03-私がしたいこと
結局、ディル殿下に会うためだけに仕立てたドレスはワインの汚れでダメになってしまったし、綺麗にしあげてもらった髪も見るに堪えないものになってしまった。
帰りの馬車の中。
お父様は黙ったまま、私を痛ましそうに見ていた。
それはきっと、私とディル殿下を会わせてしまった後悔だろう。
国王陛下の言葉に甘んじて、自分の娘をとんでもないやつに嫁がせてしまった――そんな後悔。
「……エレーヌ…………本当にすまない」
「お父様。謝らないでくださいませ」
「だが……」
「お父様は悪くありません。この国の頂きに君臨する方に仕える者が、道を違っているわけでもないのに異を唱えるだなんて、していいものではありませんから」
お父様は、公爵としての責務を果たしたに過ぎない。
仕える主君の願いを聞いた。ただそれだけ。
お父様はそれを聞くなりぐっと眉根を寄せたが、すぐに項垂れて黙ったままだった。
しかしディル殿下の悪事は続いた。
公爵邸にたどり着いた私たちが汚れた身なりを整えていると、王城から一通の手紙が届いたのだ。
『話した通り、俺とメイベルを結婚させるために、一時的な婚約関係を結ぶ。だが共に過ごすことはないし、愛し合うこともない』
上質な紙にやや歪んだ文字で描かれた、手紙……というよりかは、事務的な連絡事項と言うほうが合っているだろうか。
応接間でそれを読んだ私は、さすがにため息をつかざるを得なかった。
――私たちは、本当に馬鹿にされているのね。
向かいに座るお父様に渡すなり彼は顔を真っ赤にし、こめかみに青筋を何本も立てて、今にも家を飛び出しそうだった。それを我が家の執事と一緒に止める。
「なぜ、止める! 俺に愛しい娘をこれ以上馬鹿にされたままにさせるつもりか!」
「旦那様、落ち着いてくださいませ!」
「そうですわ、お父様」
やけに冷静な私に疑問を持ったのか、あるいは執事の懇願を受け入れたのか。
お父様は勇む足を止める。
「それにお父様。我がオストガロ公爵家がここまで馬鹿にされていて、ただ言い返すだけ……だなんて、少しお返しが甘いと思いません?」
「エレーヌの言うとおりだわ。旦那様も、少しは落ち着いてくださいまし」
背後から聞こえたのは女性の声。
お母様だ。
お母様は瀟洒なドレスを身にまといながら、静かに応接室へ入ってきた。
手には紙束を持っている。なんの紙なのかしら……?
「お話は、すでに把握しましたわ」
聞けば、王城のメイドや家令といった人たちの情報を即座に集め、ディル殿下がどんな風に過ごし、今回何を企んでいるのか、というのを集めたらしい。
さすが、女性でありながら王家の参謀を務めていたお母様。
情報収集能力が凄まじい。
「この家を没落させようかと思っているのかと思って色々と調べていたのだけど、あの小僧、たぶん自分のことしか考えてなさそうですわ」
「私にも、メイベルさん……という女性と結婚したい、と言っていたような」
「そのメイベルさんも、あまりちゃんとしていない方ではなさそうね」
お母様は私の隣に腰かけると、紙束のいくつかを私に渡してくれた。
流麗な筆致で書かれているのは、メイベルさんの情報だった。
彼女は街のそれなりの大きさの商家で生まれた三女。
普段は平民の通う学校に通っているが、最近になって経営が上向いてきて金銭に余裕ができたからなのか、メイベルさんだけは貴族学校に通うことになっている。
ただ素行はあまりよくなく、普段から下町のあまり治安のよくないお店に入り浸っているのだとか。
とはいえそれは表に出していないようで、国王陛下や王妃殿下からの覚えは良い。
ただ正妃にするのは反対されていて、正妃は誰でもいいから貴族と結婚し、あくまでメイベルさんを愛人・側妃として嫁がせるようディル殿下に言っているようだが、彼が聞く耳を持たない、と。
「つまり国王陛下は、私にディル殿下を矯正するために結婚してほしいと言いつつ、ディル殿下には正妃は誰でもいいとおっしゃっているのですね」
ずいぶんと素敵な二枚舌をお持ちですこと。
呆れてため息もつけない。
目の前のお父様は黙って聞きながらも、こめかみに浮かぶ青筋がどんどん多くなっているご様子。
お母様は紙束を静かにテーブルに置き、「それで」と話し始める。
「ディル殿下が考えたのが、なんとかして正妃との結婚を破棄し、メイベルさんとの結婚を強引に進めること」
「だから私に、『悪女になれ』だなんておっしゃったのですね……」
「…………呆れてものも言えん……」
お父様がぎゅっと拳を握りしめる。
お母様はその様子を痛ましそうに見ていたが、おもむろに私の膝の上に手を置き、俯く私の顔を覗き込んだ。
「エレーヌは、どうしたい?」




