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14-帝国の獅子

 隣国、サーフィッツ王国の第一王子、ヨルダリオン殿下。


 私の一つ上の年であるにもかかわらずすでに政務に携わり、素晴らしい結果を残しているらしい。

 さらには自分にも他人にも厳しい性格の彼は剣技にも秀でており、サーフィッツ王国の騎士の中でも、彼に利き手を使わせるほどの剣の持ち主はそういないのだとか。

 そんな彼が、なぜ、ここに――


「オストガロ公爵令嬢?」

「……ご、ごきげんうるわしゅう、サーフィッツ王太子殿下」


 危ない……思わず考えるのを放棄して、無礼を働くところだったわ。

 私は顔を引き締め伏せて、頭を下げる。

 すると前方から馬車を降りる音がした。


「顔を上げてくれ」


 彼の言葉とともに顔をあげると、いつの間にか彼はすぐ目の前にいた。


「話はすでに、こちらの王妃殿下から聞いている」

「さ、さようでございましたか」


 何やってるのよ、王妃殿下!

 たしかに味方になってくれるような雰囲気だったけれど、他国の王子を巻き込むのはちょっと話が違うじゃないかしら!?

 そんな私の慌てぶりを知ってか知らずか、ヨルダリオン殿下はそっと私に手をのばした。


「さて、行こう。あまり遅くなってもいけないからな」

「わかりましたわ」


 そう答え、私は彼の手にそっと自身の手をのせる。

 まさか初めて家族以外の殿方にエスコートされるのが、隣国の王子になるとは思いもしなかったわ……

 ディル殿下にエスコートされるなんて、今までなかったもの。


「それでは行ってまいります、お母様」

「え、ええ! 行ってらっしゃい!」


 軽く後ろを振り返り、お母様に挨拶をする。

 お母様は呆然としていたが、ハッとした様子で我に返ると優雅に手を振った。

 やはり、お母様もヨルダリオン殿下が来るのは想定外だったようだった。



 王家の立派な馬車は内装もとても豪華で、豪華絢爛の内装は公爵家の馬車とはまったく違う。

 それに臙脂色の席はとても柔らかく、立ち上がれなくなりそうなほど座り心地が良い。

 ヨルダリオン殿下にエスコートされて席に座ると、やがて馬車はゆっくりと動き出した。

 乗り心地もたいへんよく、段差があってもあまり気にならない。さすが王家の馬車だ。

 ヨルダリオン殿下は私の前に座っており、柔和な笑みでこちらを見ていた。

 隣国での彼は才色兼備で名が通っているが、もう一つ噂がまことしやかにまかり通っている。


 ――サーフィッツ王国の獅子。


 普段、笑みなど見せることはなく、自分を律し、規律を乱すものにはすぐに処罰を下す。

 そんな厳格な方――という噂だったのだが……


「オストガロ公爵令嬢?」


 優しくそう伝えてくる彼に、獅子の片鱗が見えることはない。

 どちらかというと、猫だろうか。


「すまない、突然の行動で驚かせてしまったか?」

「い、いえ! 驚きはしましたが……」

「こちらの王妃殿下から話を聞いたら、居ても立っても居られなくなってしまってな」


 はは、と笑いながら彼は足を組む。

 紺色の礼服を身につけていることもあり、その優雅な振る舞いは本当に美しい。


「これまで大変だっただろう」


 眉尻を下げて問いかけてくるヨルダリオン殿下。

 その表情から察するに、本当に王妃殿下はすべてのことを言ったのだろう。

 それならもう隠す必要はない。


「そうですわね。ただ、いろいろな方に助けていただいておりますから、つらいとかやめたいとか、そんなことを思ったことはございませんわ」

「はは、強いお人だ」


 そう言って、ヨルダリオン殿下は再び笑った。


「普段なら私もあまりこういったことに助力することはないんだが、少し境遇が似ていて同情してしまってね」

「境遇が?」

「ああ」


 首を傾げて問うと、彼はふと外をみやった。


「この短い間、共に話してみて、噂と違うと思わなかったか?」

「……思いましたわ」


 こんなところで世辞を言っても仕方がないので、正直に答える。

 さすがに猫みたい、とは言わないけれど。

 私の答えを聞いて、ヨルダリオン殿下は目だけでこちらを見て、頬を緩めた。


「サーフィッツ王国の獅子……だったか。あれはわざと演技をしているのさ」

「まぁ、演技を」

「素の性格は今あなたと話しているこんな感じなんだ。ただこんな感じで話していると、多方面からいろいろと舐められるから、普段は笑うことなどしないし、厳格な性格で通している」


 それを聞くと、たしかに少しだけだが私の境遇と似ている箇所がある。

 とはいえ私は、ディル殿下にやり返すくらいのおもに個人的な理由なのだけれども。


「こちらの王妃殿下から話を聞いたとき、もしかしたらあなたが独りでつらいと苦しみながらやっているのではないかと思っていたけれど……それは杞憂だったみたいだ」

「とんでもないですわ。サーフィッツ王太子殿下にご心配いただけるなんて。それに……」

「それに?」


 一瞬口を閉じると、私は精一杯の笑みを浮かべた。


「やり返すために演じるより、やられたままでいたほうが、とてもつらく苦しいと思いますから」

「……ふはっ」


 ヨルダリオン殿下は居ずまいを正しながら、口元に手をやって笑う。

 思いのほか表情が豊かな人なのね。

 そう思っていると、ヨルダリオン殿下は口端をにやりと上げた。


「実はこちらの王妃殿下に、一つ頼まれごとをされていたんだ」


 王妃殿下が、隣国の王子に頼みごと?

 訝る私をよそに、彼は続ける。


「君の振る舞いを、悪い女にしてほしい、と」


 何やってるのよ、王妃殿下!!!!

 なんてことを隣国の王子に頼んでるのよ!


「だが、その心配はあまりなさそうだ。先ほどの表情はしっかりと悪そうだからな」

「さ、さようですか」


 なんだかそう言われると、少し恥ずかしくなってしまう。


「おっと、そろそろ会場に着くな」


 馬車のスピードがゆっくりと遅くなっていく。


「では、降りる前に一つアドバイスをしよう」


 ヨルダリオン殿下は楽しそうに言いながら、自身の頬を指で揉む。

 きっとこれから顔を引き締めるから、それのマッサージなのかしら。


「人前に出るときは、実はスクォッシュの実を食べながら平静を保っている、と思うといい」


 スクォッシュとは、この世界で一番酸っぱいと言われている果物のこと。

 つまり、どんな時でも顔を引き締めろ、ということかしら。


「ご助言、助かりますわ」

「どういたしまして。それじゃあ、行こうか」


 いつの間にか馬車は止まっていた。

 御者が扉を開けると、まずヨルダリオン殿下が馬車を降りる。その顔にはすでに笑みはなく、眉間に深い皺が刻まれている。


「どうぞ」


 先ほどとは異なり、言葉少なで端的なエスコート。しかしじっとこちらを見つめてくる瞳には、どことなく優しさが感じられた。


 ――ここからは、私は悪女。


 そう心の中で数回言い、一度だけ深呼吸をして顔を引き締めると、私はその手を取った。

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