傍らに立つ。
「いや、そんなことはないが……、付き合わせて悪かった」
「いいえ。――ザイド様」
なんだ、と訊こうとしたザイドの頭に、シェリーはふわりと何かを乗せた。
ザイドが不思議そうに、自分の頭に触る。
「これは……?」
「帽子です」
渡された手鏡を覗き込むと、確かにそれは帽子だった。
色とりどりの布で作られた帽子は、二本のツノが出る穴もあり、大きさもザイドの頭にぴったりだ。
「シェリー……」
「少し、可愛いすぎたかもしれません」
悪戯っぽく笑うシェリーに、愛おしさが込みあげる。
「シェリー、ありがとう」
ザイドは立ち上がり、傷付けないように優しくシェリーを抱きしめる。そして目を見開くシェリーの唇に、そっと己の唇を押し当てた。
シェリーの唇は甘く、ザイドに喜びを与え、名残惜しげにゆっくりと離れれば――。
「…………!」
――シェリーは泣いていた。一気に血の気が引き、おろおろとしながらザイドは指でシェリーの涙を拭う。
「す、すまなかった」
また調子に乗ってしまった。何故自分は学習しないのか。
「許してくれ、シェリー」
シェリーは涙をはらはらと流しながら、首を横に振った。
「いいえ、いいえ。わたくしこそ……」
「シェリーの嫌がることをするつもりはなかったのだ、ただ、あまりにも嬉しくて……その、つい」
シェリーがもう一度首を振る。
「そうではないのです。ザイド様が嫌いなわけではないのです。ただ……」
「なんだ? 何でも言ってくれ」
魔人と一緒に居るのは、やはり嫌だったか。それとも人間界が恋しいか。しかしシェリーの口から出たのは、予想もしない言葉だった。
「……わたくしには、将来を誓い合った方がいたのです」
ザイドの動きがぴたりと止まる。
「…………」
将来を誓い合った、それはつまり――。
「そう、か……」
ザイドの全身から汗が噴き出す。
婚約者がいたのか。だがよく考えれば、人間の基準で美しく、魔人である自分でさえ愛おしく感じるシェリーに、そういう相手がいないわけがない。
「ザイド様がこれほどまでに優しくしてくださっているというのに、わたくしはその方が……忘れられません」
「…………」
思い合う相手がいたのに魔界に連れて来られ、そのうえ魔人の情人されたのか。
泣きじゃくるシェリーに触れることもできず、ただザイドは立ち尽くした。




