君こそ英雄
「――――えっ?」
足をバタつかせながら宙に浮き、異形の腕に捕まれ歪みへと引きずり込まれたクラスメイトの姿を見て誰かがそう呟いた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静まった車内にその声が響き渡り、恐怖さえも感じない無が車内を包み込む。
「………う、うぅ、うわぁぁぁぁぁ!?」
だがその静寂は長くは続かない。
悲鳴と共に喧騒が息を吹き返した車内は一瞬で恐怖一色に染まった。
そして止まっていた俺の思考も一瞬の停滞を搔き消すように動いた。
「――――ッッ!!」
言葉を吐くことさえ忘れ、朝日の手を取って足先まで跡形もなく飲み込んだ歪みから逃げるようにバスの前方へと走る。
あれが何なのか、そんなことを考えている暇はなく、只々本能のままに朝日の手を引いて対して広くもない車内を前方に向かって全力で駆けていく。
すると同じことを考えたクラスメイト達がすでに前方へと殺到しており、そのうちの数人が運転手に詰め寄っていた。
「止めて!早く降ろしてっ!!」
その絶叫の如き懇願に動じることなく、バスは坂道をぐんぐんと登っていく。
なぜ?そんな疑問と焦燥に駆られながらふとバックミラーを見た。
するとそこには暑くもないのに大量の汗を額から流し、瞳孔の開き切った目で一心不乱に前を向きながら、口を半開きにして唇を小刻みに震わせている運転手の姿があった。
「まさか――――」
最悪のシナリオが脳裏をよぎったその時、運転手の叫びによってその最悪が現実となった。
「ブレーキが、ブレーキが効かないんだ!!俺は止めようとしてるのに!!!」
「そんな訳ねぇだろ!!早く止めろよっ!!」
「無理なんだ!ブレーキを踏んだってビクともしないし効いてもない!!」
運転手がそう言いながら必死に右足を動かすもバスは止まらず、それどころか勾配のきつい一直線の山道をゆっくりと登っていく。
こんな時に限ってバスが止まらない?しかも坂道を上っているのに?………あの歪みが何かしたのか?いやでもそんなこと――――
「そんなに逃げようとしないでよぉ。どうせ逃げられないんだからさぁ??」
混乱に溺れる車内に突如として響いた間の抜けた声。
だがその声がさらなる絶望へと突き落とした。
得体のしれぬ圧を背中に背負いながら歪みの方へと目線を送ると、そこには首をかしげて骨を歪ませている白骨化した角の生えた動物の頭部のようなものが歪みからこちらを見つめていた。
「……………誰だ」
絞りだせた一言はそれだけ。
だがその言葉を受けて骨ばった口角を吊り上げた謎の怪物は、より強くなった車内の光を受けながら答えた。
「会って早々失礼だなぁ~僕はただ君たちを食べにきただけなのにぃ~」
こちらを小馬鹿にしたような間延びした喋り方でそう言った怪物は、歪みの中から生えるようにゆっくりとその姿を露わにしていく。
そしてそれと同時に車内の光が急に俺たちの足元に向かって動き出した。
その不可思議な光景の連続にクラスメイト達が口々に悲鳴を上げる中、怪物はより一層骨を歪ませながら言葉を紡いだ。
「あ、でも安心してぇ?食べるって言ってもぉ――――」
怪物が自分の腹部を指さすと、そこには歪みの中へと飲み込まれたはずの男子生徒が浅黒く透き通った腹の中で苦しそうに頭を押さえていた。
「ちょっと入っててもらうだけだからさぁ!」
その狂気に満ちた行動に恐怖の嵐が吹き荒れる中、急速に収束し始めた光も止まらず動き続けすべての光が足元へと収束したその時、絶えず動き続けていた光が結合し、幾重の線となって足元に巨大な円を形成し始めたのだ。
「どうなってんだよっ………!!」
視界の中で錯綜する超常に頭が焼き切れそうになったその時、線を模っていた光のうちのいくつかが不規則に折れ始め、円の中に文様のようなものを刻み始めた。
「――――ま、ほう………?」
床に刻まれる特徴的な形に思わず言葉が漏れ出した。
するとその漏れ出た言葉に少し驚いたような雰囲気を漂わせた怪物が突然立ち止まった。
「あれぇ、おっかしいなぁ………なんでわかったの?」
怪物が不思議そうに首をかしげ俺へと疑うような鋭い視線を向けながらそう問いかけてくる。
「………………お前がこれを操ってるんじゃないのか?」
なぜ俺の言葉に反応したかはわからない、だがあの言葉にこの状況を紐解く何かがあったことは間違いないんじゃないか。
そう考えた俺は幾許か軽くなった足を怪物の方にゆっくりと向けた。
「さぁねぇ~?もしそうだとしたらぁ?」
その姿に先ほどまでの鋭い視線が嘘のように消え、おどけながらそう答える怪物の元へ向かって一歩を踏み出そうとしたとき、ふと後ろから右腕を掴まれた。
俺の腕を掴んだその手は小刻みに震え、怪物の元へと近づこうとする俺を必死にこの場に引き留めようとしている。
「大丈夫、危なくなったら逃げるから」
怪物から目線を反らさずにそう言うと、腕を掴んだ幼馴染――――朝日の手をゆっくりと解き、光の外側へと踏み出した。
「だとしたらお前はこっちに来なくていいだろ」
「おぉ~ご明察ぅ~!君、随分と頭が回るじゃないかぁ!」
その答えに気が変わったのか、怪物はその場に立ち止まったまま顔を歪ませ奇妙に長い腕を前に突き出して拍手をした。
するとその拍手に反応するように光がさらに輝きを増して車内を煌々と照らし始めた。
「星来っ!」
焦った朝日がこちらへ駆け寄ろうとするが、放たれた光が壁のように立ち塞がり朝日をその場から出そうとしない。
「でもざんねぇん。僕の目的は今終わったんだぁ。それにほらぁ!」
そして拍手を辞めてそう言い放った怪物は、長い腕で俺の後ろに指を指した。
最初はその行動を気にも留めていなかったが、背後から上がった複数の悲鳴に思わず振り返った俺は目の前の光景に絶句した。
坂の終わりが見え始めたバスから見えてきたのは、雲一つない青空と左へと道筋を示すガードレール。
つまりこのバスが今向かっているのは――――
「まぁホントはもうちょっと食べたかったんだけどねぇ~」
その信じがたい事実に直面し、さらに大きくなった混乱を眺めながら間の抜けた声でそう言い放った怪物は、急に自分の腹に腕を刺したかと思うと、弄ぶように腹の中の男をクルクルと回し始めた。
「でもよかったねぇ?その魔法陣に入りさえすれば死ななくて済むよぉ?」
弄ぶ腕を止めずにその場に腰を下ろした怪物は俺に向かってそう言うと、おもむろに腹の中の男を鷲掴みにして腹の外へと引きずり出した。
そしてえずきながら咳き込む男を前へと放ると、再度俺へと目を合わせながら楽しそうな表情で口を開いた。
「ただぁ~この人間はどうするのぉ?もしかしてまだ生きてるのに置いて行くのぉ~?君しかたすけられないのにぃ~???」
「チッ!!」
眼前まで迫る断崖絶壁と怪物の遊ぶような無邪気な言葉に挟まれ、思考が乱されていく。
あの光の中に入れば助かる、でもそれだとあいつは死ぬ。
そんな選択の狭間に立たされた俺の身体が選んだのは――――
「ダメッ!!」
朝日の叫びを背に受けながら倒れ込む男に向かって走る事だった。
「来ると思ってたよぉ~!!」
ニヤつく怪物を無視して坂によって傾いた車内を駆けて男の腕を掴み、そのまま光の方へと引きずり、男を滑らせるようにして光の方へと投げた。
「――――」
その瞬間、右側から襲う強烈な衝撃によって吹き飛ばされ、全力で投げた男は何かを叫ぶ朝日たちと共に車内から姿を消し、けたたましい音と衝撃を響かせながらバスが宙へと飛び出した。
「やっぱり人間は愚かだねぇ。他人のために命を捨てるなんて」
声を弾ませながら俺を見た怪物はこの上ない笑顔を骨ばった顔に浮かべながら、脱力したままバスと共に落ちていく俺を見た。
確かにこんなことをする必要が本当にあったのかと言われると少し悩ましいが、間違ったことはしてないとは思う。
「……………」
脱力しながらいつもよりゆっくりと流れていく風景を見ながらそんなことを考えていると、ふと目に入った怪物の顔から笑顔が消えていた。
なんで急にそんな表情をしているのかなんて聞く気もないし聞きたくもなかったが、その理由は自分の身体を見てすぐに分かった。
「……………貴様、何者だ?」
先程までの軽口は鳴りを潜め、押しつぶされそうなほどの圧を放つ眼光でそう問いかけてきた怪物は、態度を豹変させ今にも飛び掛かってきそうな態勢を取りながら俺を睨みつけてきた。
「知るかよバーカ」
「殺すっ!!!」
仕返しとばかりにニヤッと笑いながら光る体で中指を立てると、怪物は有無を言わさぬ殺気をまき散らしながら叫び、バスをさらに下へと叩き落すような跳躍で一瞬で俺との間合いを詰めた。
だがその怒りは俺には届かず、光の粒となって消えていく俺の身体を怪物の腕がすり抜けながら虚空を掴んだ。
そしてさらに重い衝撃と轟音が辺り一帯に轟き、俺の意識も同様にプツリと途絶えた。




