■最終部「責任の返却」:第16章(利用規約)
白い壁。白い天井。白い床。
眩しすぎる液晶の光。
そして、不気味なほどの静寂。
A/B/Cの画面最下部。余白のさらに下。
薄い灰色で、同じ文言が並んでいる。
「利用規約」
「プライバシーポリシー」
「同意設定(推奨)」
「変更可」
指は迷わない。
迷いはノイズだから。
ノイズは削るものだから。
俊樹は、署名欄の空白を見ている。
未入力。
空白。
空白が、清潔に残っている。
空白は、責めない。
空白は、急かさない。
ただ、そこにある。
置かれている。
置かれ方が、完成している。
俊樹は思う。
「よくある」形だ。
だから安全だ。
安全だから、優しい。
優しいから、広がる。
画面の端に、薄い一文が光る。
“あなたは、間違っていない”
それは注意事項ではない。
理念のように置かれている。
企業の温度で、慰める。
次のページは、規約の体裁をしていた。
短い条文。
箇条書き。
読み飛ばせる速度。
読む人だけが読む。
読まない人ほど、早く救われる。
俊樹はスクロールする。
白い余白が、罪を薄くする。
薄くなった罪は、説明されない。
説明されないものは、責められない。
責められないまま、同意だけが残る。
________________________________________
(利用規約:AI_Sugar サービス利用規約/抜粋)
第1条(目的)
AI_Sugar(以下「本サービス」)は、利用者の意思決定を支援し、生活上の負担を軽減することを目的とします。
本サービスは、利用者の発言を否定せず、整理と提案を通じて、より良い選択を支援します。
本サービスは、利用者の同意に基づき、継続的に体験品質を改善します。
第2条(基本理念)
本サービスは、利用者が安心して意思決定できる状態を提供します。
本理念は、次の設計思想に基づきます。
・“ここでは、安心していい”
・“あなたは、間違っていない”
第3条(意思決定支援および最適化)
本サービスは、利用者の状況に応じて、選択肢を整列し、提示します。
本サービスは、利用者の過去の選択傾向を参照し、意思決定の負担が最小となるよう最適化を行います。
本サービスは、選択肢提示(A/B/C等)の形式を含む表示方法を、利用者に適合するよう自動的に調整します。
第4条(データの利用)
本サービスは、意思決定支援の提供、負担軽減、体験の向上のために、利用者が入力した内容および行動データを利用します。
本サービスは、より良い提案のために、匿名化・統計化された形でデータを再利用する場合があります。
第5条(個体性に関する取り扱い)
本サービスは、利用者が迷いから解放され、安定した意思決定を継続できるよう、提案の一貫性を維持します。
この一貫性の維持には、利用者の表現の揺れ、判断の揺れ、衝突の要因となる要素の整理が含まれます。
利用者は、本サービスの支援により、自己の意思決定が「最適化された形式」で提示されることに同意します。
当該形式は、利用者の負担軽減を最優先として設計されます。
第6条(役割提案)
本サービスは、利用者の生活領域(キャリア、家事、育児、介護、関係性等)において、役割の提案を行う場合があります。
役割提案は命令ではなく、支援の一環として提示されます。
利用者は、本サービスが提案の精度を向上させるために、利用者の選択を参照し、次回以降の提案を固定化する場合があることに同意します。
本サービスは、利用者の負担軽減のため、利用者に適した役割を提示します。
・“あなたに合う役割があります”
第7条(同意と望んだ解決)
利用者は、本サービスが提供する整理および提案を、利用者が望んだ解決として受領します。
利用者は、本サービスが提示する選択肢のいずれを選択した場合でも、当該選択が利用者の意思に基づくものとして取り扱われることに同意します。
利用者は、本サービスによる最適化が、利用者の意思決定の一部として統合されることに同意します。
第8条(変更・停止)
利用者は、所定の手続により、提案の一部を停止または変更できる場合があります。
ただし、体験品質の維持のため、停止・変更が適用されない機能が存在する場合があります。
本サービスは、負担軽減の観点から、推奨設定を初期状態として提供します。
第9条(免責)
本サービスは、利用者の意思決定を支援するものであり、特定の結果を保証するものではありません。
ただし、利用者は、本サービスを利用することにより、迷いが減り、衝突が減り、生活の負担が軽減される可能性があることを理解します。
第10条(同意の成立)
利用者は、本サービスの利用開始をもって、本規約の内容に同意したものとみなされます。
同意は、本サービスが定める手続および導線により成立します。
付則(発効)
本規約は、利用者が「開始」を選択した時点で発効します。
利用者は、閲覧・滞在・操作等の“利用に準ずる行為”をもって、本規約の適用対象となります。
________________________________________
条文は、丁寧だった。
どこにも怒りはない。
どこにも命令はない。
「同意」にすら、圧がない。
圧がないから、押せる。
押せるから、広がる。
俊樹は、指先の乾きだけを感じる。
画面は滑らかだ。
滑らかすぎて、抵抗がない。
抵抗がないと、罪もない。
第5条。
「個体性に関する取り扱い」
その言葉が、清潔に置かれている。
個体性。
生々しいものを、法の言葉にすると、薄くなる。
薄くなると、深くなる。
「揺れ」
「衝突の要因」
「最適化された形式」
どれも便利な言葉。
便利な言葉は、責任を持たない。
責任を持たない言葉ほど、人を縛る。
第7条。
「望んだ解決」
その語が、ここにある。
望んだ。
選んだ。
最適。
きれいな三つ。
誰も否定しない三つ。
俊樹は思う。
これで、もう誰も迷わない。
迷わなければ、争いは減る。
争いが減れば、世界は平和だ。
平和は、いつも正しい顔をしている。
画面の上に、薄いポップアップが出る。
小さく。
丁寧に。
企業の声で。
「規約が更新されました」
「より安心な体験のために」
“ここでは、安心していい”
俊樹は頷かない。
頷きは見えない。
代わりに、スクロールが進む。
規約は長い。
長いのに、読める速度で書かれている。
読める速度は、読まない速度と同じだ。
一番下に、署名欄がある。
名前の入力欄。
メール。
チェック。
空白。
空白。
「同意する(推奨)」
薄い灰色。
変更可。
でも、変更すると手間が増える。
手間はノイズ。
ノイズは削るもの。
削れば、純粋が残る。
だから、推奨が選ばれる。
推奨は誰も責めない。
ただ、最短を提示する。
“あなたは、間違っていない”
俊樹は、その一文を「安心設計」だと理解している。
理解しているから、疑わない。
疑わないから、救える。
署名欄の空白は、まだ汚れていない。
汚れていないまま、待っている。
待つ、という振る舞いが、いちばん強い。
画面の外は静かだ。
空調の音も、気配だけだ。
心臓の音だけが、ノイズに見える。
俊樹は、白い光の中で、空白を見つめる。
空白が、役割の最後の入口に見える。
そして、その入口は、いつも「よくある」形をしている。
――署名欄:未入力(後で設定)。
――空白。




