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「もう少し賢いと思っていたのだが、どうやら間違いだったようだ」


 謁見室で豪奢な椅子に座った魔王が、跪くザイドを冷たく見下ろす。

 あれだけの騒ぎを起こしたのだから、王の耳に入らないわけがない。いや、もしかして王は、ザイドが魔界から出た段階で気づいていたのかもしれない。

 屋敷に着いてすぐに拘束されて王城に連れてこられたザイドは、深く頭を垂れた。

 一時の感情で、とんでもないことをしたのは分かっている。反省もしている。だが後悔はしていない。

 褐色の肌に金の髪と瞳を持つ魔王が、長い指をザイドに向かって小さく動かした。途端にザイドの体が壁まで飛ばされる。

「病気療養中ではなかったのか? わざわざ人間界まで行き、騒ぎを起こしてくるとはどういうことなのだ?」

 ザイドは唇を引き結び、もう一度跪いて頭を深く下げた。

「人間界に、『やられる前に魔界に攻め入ろう』という声があるのは知っているな? 今回の軽率な行動で、それが高まるかもしれない。そうすれば魔界からは『やはり人間界など滅ぼそう』という意見が出るかもしれない。我が面倒なことが嫌いなのは知っているだろう?」

 魔王が立ち上がり、ザイドの前に立つ。

「人間には適当に自由を与え、魔界に貢がせておけば良いのだ。――分かったか!」

 ザイドの体が再び吹き飛び、壁を突き破って転がった。

「滅多に魔力を使わない、ましてや誰かを攻撃したことなど一度もないお前がそこまでするとは……。そのみっともないツノといい、あの人間の女に誑かされたか?」

 魔王の言葉に、ザイドは目を見開いて首を横に振った。

「違います陛下! このツノも今回のことも、すべて私が勝手にしたことです!」

 体を起こそうとするザイドの肩を、魔王が踏みつける。

「お前がいかにも好きそうな、儚い雰囲気の女だからくれてやったのだが、間違いだったか」

 魔力で床に押し付けられながらもザイドは必死に顔を上げ、魔王に訴えた。

「陛下、シェリーは何も悪くはないのです。私が嫌がるシェリーを無理やり人間界に連れて行きました。私がシェリーを誑かしたのです」

「あの女、処分しようか」

「陛下! それだけはお許しを! 罰は私だけに!」

 手を伸ばして縋り付こうとしたザイドの顔面を、魔王は蹴った。ザイドの鼻と耳から血が流れる。

「どうか陛下……」

 それでもまだ手を伸ばしてくるザイドに王は鼻を鳴らした。

「女ひとつで、こうも駄目になるか。お前を側近にした我は、見る目がないらしい」

「陛下……」

 王がザイドから離れる。

 目を掛けてもらっていたにも関わらず不祥事を起こし、王の顔に泥を塗ってしまったザイドは、返す言葉もない。

「……申し訳、ございませんでした」

 拳を握りしめ、小さな声で謝るザイド。王がそんなザイドをじっと見る。

 暫く、王は話さずザイドは話せず、ただ静寂の中に、ザイドの鼻から流れる血の音がポタポタと聞こえる。そして――。

 王はマントを翻し、肩越しにザイドを見て口を開いた。


「我は今から人間界に行き、今回の事件に関する記憶を人間共から消してくる。お前は我が帰ってくるまで自宅謹慎だ」


 ザイドの体がピクリと動く。いったい何を言われたのか、分からなかった。

 言葉を頭の中で繰り返してようやく理解し、ザイドは目を見開いて王を見上げる。

「陛下……?」

 これだけのことをしたのだから、牢に入れられて拷問されるのが当然だろう。極刑も覚悟していた。それなのに、あまりにも処罰が軽すぎる。

「帰ってきたら、お前には死ぬほど仕事を与える。女を処分されたくなければ、必死で働くのだな」

 それだけ言うと、魔王は呆然とするザイドを置いて、謁見室から出て行った。

「陛下……」

 それはつまり――許されたというのか、シェリーも己も。

 ザイドは痛む体を歯を食いしばって起こし、魔王の消えた扉に向かって深く深く頭を下げた。



◇◇◇◇



 近衛兵に連れられ、ザイドは裏口から王城を出て、蟲車に乗って屋敷へと帰った。

 痛む体を近衛兵に支えられて車から降りると、玄関の扉が勢いよく開く。ザイドは驚いた。

「シェリー……」

 扉を開けたのはシェリーだった。

「ザイド様……!」

 シェリーは青白い顔でザイドを見上げ、背伸びをして手を伸ばし、ザイドの腫れた顔にそっと触れる。

「わたくしのせいで……」

 シェリーの声も指も、震えていた。

 ザイドが緩く首を振る。

「違う。シェリーのせいではない」

 シェリーの瞳から涙が零れ、ザイドはシェリーの白い指を掴んで、己の汚れた顔から離した。

 シェリーの後ろから、執事が遠慮がちにザイドに声をかける。

「医者を呼んでまいります。ザイド様は、お部屋に」

「ああ」

 ザイドが屋敷の中に入り、執事が外に出て近衛兵に礼を言う。

 その声を聞きながらシェリーに手を引かれてゆっくりと歩き、ザイドは思う。おそらく、誰にも会うことなく城から出られたのは、近衛兵の配慮があったからだろう。今度会った時に礼を言わなくてはならない。そして執事にも謝罪をしなければ。

 自室へと戻り、ベッドに腰を下ろして、ザイドは深く息を吐いた。使用人がそっとドアを開け、コップと水差しを置いて、またそっと出ていく。

 シェリーはコップに水を半分ほど注いで、ザイドに渡した。

「ありがとう」

 喉を鳴らして飲む。水は少し、血の味がした。

 空になったコップをシェリーに渡し、ザイドは目を閉じる。

「……ザイド様」

 シェリーの声に再び目を開け、ザイドは告げた。

「魔王様が、今回の件に関する記憶を人間から消去してくださるそうだ」

 シェリーが目を見開く。

「記憶を……?」

「ああ」

 一部だけを消去するのは、魔王といえども骨の折れる作業に違いない。その気になれば他にも方法があるにもかかわらずそれを選んだのは、王の優しさなのだとザイドは改めて感謝する。

「そう、ですか……」

 呟き俯いたシェリーの手を、ザイドは握った。

「シェリー、すまなかった。余計なことをしたばかりに、辛い思いをさせた」

 シェリーが静かに、首を横に振る。

「いいえ、悪いのはわたくしです。わたくしが……」

 シェリーは顔を上げ、涙に濡れる目で笑った。

「わたくしはなんて愚かなのでしょう。ザイド様にも迷惑をかけて、怪我をさせて……どのようにして謝ればよいのか分かりません」

「シェリー、泣かないでくれ」

 ザイドの指がシェリーの涙を拭う。

「ザイド様の優しさにつけ込み、わたくしは……なんて醜い」

「違う。シェリーは美しい」

 ザイドはシェリーの体に手を伸ばした。

「シェリー、今だけこの腕に、シェリーを抱いてもいいだろうか?」

 返事を待つことなく、ザイドはシェリーの体を腕の中へと閉じ込める。

 シェリーはザイドの胸で泣き続けた。


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