050話 彷徨う月夜の子守唄
………………。
謎の視線に意識が覚める。
誰かに見られている……という緊張感。
それは闇の向こう側から、間違いなく俺に向けられたもの――――。
「――――いっ!?」
「のわっ!?」
そう思って目を開けてみれば、ディズの顔面とご対面。二人揃って暫し硬直して。
「……心臓に悪い目覚めだ」
こそこそと俺に視界を開け渡した白猫を尻目に、覚醒した眼をふって辺りを見渡す。
病院だった。
試合が終わった後に俺は倒れたのだろう。
試合の出場者は特別待遇なのか、一人優雅な個室部屋だ。内装から見ると、モンさんと同じ病院かもしれない。
「おはよ」
「あ……お、おはようっ」
とりあえず、落ち着きのないディズに朝の挨拶をする。……窓から見えるのは夕陽だが。
「体の具合はどうじゃ?」
「ふむ……違和感はない」
言われて体を触って確かめるが、痛む箇所は特にない。
包帯が巻かれている腹も、別に腹が減っている以外は……って、いやいや槍刺さってたから。
「これはお前が……?」
「確かに儂も治癒はかけたがの。その時にはもう腹の傷は塞がりかけておったぞ」
「……いつの話だ?」
「主がここに運び込まれてからじゃから……昼過ぎ頃か」
「…………」
たしか、俺の記憶に寄ると試合が終わったのが昼頃だったはずだ。
ディズの言葉通りなら、俺の傷は試合中にはもう治り始めていたことになるのだが……。
「…………いや、おかしくはないのか……?」
「?」
そういえば刺された後も随分動き回ってたような気がする。
もしやとは思うが、あの時のアレが関係しているのかもしれない。
「――――それで今は夕方か……いきなりで悪いんだが、色々と話を聞かせてもらっていいか?」
諸々含めて、気になることは尽きない。
「それは勿論良いが……儂の質問にも答えてもらうぞ?」
「ああ、いいぜ」
ぼすっと、ベッドに座りなおして軽く答える。
話は大体、確認するだけで事足りた。
内容はまあ予想通りでもあり、予想外でもあり。
ディズと一緒に一食分の夜食を分けあいながら、外が暗くなってきた頃には一区切りついて――――。
まずは試合の結果から。
一応言っとくと、勝ったのは俺だった。(だろうな)
しかし全身重傷を負って、腹を槍でぶっ刺されて、それでおっさんを殺しかけたとか全然洒落になってない。
ジュノンの将来を担う子供達に悪影響を与えてないかちょっと心配だ……まあ、当事者は俺なわけだが。
というか、負ける気でいって勝ってしまうとは如何したことだろう。
それで準決勝進出とか、俺の悩みの種は増えていくばかり。
……とまあ、今さら不満を垂れたところで状況は好転しない。
偉い人は言った。大事なのは今この瞬間。
過去も未来も現在も、並べて世は瞬間の連続で出来ている……!(よし、綺麗に纏まった)
それで、次は倒れたおっさんの容態の方。
取り敢えず、一命は取り留めたらしい。
……良かった。マジで。危うく公衆の面前で死刑執行する所だった俺としては、もう万々歳。
ホント、一歩間違えれば行くとこ(牢屋?)行ってたと思う。いやもう、おっさんも俺も運が良いのか悪いのか……。
今回ばかりは、おっさんの頑丈さに感謝。
ああそれから、おっさんもこの病院に居るらしい。(やはりモンさんと同じ病院だった)
俺の怪我が治ったら一度様子を見に行こう……とは思うが、なんというか色々と気まずい。(わかるだろ?)
ので、今は保留という方向で検討しておく。
そして最後に――――俺の異変について、だ。
これは重要。超重要。最後に持ってきたのもそれが理由だったりする。
試合後半の俺の変調。特に、あの突然沸き上がった謎の破壊衝動は一体なんだったのか?
ディズに聞いてもサッパリわからなかった。俺も全然わからない。
加えて俺は、その時のことをあまり覚えていなかったりするので、その分余計に気味が悪い。
もう熱いやら何やらで必死だった事だけは、やけにしっかりと記憶に刻まれているのだが……最初の方は夢虚ろな次第。
第三者の視点では、俺は自分で槍を抜いて、さらにおっさんごとそれをぶん投げたらしい。(初耳でした)
さらに向かってくるおっさんの槍を片手で止めて、空いていたもう片方の手でおっさんを串刺しにしたんだとか。
ターミ〇ーター? いやいや、俺の手は人を貫くために生えてきたわけじゃない。
ディズは俺がキレたんじゃないかと勘違いしてた。今もたぶんそう思ってる。
俺もよく分からないのできっぱりと否定はできないのだが……だからこそ、俺だけは否定の意を唱えておきたい。
いや、キレたのは事実だが、問題はその原因が俺にはわからないってことだ。
一度寝て起きてしまえば頭も冷静になる。不可解な点はやはりあった。
とは言え、何が解決するわけもなく『一体俺に何が起こった、恐ぇぇぇ!!!』状態。
無論、今後の経過を見ながら入念に原因を探っていくつもりではあるが、対処法も見当さえつかない。
……まさか、もう一度俺の大事な体に隙間風を通そうなんてこともできないしな……。
「――――所で、他の連中は?」
「ん。明るい内に主が目覚めたら儂が呼びに行く手筈だったのじゃがな、もう時間も遅い故。一応、それまでは誰も来んように言っておるから安心せい。儂が呼びに行くまでは主もゆっくりできるからな」
「……おまえ、さらりと凄いこと言うなぁ」
まだ誰も見舞いに来てない(一人寂しい)のはそれが原因か……というか、そんなことがまかり通ったのか?
「……お前が看病したかっただけとか言うなよ?」
「い、言わぬわ! 主のことを一番に考えての計らいじゃぞっ!」
悪びれない。こいつは相当な危険因子だ。
「……というのは嘘でな。実は少し、主に聞きたいことがあっての」
「嘘かよっ!」
そこでワンクッション入れる必要は……って、それだけ言い出し難い話ってことか。
「その、これは儂の勘違いかもしれん。的外れなことを言っているのかもしれん。それに、聞けば主の気を悪くするやもしれんのじゃが……」
「らしくないな。スパッと言っちまえよ」
「…………」
「別に、何を聞かれても怒らないからさ」
なかなか本題に入らないディズを、俺はおかしいとは思わなかった。
何を聞かれるのか、大体察しはついていたから。
「今日の試合のことじゃ……主、手を抜いてなかったか?」
ほらな。
「どうしてそう思う?」
「それは……なんとなく、としか言えんのじゃが……」
尻ごむディズの呟きは、夜の闇へと溶けていく。
それが沈黙になる前に、俺がその先を紡ごうとした時だった。
「主、勝てたじゃろ?」
「――――」
まっすぐに――――斬り込んできた。
真実を、事実として叩きつける。
なんともディズらしい言い草が、俺の心を震わせる。
それは、まったくもってその通りのことで。
「否、主は勝ったがな。しかし、何と言うか……主は途中まで負けるつもりで戦っていたようにも、見えた」
「…………」
「儂の……勘違いならそれで良いのじゃ。儂にはそう見えたというだけで……」
「いや、ディズは間違ってないよ」
全然隠せてないな、俺。どうやら役者の才能はないらしい。
「お前が見て、感じた通りさ。……最初からそのつもりで戦ってたんだからな」
「……やはり、そうなのか?」
「うん。……勝つ理由、ないしな」
笑みさえ溢れた。
まさしく、俺には理由がない。
勝つにしても負けるにしても、そこには前提として“戦う理由”が必要だった。
その土台となる理由なければ……試合という括りの争い事ですら、俺にとっては避けて通るべきものとなる。
「……何故、と……訊いても良いか?」
「前にさ、戦いは好きじゃないって……俺、言ったよな」
「あ……」
「まあ、正確には『好きじゃない』ってだけで、別に『嫌い』ってわけでもないんだけどさ」
それでも、二者択一で言うならやっぱり『嫌い』になるわけで。
「さすがにこう毎日戦いが続いてくると、な。……これ以上やる意味はないって言うか、もう疲れたって言うか……」
言葉にすると言い訳染みてしまって、後ろめたくなる。
どれだけ言い繕っても、俺の非であることに違いはないのだ。
「そうじゃ……そうじゃったな……」
「…………」
しかし俺の思いとは裏腹に、ディズは俺の言葉に納得したようだった。
「……何で、気がつかなかったのじゃろう。儂が一番、その事をよく知っておったのに……」
「…………」
違うだろ? と、俺は思っていた。
俺だってよく知っていたから。
ディズが俺の優勝を、心から望んでるってこと。
他の皆も、俺が負けることを望んでた奴なんて誰一人居やしないってこと。
「儂なら、もっと早くに気付けたはずじゃったのに……」
そうじゃないだろ!? と、俺は心の中で叫んでいた。
俺には分からない。
どうしてディズがそんな表情をしているのか。
俺には、それが分からない――――。
「…………儂は、主に、辛い思いをさせておったのか……?」
そしたら、ディズがそんなことを言うものだから。
「まさか、そんなこと、ない」
それだけは否定する。
そんなこと思うはずがない。
それだけは、絶対に、ありえない。
「逆だ――――」
要らぬ心配を掛けているのは。
戦うことから逃げているのは。
「そんな思いをさせているのは――――“俺”だ」
戦うのが嫌なら、最初からやめておけば良い。
それなのにだらだらと、結局ここまで勝ち進んできたのは誰だ。
大舞台に上がりすぎて、引っ込みがつかなくなってしまったのは何処の誰だ。
「全部俺が悪いんじゃないか」
「それこそ、ないわっ! そも、主が大会に出ることになったのは儂の責任じゃ。主は悪うないっ」
ディズも力強く反論してくる。
でも俺が悪いはずで、でもディズはそう取ってはくれなくて。だから――――。
「ありがとう」
「っ!」
弁護は不要だと。
俺を悪者にさせてくれ――――いや、悪者にしてほしい、と。
「でも、これは俺の問題だから」
「主っ……!!」
そう思って放った俺の言葉は、けれどもディズには届かなかった。
「しかしっ……主はもう戦いたくないのじゃろう!? それなら棄権すれば良い! 主が無理をする必要など、何処にもないではないかっ!」
「――――」
その裏側まで、すべてが、見透かされていた。
「止めたいならそうすれば良い! 主も、そうするつもりだったのじゃろう!?」
「おまえ……」
本当に驚かされる。
読めないと、言ったのに。
人の思考は複雑すぎて読めないと……そう、言っていたのに。
どうしてディズは、俺の悩める感情の行き場を、こうまで包みなく見通せてしまうのか――――。
「辛いのならっ! 主がそれを望まぬのならっ! 主が戦う理由など、そんなものっ、何処にも……っ、ないではないかっ!!!」
胸が、痛い――――。
ディズが、俺のことをわかってくれたからじゃない。
ディズが、俺のために怒鳴ってくれたからでもない。
――――ディズが、俺のせいで、悲しんでいるからだ。
「なんで、お前が泣くんだよ……」
「っ……泣いてなど、おらんわっ」
震える声で、そんなことを言わせてしまっていた。
(……バカだ、俺は)
自分への苛立ちに、思わず漏れそうになった癇癪を奥歯を噛んで必死に押し留めた。
部屋が暗くて助かった。今の俺の顔は、ちょっと人前に出せる自信がない。
それでも今は、俺なんかのことよりも、ディズのこと――――。
「おっさんにも、さ……言われたんだ」
「……え゛?」
どうしてディズが泣く必要があるだろう。
そんな理由、何処を探したって見つかるはずがないのに。
一秒たりとも、ディズにそんな想いなんか、してほしくないのに……。
「それでお前は満足かって」
だから、俺は胸の内を吐露する。
これ以上、下手な隠し事はしたくない。
ディズの真剣な想いに、応えたかった。
「それがお前の望みかって」
何より、目の前に俺より辛い思いをしている奴が居て、その原因が俺にあるというのなら――――これはもう“俺達”の問題だと思ったから。
「その時にさ、思ったんだ。俺は何がしたかったんだろうって」
「……すんっ」
満足することなんて出来なかった。
わざと試合を負けるのも、こんな気持ちのまま戦い続けるのも……勿論、棄権するのだって。
でも、どれを選んでも後悔してしまうというなら、俺はどうすればいいのか。俺が望んでいる事とはなんだろうか。
「戦うのはもう嫌で、やっぱりそれは変わらなくて。でも、皆の期待もそう簡単には裏切れなくて。……だからずっと悩んでた」
さっきから喉がカラカラに渇いて仕方がない。でも、喋る。
「考えて考えて……でも結局、答えは見つからなくて」
たぶん最初からわかっていた。だからこそ悩んでいたのかもしれない。
今さら俺が後悔しようが、満足できようが、そんなの関係ないってこと。
俺には『戦う』か『戦わない』か、選べるのはその二つしかないってこと。
「だってそうだろ? それが現実だ」
俺にはもう、後悔する道しかなかった。それだけのこと……。
「でも主は……戦うつもり、なんじゃろう?」
話をしている内に、ディズの鼻声はすっかり元の調子に戻っていた。
声はまだ少し震えているけど、心なし胸のつかえが取れた気がして。
「はは、そうだな。おっさん殺しかけちゃったしな。今さら辞退なんかできないな」
「ダメ、じゃろう……。主、後悔するじゃろう……」
悲しそうに目を伏せるディズを見て、俺の口は自然に動いていた。
「しないよ」
それは本心からの言葉だった。
「――――え」
一番驚いているのは俺かもしれない。
「後悔なんてしない。……うん。たぶん、しない」
「たぶんて……」
「いやホントに、後悔は、しない」
心の中は驚くほど澄みきっていた。
馬鹿な台詞を吐いておいて、自分でも矛盾するとわかっているのに。
それなのに、俺の心は今、こんなにも清々しい。
「本当に、本当なのか? 儂に気を使って言っているのではないか?」
「んな気色悪ぃもん使うかよ。本当だ。そんなに疑うなら俺の心を読んでみろよ」
そう、つまり俺は――――。
「――――満足、してるだろ?」
「あ……」
「後悔なんて、これっぽっちもしてないだろ? 俺は」
「……っ」
それが今、証明された。
「う……う……」
「……う?」
俺自身、不思議でもある。
さっきまで後悔していて、諦めかけていたのに。
それなのにどうして、俺は今満足しているのだろう……。
「良かっ……た。主はもう、辛く、ない……っ……のじゃな……」
「……」
答えは目の前にあるだろうと、凪いだ心が教えてくれた。
「ディズ……」
こんなにも俺のことを想ってくれる奴がいる。
こんなことのために、泣いてしまう奴がいる。
それが、俺にもわかったから――――。
「ありがとう」
「っ」
今度は違う意味で、溢れだす想いを込めて。
「――――ごめんな」
と、俺は伝えきれない感情をその二言に託す。
「く……ううっ……うぁぁぁ」
ディズの瞳から、ついに大粒の雫が零れ始めた。
「だから、泣くなって……」
「儂は……泣いて……ひっく……など、くぅ……ぅぅううう」
今度の嗚咽はどうして耳に心地良い。
優しく響く言霊に、胸にあった様々な想いが溶かされる。
溶けた想いは穏やかに混ざり合って、やがて一つの感情に収束していく。
「――――あぁ」
それは、とても優しい感情だった。
「もう」
泣きじゃくるディズが見ていられなくて、どうにかしようと手を伸ばす。
「ほら、ディズ」
「うううぅぅぅ~~~~~~」
大人しく捕まった白猫は、俺の胸にその抑えきれない想いの丈を浴びせていた。
「くううぅぅ、ひっく、わぁぁああああ」
咳を切ったように流れ出てくる、温かくて綺麗な水の結晶。
この小さな体に、一体どれだけの想いが詰まっているのか。
もしかしたら、涙の理由は他にもあるのかもしれない。
「よしよし」
「うぁぁぁぁぁぁ」
優しく包み込むように、小さな頭を撫でる。
震えるディズが、抱えている余計なものを全部吐き出してしまうまで。
せめてそれまでは、このままずっと慰めていようと思う。
――――だから、どうか今は精一杯泣いてほしい。
きっと、今流れているその涙は、ディズ心を綺麗に洗い流してくれるはずだから。
――――この日。
静かな夜の静かな病院に、優しい福音が流れていた。
どこまでも温かく。
それは世界を包み込んで。
子守唄となって、彷徨う月夜にささやかな祈りを告げていたのだった。




