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 馬車から降りた二人は、大通りから少し離れた場所に立つ大きな屋敷に向かって歩いた。

 おそらくここは上流階級が住む住宅街になるのだろう。周囲には立派な屋敷が立ち並んでいる。

「もうすぐ……」

 シェリーが呟く。

 もうすぐ、シェリーは恋人と会える。そして自分は――と思わず考えて、ザイドは奥歯を噛みしめた。なんて未練がましい。決心がすぐ揺らぐ己が嫌になる。

 自己嫌悪に陥りながら手を引かれて暫く行くと、シェリーの恋人のマテリオが住む屋敷の側まで辿り着いた。シェリーが「ああ!」と声を上げる。

「マテリオ様が……!」

 屋敷の庭に居る男、あの男がマテリオなのか。銀色の髪に白い肌、細くしなやかな体は、確かに人間としては整った容姿なのだろう。彼にシェリーを託せば、ザイドの役目は終わる。

「ああ。マテリオ様、マテリオ様……!」

 恋人の存在に興奮したシェリーが駆け出そうとして――しかし、その動きが止まった。

「え……」

 呆然とするシェリー。ザイドも目を見開く。

 これはいったいどういうことなのだ。目の前の光景は何なのか。

 シェリーの手が震える。


 マテリオは一人ではなかった。


 マテリオの横には、金の髪を美しく結い上げた若い女が立っており、二人は時々顔を近づけては笑いあっていた。

 使用人か友人か……だが、ただの知り合いとも思えない親密な様子に、シェリーが狼狽する。

「マテリオ、様……」

 ザイドも予想外の展開に動揺する。どうするべきか、こういう場合は。このままマテリオのところまで行ってもよいのだろうか。

 助けを求めるようにぎこちなく周囲を見回し――ザイドは、どこかの屋敷の使用人らしき恰幅の良い女が、買い物かごを持って歩いているのを見つけた。

「そうだシェリー、あの者に訊いてみよう」

 返事をしないシェリーを半分引きずって、ザイドは女に近づき声をかける。

「すまない。少し訊きたいことがあるのだが」

「はい?」

 突然声を掛けられた女が驚く。それに構わず、ザイドはマテリオの横に居る人物を指さして訊いた。

「あの屋敷の庭に居る女性のことについて、何か知らないか?」

 女は目をパチパチさせてザイドを見上げた。

「お兄さん知らないのかい? あの屋敷に姫様が嫁ぎなさったこと」

 女の言葉に、ザイドとシェリーが目を見開く。

「姫様……?」

 シェリーの呟きに、女は頷いた。

「ああ。三番目の姫様が、そこの一人息子に嫁ぎなさったんだよ」

「…………」

 あまりのことに声が出ない。シェリーの居ない間に、マテリオは新しい人生をもう歩み始めていたのか。

「もういいかい?」

 そう言って去ろうとする女を、ザイドは引き止めた。

「待ってくれ。あの屋敷の息子には恋人がいるのではなかったのか?」

 女が肩を竦める。

「恋人? 愛人のことかい? そりゃ沢山いたさ」

「沢山……?」

 しかも恋人ではなく『愛人』が?

「あら嫌だ、喋りすぎちゃったかしら」

 屋敷の方をチラリと見て、女は口に手を当てた。

「……どういうことだ?」

 カラカラと乾く喉をひくつかせてザイドが訊くと、女が困った顔をする。

「どういうことって、そういうことだよ。これ以上はねえ……よそ様のお屋敷のことだし……」

 渋る様子を見せる女に、ザイドが頼み込む。

「もう少し教えてくれ」

「そう言われても、ねえ」

 女は眉を寄せ、掌をザイドに向けてひらひらと手を振って見せた。

 もしかしてこれは……。

 ザイドは気づき、懐から金貨を一枚出して女の掌に載せる。女が目を見開いた。

「え!? これ、くれるのかい? こんなに?」

 ザイドが頷くと、女は屋敷の方を一度確認し、屋敷から少し離れた場所までザイドを引っ張っていって興奮気味に話し始めた。

「なんでも、城の夜会でお姫様に見初められて、慌てて遊んでいた女達を切ったって噂だよ。愛人連れたまま姫様と結婚するわけにはいかないだろう? かなり強引な手段で別れたらしいよ。渋る女は僅かな金を渡されて街から追い出されたとか……」

「なんだって……?」

 ザイドが息を飲む。

「ああ、その中でも一番可哀想なのはアザミヤ家のお嬢さんだね。本気で息子に入れ込んでいたらしいよ。バカだねぇ、よりによってその息子に魔界に売り飛ばされちまうんだから。娘を庇うべき両親も、病気の息子を治す薬と引き換えに娘を渡しちまうんだから、酷い話だよ。以前ね、ちらっと見かけたことがあるんだけど、綺麗なお嬢さんだったよ。運が悪かったねぇ。今頃はもう魔王に魂を吸い取られてしまったんだろう、可哀想に。本当に、惚れた相手が悪かったよ」

 女はそれだけ話すと、金貨をにやけながら懐にしまって、じゃあねと去って行った。


「…………」


 残されたザイドはゆっくりと、青い顔で立ち尽くすシェリーに視線を移す。

「シェリー……」

 今の話は本当なのか。もしかして『アザミヤ家』というのは……。

 信じたくない。まさか、そんな。シェリーの恋人なら素晴らしい人物の筈だ。両親はとても優しくて、大事に育ててくれたとシェリーは言っていた。だが、しかし……。


「嘘です」


 震える声でシェリーがきっぱりと言う。

「シェリー……」

「嘘です。わたくしを愛していると、一緒になろうとマテリオ様はおっしゃいました。両親は、馬車で王城に連れられて行くわたくしを、必死に追いかけてくれました」

「…………」

 根も葉もない噂ならいい。だが先ほど見てしまったマテリオと女の仲睦まじい様子、あの光景をどう説明する?

「……シェリー、一度帰ろう」

 ひどく混乱する頭を一度整理する必要がある。それに、もし本当ならば……。

「嫌です!」

「あ、シェリー……!」

 シェリーはザイドの手を振り払い、恋人の屋敷に向かって走り出した。


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