02
この世界が乙女ゲームの世界だと気づいたのは婚約者であるクリスフォードとの初対面の時だ。
「はじめまして、リリアーヌ嬢」
その言葉、その笑顔。初対面のはずなのに彼のことを見たことがある違和感。
とても綺麗なお顔をしているからだろうか。
輝くような金の髪に赤く燃えるような瞳。
彼も私と同じ六歳のはずなのに爽やかさの中にも貴族としての気位の高さを感じることができる。
公爵家嫡男としての能力も申し分ない、らしい。
「はじめまして、クリスフォード様」
不慣れながらもカーテシーをした、その時。
ーークリスフォード。父親が宰相を務めている公爵家嫡男。文武両道でなんでも器用にこなすことができる。社交的だが、本心を見せることはあまりない。天邪鬼な彼と近づくには時間がかかるかも!
頭の中でそんな言葉が紡がれた。
はっとして再度彼を見つめる。
こてん、と頭を傾げた彼を見つめながら私は数秒フリーズしていたのだと思う。
倒れなかっただけまだましなのかもしれない。
目の前にいるクリスフォードが、前世の私がプレイしたことのある乙女ゲームの攻略対象者本人であること。
そして、自分が悪役令嬢であるリリアーヌであることを思い出した瞬間だった。
その日のクリスフォードと何を話したか、何をしたかは正直覚えていない。
唯一覚えているのはクリスフォードの父母に促され、彼に彼の家の庭を案内してもらったことだけだ。
きっと何もなければ綺麗な顔をした彼と会話することができて普通の乙女のように顔を赤らめてちょっとした良い思い出にできたのだろう。
ただ、その時の私はクリスフォードのことそのものよりも乙女ゲームでの私の立ち位置を思い出して絶望に近い感情を持っていたため、楽しむどころではなかったのだ。
ーー私、リリアーヌはどのルートでも現れる悪役令嬢だ。
庶子として育った主人公アリスが聖なる力を持っていることが判明し、公爵家で養子として引き取ることになった。
庶子として育ったアリスをいじめるのがリリアーヌだ。
最初に攻略対象者を選んでから進めていく乙女ゲームのためリリアーヌはいつも攻略対象者の婚約者として存在していた。
婚約者と心を通わせていくアリスに嫉妬し、暗殺者にアリスの暗殺を依頼することが直接の原因となり婚約者とは婚約破棄。
悪役令嬢リリアーヌのその後の行方は分からず、アリスと攻略対象者は結ばれる、というのが大まかなシナリオだったはずだ。
ならば。
攻略対象者以外の人と婚約をすれば乙女ゲームとは関係のない生活を送ることができるのではないか、と思った時もある。
それは私の立場が許さなかった。
攻略対象者は五人。
ドSな第一王子。
腹黒ショタ枠の第二王子。
騎士団団長である辺境伯家の嫡男。
魔術師団団長である侯爵家の嫡男。
そして宰相を務める公爵家嫡男のクリスフォード。
身分の高い彼らの婚約者になっていた私は公爵家の子である。
逆に言うと公爵家の娘である私と婚約する相手は、それなりの地位がある子息に限られてしまう。
「おとうさま、私、どんな方と婚約をするの?」とふとした折に父に話したところ、父はにこりと「きみが幸せになれるように尽力するよ」と言っていた。
父はきっと私のためにと言ってくれたのだろう。私の意図するところとは違う返答があったが。
公爵家令嬢である私はクリスフォードとの顔合わせを皮切りに他の攻略対象者とも会う機会が何度かあった。
今思えば両親が私の婚約者を見極めていたのか相手側の家のと利害関係を再度確認していたのかもしれない。
私としては出来れば攻略対象者ではない方と婚約をしたい。
ゲームの中で行方はわからず、とぼやかされて表現されていたが私はきっと公爵家の醜聞をなくすため殺されていたのではないかと思うからだ。
両親は今のところ悪いことも何もしていない私のことを害するようには見えない。しかし伝統ある公爵家の名前に傷をつけるような行動をした娘をどう扱うかはわからない。
「お前の婚約者が決まったよ」
そう言われたのは十三歳のある日。
そろそろアリスが我が家に引き取られる頃かという時だ。
「そうですか…」
「浮かない顔だね、誰が相手か気にならないのかい?」
「気にはなりますが…」
気になるか気にならないかで言われたら気になる。
しかしこれでアリスの攻略ルートが決まってしまったのかと思うと憂鬱でもある。
「リリアーヌにとってこれ以上ない縁談だと思うよ」
にこりと優しく笑う父が後日改めて婚約者として紹介してきたのが、クリスフォードだった。
「リリー、久しぶりだね。また一段と綺麗になって。今日から改めて婚約者としてよろしくね」
にこりと綺麗な顔で笑うクリスフォード。彼の輝くように赤い目は私をしっかりと見つめて離さない。
ーー社交的。本心を見せない。天邪鬼。
乙女ゲームの開始される十五歳になるまでにまだ期間はあるのに彼の気質は乙女ゲームの紹介文のような状態にあるらしい。
「クリスフォード様、私の方こそ…」
よろしくお願いしますわ、そう続けようとした私の手を取り、跪かれ手の甲に口づけを落とされた。
「ーーーーっ!!!!」
淑女教育で表情を表に出さないようになった私でも流石に赤くなる顔をどうすることもできず。
そんな私を見て、ふふっと笑うクリスフォード。
「リリー、いつも言っているでしょう。私のことはクリスと呼んでと」
私のことが愛おしいというように彼は甘く笑う。
両家両親がいるから、両家の結びつきのためにこのようなことをしたとわかってはいる。
前世の記憶があってもそれは夢のような朧げなものだ。乙女ゲームの中身だけはすこしなっきりとしているような、そんな感じなので精神年齢も実際の年齢と同じなのだ。
王子様のような美貌の彼に跪かれたまま甘く微笑まれて胸がときめかないわけがいかなかった。
たとえそれが社交の一環だとしても。
ーーたとえそのせいで辛い未来が待っていようとも。
「く、クリス、様…立ってください…」
照れてしまう私にクリスフォードはふふ、と笑う。まるで嬉しくて嬉しくてたまらないというように。
「他の誰でもない、私があなたの伴侶になるのです。わかっていてくださいね?」
耳元で囁かれる言葉は甘い誘惑のようで。
「はい…」
そう答える以外にできることはなかった。
政略結婚だというのにクリスフォードは週に一度は必ず我が家に通ってきてくれるマメさを見せてくれた。
「初めまして、お義姉さま。アリスと申します…」
我が家に来たアリスは乙女ゲームの主人公らしくとても可愛く庇護欲をそそる容姿もさることながら、健気で何事にも一生懸命に取り組むひたむきさまで兼ね備えていた。
私は自分の将来のためにアリスをいじめることはしないと決めてはいたが、彼女の純粋さやひたむきさに惹かれ共にいる時間が多くなった。
原作とは違い、義理ではあるが仲の良い姉妹になることができたのではないかと思う。
クリスフォードが我が家に来た時やお茶会があるとき以外は1日の大半をアリスの礼儀作法や教養を教える名目で過ごしていた。
そして。
クリスフォードとアリスが正式に会ったのはアリスが我が家に来てから半年後のことだった。
私の婚約者なので社交会へのお披露目の前に礼儀作法を一通り学び終えてから会うことになったのだ。
私としてもとても緊張を強いられる時であった。
何故ならクリスフォードは一目見てアリスを気にいり、徐々に距離を詰めていくというストーリーだったからである。
シナリオ通りでいけばアリスを虐めていたリリアーヌが学園入学まで二人を引き合わせなかったために二人が初めて出会うのは学園の入学式だった。
今回、シナリオ通りではない出会い方だとはいえきっとクリスフォードはアリスを気にいるのではないか。
そんな確信が私にはあった。
はじめまして、と挨拶をする二人を笑みを浮かべた表情をしつつ見つめる。
ーー見ない方が良かったのだろうか。きちんと目の前で確認した方が良かったのだろうか。
彼らが互いに惹かれあい始めるところを。