第八話 心を覗き見る悪魔
広場の空気ははじめと変わらない。相変わらず平和そのものだ。
その中でアダマスはコキコキと指を鳴らし異様な黒い空気を纏う。
前へ出てコギーへ近付く。
その足取りはこの異様に不自然なほど普通のものだった。
コギーは脳内の警告音に従い身構えようとした瞬間、喉への「トン」とした違和感に襲われる。
声を潰された時のように、喉仏の少し上へ指先が置かれたのだ。完全には突かない動くと痛くなるギリギリの力加減だ。
敵対心をはじめとする様々な感情を滲ませながら自身の身長より頭半個分程高い位置にあるアダマスの顔を見れば、ソイツはニコニコと笑っていた。
ただし、例えば土塊に爪を三回刺したものを「目が二つで口が一つ。これぞ笑顔になった人間の顔の像です」と言い張る程にノッペリとした笑顔がある。
「怖い顔しちゃってどうしたのかな。別に叩きのめそうだなんて考えてないよ?」
口ではそう言いつつ、指をグリグリと喉を作る皮膚の上で弄ぶ。
「だって、君が普通にボクと戦っても勝てる筈無いじゃないか。アッハッハ」
その言葉を皮切りにコギーは一歩前へ出る。
このまま馬鹿にされてはプライドが許さない、喉が潰れようが構うもんか。
赤い目を更に赤くさせて己よりも大きな敵に挑む。
「あぁっ!?やってみなきゃ分かんねぇだろうが!」
だが、喉を潰れる事を覚悟したがそうはならなかった。動いた瞬間にアダマスはヒョイと指を離したのだ。
そして飛び込んだ先には誰も居なかった。指を離した瞬間にアダマスが嘲りながらサイドステップで素早く横へ撤退したのだ。
在るのは脳天に感じる『面』の感触。
何時の間にか後ろに回られて頭を掌と云う面に掴まれているのを理解した。
ポンポンと、そのまま何度も軽く叩かれる。
「いえーっい、タンバリーッン。おや、音が出ないなあ、不良品かな」
「テメッ!?ふざけんな!」
プルプルと肩を震わせるコギーは、力を溜めた。
溜めた力で腰を捻って裏拳をアダマスの顔面に放つが、上半身を後ろへ反ってかわされる。
しかしその隙にコギーは軽くしゃがむと、そのバネを利用して跳びはねた。
かわされた裏拳の腕の、横に回されていた運動エネルギーを跳ぶ事で上に回し、上段にかち上げ、握り拳を下の顔面へ叩き込む動き。
出来上がるのは振り下ろす拳骨。
「そのメガネ、カチ割ってやらぁ!」
「よいしょ」
アダマスは反っていた上半身を腹筋の要領で上に持ち上げた。
持ち上げながら背骨を軸にして腰を回し、拳をかわす。
伸び切ったコギーの腕がアダマスの顔を横切ろうとしていた。アダマスは自身の腕をくの字に曲げて、回す腰によりコギーの肘関節へ、自身の肘関節を引っ掛け合わせる。
上半身が持ち上がる勢い、腰を回す勢い、そして地面に地を付けた人間と既に宙に浮いている人間との体重差。
それにより、コギーがダイナミックに空中を、まるでバク宙のように宙返った。
「嘘だろっ!?」
つい叫ぶ。
裏拳をかわされた勢いを使ってのパンチは完全な不意打ちだった筈だ。頭を黙って叩かれる屈辱に耐えながら精一杯、考えた。
来ると前もって分からなきゃ対処出来ない。
それなのにコイツは対処するなど、心が読めるとでも言うのか。
宙でそんな事を思いつつ、背中から芝生へ落とされる。
「グフッ」とお約束の声を捻り出して大の字になり倒れ伏した。
アダマスは仰向けになるコギーの鼻先ギリギリの距離へ、教科書通りの綺麗な正拳をピタリと寸止める。
その気になれば顔面を潰せる事を表している。
「ハイ一本。
馬鹿だね。実に馬鹿だね。君は実に馬鹿だね。
叩きのめす気は無いと言ったじゃないか、だからちゃんと勝てるルールを考えなきゃ」
「うっせ。叩きのめしてるじゃねーか。大体テメームカつくんだよ」
『傷一つ付けられていない』とはいえ、この期に及んでまだ悪態を付けるのはある意味才能だなと、そして「女だったら美味しいシチュエーションだけどコイツ野郎だしな」と残念な気持ちを想うアダマスは、渋い顔で眉をハの字にした。
遠くで不安そうに見ているシャルに視線を送る。
するとシャルは無言ながらもコクコクと、小動物よろしく何度も頷いた。遠くからでもドキドキワクワクと云った感じに顔を赤らめているのが解る。
それを確認し、正拳を引いて、芝生に胡座をかいた。
葉で少しチクチクするが気にしない。
「ま、シャルもあんな感じだし。
取り敢えずこれでお仕置きそのものは終わりかな。今度やったらその顔がスクランブルエッグみたいになっちゃうから気をつけるんだよ。
ほら何時まで寝てるんだ。君も座りなよ、人が話そうとしてる時に寝てるなんて良い度胸じゃないか」
「チッ」
ここから反撃しても直ぐに読まれて同じ状況になる未来しか見えない。
嫌々ながらもコギーは上半身を持ち上げ、はじめて視線を同じ位置に合わせる。
その感想は「睫毛長ぇ」と「髪型とメガネで分からなかったけど、シャルと顔のパーツはほぼ同じだな」と、ありふれた事でこの様な状況なのにコギーも自身の判断に戸惑っている。
だからこそ、思うことがあった。
「さて、『どうも気まずい』と、君は考えているね。大丈夫、話題は考えてあるんだ。だったら合わせるだけさ、難しくないだろう」
「やっぱお前、心が読めて……!?」
アダマスの第一声に驚く。
コギーが思った事とまるで同じだったのだ。そこに続くは第二声。
「別に心が読める訳じゃ無いから安心しなよ。なにも難しい事じゃないんだ。
例えばさ、歩いていると向かい側から通行人から来る時があるよね。
でだ。視線とか、仕草とか、そういうのをよーっく観ると何となく何を考えているか分かる時ってあるよね。
『右に曲がろうかな』だったり『変なズボン履いてんな』だったり『美少年ハァハァ』だったり。
ボクはそんな感覚がちょっと鋭いのと……」
「鋭いのと?」
無機質な瞳でコギーを見詰め、芝生にだって華が咲くような笑顔で微笑んでみせた。
「君が分かり易すぎるだけさ」
「やっぱそのメガネ、かち割る」
青筋浮かべながらそんな冷淡な口調の返答にも介さず、アダマスは笑顔のままにシャルの方を見やった。言葉とは裏腹に、何もしないという気持ちを理解しているのだから。
視線に置かれたシャルは、同様にパァとした笑顔を咲かせる。
「おいで、シャル」
「はいっ、お兄様!」
アダマスはパタパタと手を振って妹を呼び、シャルはパタパタと足を動かして子犬のように兄へ寄り添う。
目の前の、その余りにも自分の時との扱いの差に、コギーは色々想うところがあるが口には出さないでいた。雰囲気でシャルと乳繰り合うアダマスはそれを観て、ニヤニヤする。
まるで覗き見ているかのように。
アダマスは改めてシャルを背中に、コギーを正面に置いて顎に手を当てて口を開いた。
「それでコギーくん、リベンジするために色々考えてきたって言ったけど、どんな方法を考えてきたのかな。
折角だし此処で吟味して、本当にシャルが出来るようなモノだったのか本人に聞いてみようよ」