想想戦記(短編)
目覚ましが鳴る前に、近藤大地は目を覚ました。
心臓が、やけにうるさい。
――まただ。
夢の中で、誰かが遠ざかっていく。
名前を呼ぶ声は途中で途切れ、伸ばした手は空を掴むだけだった。
「……っ」
喉の奥が詰まり、息がうまく吸えない。
天井を見つめながら、ゆっくりと息を整える。
分かっている。夢だ。
それでも胸の奥に残る重さだけは、朝になるたびに確かに蘇る。
――助けられなかった。
その事実を、忘れさせてはくれない。
「大地ー! 遅刻するわよー!」
「今行く!」
母の声に現実へ引き戻され、ベッドを抜け出した。
朝食の席は、いつも通りだった。
父は新聞を読み、母は忙しなく動き回っている。
「最近、帰り遅いな。生徒会か?」
「うん。ちょっと仕事が多くて」
「無理はするなよ」
大地は笑って頷いた。
無理をしているつもりはない。ただ、頼まれたら断れないだけだ。
高校では、廊下を歩いているだけで声をかけられる。
「おはよ、大地!」
「この前ありがとね」
立ち止まり、返事をする。
困っている人を見かけたら声をかけ、迷っていれば少し立ち止まる。
いつからそうしていたのかは覚えていない。
何もしなかったあとに残る感覚を、知っているだけだ。
授業が終わり、生徒会室へ向かう途中、ひそひそとした会話が耳に入った。
「最近、夜に変なこと起きてない?」
「理由もなく倒れてる人、増えてるらしいよ」
足が一瞬止まる。
聞かなかったことにしようとして、やめた。
胸の奥が、静かにざわついている。
「今日は早めに切り上げるぞ」
生徒会室で、会長が言った。
「最近、街で妙な事件が多い。夜は危ないらしい」
日が傾く頃、校舎を出る。
胸騒ぎは残っていたが、大地はそれを気のせいだと思うことにした。
帰り道。
路地の入り口で、すすり泣く声が聞こえた。
見過ごせなかった。
「どうしたの?」
小さな男の子が顔を上げる。
「ねこ……ミャー君が……いなくなっちゃった……」
「分かった。一緒に探そう」
言った瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
――あの時も、こうして手を伸ばせばよかった。
路地裏に入った瞬間、空気が変わった。
冷たく、重く、息苦しい。
猫の鳴き声。その近くに、それはいた。
人の形をしているが、どこか歪んでいる。
怒りと悲しみが混ざったような存在。
「……逃げて!」
男の子を庇うように前へ出る。
足が震える。怖い。それでも、逃げられなかった。
男の子が転んだ。
怪物がそちらを向く。
――また、間に合わないのか。
「……もう嫌だ」
拳が熱を帯びる。
内側から、何かが溢れ出した。
理屈は分からない。
だが、不思議と分かる。
――使い方が。
「拳だけでいい……」
一歩踏み込み、腕を引く。
「届け!!」
拳を突き出した瞬間、視界が白く弾けた。
空気が裂け、拳の形をした衝撃が一直線に怪物を貫く。
爆ぜる音とともに、それは消えた。
静寂。
男の子と猫は無事だった。
大地は膝をつき、震える拳を見つめる。
「……何だよ、これ」
分からない。
それでも一つだけ、確信できた。
――この力があれば、もう手が届かないなんてことはない。
翌朝。最悪の目覚めだった。
「やばっ!」
寝坊に焦り、家を飛び出す。
走りながら拳を見る。昨日と変わらない。それでも確かに――。
「間に合え……!」
放課後、生徒会室。
校舎はすっかり静まり返っていた。
「今日はここまでにしよう」
会長が先に帰り、大地は一人残る。
戸締まりを終え、廊下に出た瞬間。
――ドンッ!!
爆発音が、校舎の奥から響いた。
反射的に走る。
校庭の端。
瓦礫の中で、刀を持つ青年が立っていた。
怪物は、時間差で崩れ落ちる。
雷が落ちた直後のような光景。
「……使いたくはなかったのだがな」
だが、その背後にもう一体。
青年は吹き飛ばされ、膝をつく。
「下がれ」
「でも!」
「一般人だろ。逃げろ!」
怪物が迫る。
青年は大地の前に立つ。
「守りながらじゃ、戦えない……!」
その背中を見て、大地は拳を見る。
昨日の感触。
――想像しろ。
「届け!」
再び、拳を突き出す。
衝撃が怪物を揺らすが、倒れない。
反撃で大地は叩きつけられる。
それでも、立ち上がる。
――まだだ。
次の瞬間、怪物の腕が吹き飛んだ。
「時間切れですか」
怪物は笑い、闇へ消えた。
大地は崩れ落ちる。
最後に見えたのは、刀を持った男。
「……生きてやがるか、号」
「……誰だ、お前」
そこで、意識が途切れた。
目覚めた白い部屋で、大地は思う。
もう戻れない。
それでも――後悔だけは、しない。
これは、
思いと思いがぶつかり合う戦いの記録。




