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01-不幸な婚約話

 ディル殿下に会ったのは、14歳になった誕生日の翌日だった。

 公爵令嬢である私が殿下のもとに赴いた理由は、政略結婚の話し合いのため。


「エレーヌ……本当に、すまないな……」


 公爵邸から王城へ向かう馬車の中で、向かいに座っていたお父様であるオストガロ公爵は、眉尻を下げ項垂れながら私にそう言った。


「謝らないでください、お父様。これも、貴族の務めなのですから」

「とはいえ、まさかあの王子に……」

「……それは、まぁ……」


 今日の朝。王城からお父様のもとに一通のお手紙が来たのだそう。

 それはこのノルシュタイン王国の国王陛下からのもの。

 そして中身は、「第四王子と結婚してほしい」というお願いだった。

 私は項垂れるお父様を前にしつつ、馬車の外に視線をやった。


 ――政略結婚にしても、急すぎる話よね。


 政略結婚というのは、互いの家の利害関係を重視して結ぶ結婚。

 しかし、私とディル殿下を結んだところで、たいした利害関係はない。

 すでにお姉様が第二王子のマシュー殿下のもとに嫁いでいるので、新たな縁を繋げるという効果はないのだ。

 ならば恋愛結婚か、と言われると、それも否。

 そもそもディル殿下とは、社交パーティーで一度ご挨拶したきり。

 しかも最近の殿下はほとんど社交界に顔を出していないので、最後に出会ったのは、6歳か7歳のとき。

 恋愛感情が芽生えるほど出会ってもいない。そして私とディル殿下の一目惚れ……なんて話もとくに上がっていない。


 ――それに、あの悪名高い第四王子と結婚なんて、ごめんだったのだけど。


 社交界やお姉様から話を聞くに、ディル殿下はたいそう、ご自由なお方らしい。

 ……もちろん悪い意味で。

 手のつけられない我儘お坊ちゃんなだけでなく、悪知恵を働かせてメイドに危害を加えたり、気に入らない教師に冤罪をかけたりと、やりたい放題。

 おかげで王族とは思えないほど知能も性格も悪いのだとか。

 とはいえ、王族であるからしてそう簡単に廃嫡などはできないようで、国王陛下や王妃殿下も処遇に困っているらしい。

 そんな中、希望の一筋として声がかかったのが私、エレーヌ・オストガロというわけだ。

 公爵家で社交やマナーといったものを学び、ある程度の教養も講師から教えられた。

 私がディル殿下を真っ当な方向に矯正することで、第四王子を真面目にしてほしい……ということらしい。


 ――こんなことのために、頑張ったわけじゃないのだけれど。


「はぁ……」

「エレーヌ。もし嫌だったのなら、やめてもいいのだぞ」


 いけない、ため息が漏れてしまっていた。

 お父様が心配そうにこちらを見やる。

 しかし私はふるふると首を横に振った。


「貴族の娘として、恋愛感情のない結婚というのは覚悟しておりましたから、大丈夫ですわ」

「だが……」

「それに、国王陛下のお願いを断ってしまったら、公爵家の名前に瑕がついてしまいます。お父様やお母様だけでなく、お姉様にもご迷惑がかかってしまいますもの」

「エレーヌ……!」


 目を見開きながら涙を湛えるお父様に、私は微笑みを向けた。

 可能であればこの政略結婚をなかったことにしてほしい……というのは思っている。

 けれど、お父様がここでディル殿下との婚約話を撥ねてしまえば、オストガロ公爵家だけでなく、公爵領に住む人々にも影響が出てきてしまう恐れがある。

 跡継ぎにはならない貴族の令嬢だとしても、いままで優しく接してくれていた彼らを蔑ろにして、自分が好きに生きる……というのは、なんだか違う気がしたのだ。


「お父様、安心なさって。国王陛下のおっしゃったとおり、私がディル殿下を真面目にしようと努めてみますわ」


 そう言うと、ついにお父様は泣き始めてしまった。


 ――お姉様が嫁いだときにはこんなに泣かなかったはずなのだけれど、やっぱりディル殿下って本当に評判が悪いのかしら……



 その答えは、すぐにわかることになる。




「お前、むかつく顔してるな」


 ディル殿下と出会ったときの第一声は、そんな言葉だった。

 豪奢な応接室には、華美という言葉が足りないくらいに装飾がなされている。

 どうやらここは第四王子専用の応接室らしいけれど、眩しすぎて目がちらついてしまう。

 そして目の前には、服をだらしなく着て、靴を履いたままテーブルの上に足をのせ、ソファにまるで寝転がるように座る一人の男性。

 これが、この国の第四王子なのだ。

 そんな彼が、眉根を寄せて言い放った言葉を聞いて、お父様がぐっと拳を握った気配がする。

 こんなとき、お父様が暴力に支配されない自制できる方だと思うととても尊敬できるわ。

 それにしても、私の一つ上で、すでに公務にもとりかかっている年齢だというのに、こんな子供みたいな悪口を言ってくるなんて……


 ――本当にこの方、評判が悪いのね。


 内心でため息が漏れてしまう。


「以前お会いさせていただきましたが改めて。エレーヌ・オストガロと申します」

「よいよい、とくに覚える気もないからな」

「……殿下。そうおっしゃらずに、我が娘のことを見てやってください」


 お父様が目を細めてそう言う。

 こめかみは震えているし、青筋は浮かんでいるし、目は全然笑っていないけれど。


「なんだ、俺に反抗する気か? 公爵風情が」

「いえ、そんなことは……」

「なら、疾く去ね」

「…………はっ」


 お父様は深々とお辞儀をして、私に促す。

 私もすぐに淑女の礼をして踵を返そうとしたが、「待て」という言葉で動きを止めた。


「女。お前だけ少し残れ」

「しかし――」

「公爵」


 お父様が止めようとするが、ディル殿下の睨みでその言葉の続きは出ない。

 するとディル殿下はソファから立ち上がったかと思うと、私のそばにやってきて腰回りに手を回した。

 ねっとりと触れてくるのが、たいへん気持ち悪い。


「婚約するのだから、少しは一対一で話したいというものだ」

「ですが……まだ婚約はされておらず……」

「なぁに、そんなすぐに食ってやろうとも思わん。こんなつまらん女なんか」


 さっきから馬鹿にされているのだけはよくわかる。

 しかしそんな言い草であっても、体を嘗め回すように触れるその様、まったくもって信頼度に欠けてしまう。

 お父様はギリギリと歯を食いしばり、拳を握りしめている様子。

 とはいえまた反抗してしまったら、今度こそ反抗したという理由だけで罪を科せられてしまうかもしれない。


「お父様。問題ありませんわ」

「エレーヌ……」

「私も、殿下と少しお話ししてみたいんですの」

「奇遇だな、女。では公爵、とっとと馬車の中で待っておれ」


 お父様は少しの間黙ったまま私たちを睨むように見据えていたが、殿下の「ん?」という一言で、一礼して応接室を出ていった。

 扉が閉まった瞬間、ディル殿下は私を突き飛ばすように押した。


「きゃっ!」


 そのまま転ぶ私をよそに、彼はソファへと戻っていく。

 そしてソファに座ると、机の上にあるベルをちりんと鳴らした。


「メイベル」

「ディルさまぁ~!」


 直後、応接室の別の扉が開いたかと思うと、とんでもなくフリルがついたピンクのドレスを身にまとった女性が、応接室に現れた。

 こともあろうに女性――メイベルさんは、殿下の膝の上に座り、そのまま彼とそれはそれは濃厚な口づけを始めた。

 その後たっぷりと二人だけの時間を堪能したあと、彼はメイベルさんの体に手を回し凹凸を楽しみながら、こちらを向いた。


「これはメイベルと言う。俺の未来の妻だ」

「や~だ~、そんなこと言ってくれるなんてぇ~」


 そう言って再びキスし始めるのを、私は愕然としながら見ていた。


 ――こんな教養のなさそうな盛ってばかりの女が、第四王子の妻……?


 どうにも馬鹿らしくなって、私は退室しようと立ち上がろうとする。


「なぜ立つ。公爵の娘風情が。そのまま床に座っていろ」

「……え?」

「貴様に立っていいと言った覚えはないが」

 眉を顰めて告げる殿下に、再び愕然としてしまった。

「ディルさまぁ~、お顔が怖いですよぉ~」

「すまんなメイベル。あの女が言うことを聞かなくて」


 三度、いちゃつきだす二人。

 そんな中、殿下はこちらを見下ろし、口端をあげながら言い放った。


「お前、悪女になれ」


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