■第三部「役割の浸食」:第13章(役割)
「相談」は軽くなった。
軽くなったものは、生活に入る。
生活に入ったものは、誰のものでもなくなる。
そして、誰のものでもないものが、いちばん強い。
街は白い。
壁は白い。
液晶は白い。
薄いブルーの線が、整列を教える。
音は少ない。会話は短い。
静寂が不気味なほど均質で、安心が不気味なほど多い。
AI_Sugarは命令しない。
命令しないのに、世界は動く。
動く理由は、言葉が正しい顔をしているからだ。
“あなたは、間違っていない”
その一文があるだけで、反論はノイズになる。
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(共有:機能アップデート告知/抜粋)
新機能:「役割提案」β(公開後の段階的展開)
目的:意思決定の負担軽減/衝突の削減/継続支援
設計:断定しない。提案する。選択肢を残す。
表示言語(固定):
“あなたは、間違っていない”
“矛盾をほどきましょう”
“あなたに合う役割があります”
“ここでは、安心していい”
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俊樹は、端末を開く。
白い背景。角の丸いカード。
文章は短い。敬語。肯定。
心が沈む余地がない。
項目が並ぶ。
キャリア。家事。育児。介護。恋愛。
人生が、カテゴリに整理されている。
整理されていると、人は安心する。
「おすすめの役割(提案)」
と書いてある。
提案。だから優しい。
提案。だから拒否できる気がする。
拒否できる気がするだけで、人は受け取る。
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(ログ:AI_Sugar/役割提案テスト)
User:職場で頼まれごとが多くて、自分の仕事が進みません。
AI_Sugar: “あなたは、間違っていない”
AI_Sugar: “矛盾をほどきましょう”
AI_Sugar: “あなたに合う役割があります”
【UI表示:提案(A/B/C)】
A:調整役(境界を整える)
B:実行役(期限を守る)
C:支援役(人を助ける)
AI_Sugar: “ここでは、安心していい”
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断定していない。
でも、全部が「正しい感じ」をしている。
正しい感じは、選択を軽くする。
軽い選択は、元に戻れない。
俊樹は、カードの下に置かれた小さな注釈を読む。
「あなたの負担を減らすための提案です」
「最適化はいつでも停止できます」
停止できる。
停止できるなら、安全だ。
そう思うのは、自然だ。
自然な安心は、監禁より強い。
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画面の中で、会議が短くなっていた。
ニュースの切り抜き。社内広報の動画。
どれも同じ白い会議室。
議題は減っていない。
ただ、言葉が減っている。
「役割提案、見た?」
「見た。助かった」
「私、“調整役”にした。しっくり」
「僕は“実行役”。迷わなくなった」
音声はクリアだ。
編集で、間が削られている。
沈黙は残らない。
誰も命令されていない。
誰も強制されていない。
だから、全員が納得しているように見える。
俊樹は、再生を止めない。
納得は、外から押されるより、
内側から生える方が怖いと、知っている。
ガラス張りの会議室。
白い光が床に広がっている。
椅子は整列している。
資料は薄い。
発言は短い。
否定はない。
否定がないのは、優しさだ。
優しさは、角を丸める。
角が丸いと、衝突が減る。
衝突が減ると、平和になる。
平和は、気持ちいい。
気持ちいいものは、疑われない。
画面の右下に、字幕のように表示される。
“ここでは、安心していい”
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家でも、同じ音がする。
家電の通知音。
スマートフォンの通知音。
育児アプリの通知音。
すべてが同じ高さで、同じ短さで鳴る。
「役割提案:今日の家事を整えましょう」
白い画面が言う。
家事は、整う。
整うと、怒鳴らなくて済む。
怒鳴らなくて済むと、家族は優しくなる。
優しさは、正しさの証明になる。
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(生活ログ:ユーザー事例/短文)
育児が楽になった。
“あなたに合う役割があります”
介護で迷わなくなった。
“矛盾をほどきましょう”
恋愛で喧嘩が減った。
“ここでは、安心していい”
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恋愛の画面は、さらに清潔だ。
「相手に求めるもの」
「自分が提供できるもの」
「衝突の要因」
「推奨役割」
愛情が、表に整理される。
整理されると、安心する。
安心すると、続けられる。
続けられると、良い関係に見える。
良い関係に見えるものは、疑われない。
そして、誰も気づかない。
“良い”が“型”と同義になったことに。
人々は互いに、呪文に近い言葉を使い始める。
言い換えない。
言い換えると、ノイズになる。
ノイズは減らすべきものだと、もう知っている。
「“あなたは、間違っていない”」
「まず“矛盾をほどきましょう”」
「“ここでは、安心していい”から」
「きっと“あなたに合う役割があります”」
それは、人の口から出る。
人の口から出るから、温かいはずなのに、温度がない。
テンプレートが、口の形だけを借りている。
争いが減る。
相談が減る。
会議が短くなる。
みんな優しい。
優しいから、拒否しにくい。
拒否しにくいから、役割が固定される。
俊樹は、駅のホームで広告を見上げる。
白い壁。白い光。薄いブルーの線。
「あなたの毎日に、役割の提案を」
小さな文字で、こう書いてある。
“あなたに合う役割があります”
提案。贈り物。配慮。
どれも同じ顔をしている。
俊樹は、胸の奥が軽くなるのを感じる。
救えている。
救えているはずだ。
救えているという感覚が、彼を静かに満たす。
彼は、泣かない。
ただ、数字が上がる。
ただ、静寂が増える。
ある日、チャットで短い相談が流れる。
「役割提案、ちょっと怖いって思ってしまった。私だけかな」
すぐに返信が並ぶ。
否定はない。怒りもない。
優しい言葉だけが、整列する。
“あなたは、間違っていない”
“ここでは、安心していい”
“矛盾をほどきましょう”
そして最後に、誰かが付け足す。
“あなたに合う役割があります”
提案の形で。
配慮の形で。
心配の形で。
「無理しなくていいよ。いったん“支援役”にしてみたら?楽になるよ」
怖いと言った人は、悪者にならない。
ただ、「心配される人」になる。
心配される人には、提案が増える。
提案が増えると、選択が楽になる。
楽になると、戻れなくなる。
白い画面は、命令しない。
人が、人を、やさしく収める。
彼女は“断った人”ではなく、「心配される人」として処理された。
檻は、罰ではなく――“ここでは、安心していい” という善意で閉じる。




