第六話 マジ泣き
シャルの話が終わる。
昼が終わったばかりと云う事もあり、太陽の位置も大分高い。
しかし暑くないのは、ランドマークの大樹と湖の近くであるが故か。
アダマスはその後語り終わったシャルに頷いていた。
「なるほど。で、負けたコギー君は『首を洗って待ってやがれ、バーッカ!』と言い捨てて退散。
シャルとマーガレットは仲良くハチミツベーコンパンケーキを二人で分けて、ほのぼの過ごしたと。
そういう事か」
「うむ!」
エヘンと胸を張るシャル。
見つめ合う二人、これはもしやと目を閉じてキスの体勢に移るシャル。
彼女に与えられたのは、脳天へのチョップだった。
「お兄様、痛いのじゃ」
「そりゃ痛くなるようやったし。『下郎』は完璧に悪口だよ?そりゃ『デコッパチ』もアレだけど、世の中にはそれを侮蔑と感じない人がゴマンと居るからねぇ。
それは先に喧嘩腰になったシャルが頭を下げてパンケーキを三等分すれば良い問題だろうに。
ちゃんとコギー君に謝るように。そんなんだから向こうがリベンジとかするんだろう?」
シャルとコギーとの距離は、歩数にして十歩ほど。
しかも兄と云う壁に身を隠した状態だ。
しかし直ぐさま、緊張感に身を震わせつつも、全身を見せていた。
堂々としている振りをする。
そして律儀にずっと仁王立ちいたコギーへ頭を下げた。
「あ、あの時は申し訳なかったのじゃ。
でも悪気とか、嫌いだとか、そういう感情は一切無いのじゃ。
その……ごめんなさいなのじゃっ!」
アダマスは腕を組んで、シャルへ視線を置いた後にコギーへ顔を向けた。
そこに呆れはなく、至って真面目だ。
頭を下げる。
「シャルもこう言っているし、許してくれないだろうか。兄のボクも謝る。
それに、これでリベンジをするならシャルではなくて、マーガレットの筈だ」
聞いたコギーは、立ち上がった。
ポケットへ手を入れて、フゥと溜め息を吐く。
眉の間に皺が寄り、それは納得していない事を表していた。
「そーかそーか、これでめでたしめでたし……って、んな訳ねぇだろ!」
怒鳴り声が上がった。
シャルは電流を流されたかのようにビクンと目を見開いて肩を震わせ、「ヒッ」と声にならない声を捻り上げさせられる。
無意識の内に両肘を内側に寄せていた。
そして隣のアダマスは、「コギーにはどうやら緑によるアロマテラピーは通用していないらしい」等々を思い、顎を摩り、何食わぬ顔で只々観察していた。
見たところ、コギーに『悪気』は感じられない。
「こちとらアレから、リベンジする事だけ考えて色々考えてきたんだ。
マーガレットにリベンジするべきだ?うるせぇ、元々はお前の妹との口喧嘩だっての。
それと……なんだこの距離!
誠意なんて感じられるかってんだ!ざけんな!」
勢いに圧されて身を縮めるシャル。
しかし決して身を隠さない。
だからアダマスは黙って手を繋いで、語りかける。
「そうかコギー君。では、近付こう。ただしシャルは知っての通り男性恐怖症だ。そこを理解して欲しい。
シャル、歩けるかな?」
「……うん。お兄様と一緒なら」
「よし。頑張ってみようか」
アダマスには腕越しなのにシャルの心臓の音が伝わってくるようだった。
不安の感情がヒシヒシと伝わってくる。
一歩足を踏みしめる毎に心臓の音は益々強まっていき、十歩に達する前に心臓が硝子細工よろしく砕け散ってしまわないか、心配になる。
そうして、そうこう心の声を聴いている内に奇跡的にも十歩進めていた。アダマスはつい、偉いぞと頭を撫でたくなるが、それは後だと思い留まる。
気付く。
たった十歩の接近でしかないが、始めて近くから見たコギーの表情には隠しきれない困惑が見えていた。
彼もこんな事になるなんて思わなかったのかも知れない。
お互いに息を呑みつつシャルはズンと重い空気を身に纏って頭を下げた。本当に反省しているのだ。
「ごめんなさい……」
コギーは、とても居心地の悪い顔をした。
後悔や焦燥などの感情を、苦々しく歯を食い縛る事で押さえ込んでいる。
意を決して眉をVの形に寄せ下唇を噛んで、手を差し出した。
キョトンとするシャルだが一瞬で理解する。
対象の理解を理解したコギーが口を開いた。
「ふんっ。『仲良しの握手』だ。
これで良いんだろ、これで」
彼は嫌そうな顔を隠そうともしない。
嘘をつくのが下手な事を自覚しているのだから。
だが一方でシャルはこれ以上歩み寄れず、手を差し伸べられずにいた。
兄の手を強く握ったまま、下に差し伸べられたコギーの手をジィと見て、動けないでいるシャル。
そんな様を見てコギーは苛立ち、「んっ、んっ」と感情寄りの声をぶつけ、手をピクピクとシャルに寄せて急かせていた。
目を合わせられずに下を向いたままギュウと目を瞑って、シャルは言う。
「……すまん、これ以上は無理なのじゃ。
まだ、男性恐怖症が治っていないのじゃ」
途端、差し伸べられていた手へ猛烈に力が入った。
今にも握り潰してやろうと云う意思が感じられる、半開きの状態で指を揃えた手が出来上がる。
コギーは目を見開く。その真っ赤な視線の先にあるのは、アダマスと『仲良く』繋いでいるシャルの片手だった。
「ざっけんじゃねぇぞ!
人が折角手を差し伸べてやっているのに、ホントは俺に触れたくねぇだけだろ」
コギーは腿をピクリと一回貧乏ゆすりよろしく打って、舌打ちを打った。
それを見つつ、普段とは想像もつかない程申し訳なさそうにシャルは気落ちした顔をする。
その目はコギーと合わせられないでいた。
「しかし無理なものは無理で……」
その一言を皮切りに、言われたコギーは歯を剥き出しにして、シャルの胸ぐらへ摑みかかろうとする。
本来は互いに握り合う意味を持つ筈のその手でだ。
しかし何時の間にか歩を一歩進め、横へ回り込んでいたアダマスに手首を掴まれる。
掴まれる事は意にも介さず、今にも噛み付きそうな形相でシャルに気配を叩きつけた。
「甘ったれてるんじゃねぇぞ!?
遠くから悪態だって付けてたじゃねぇか。
仲が良ければ触れる事も出来るんだろう。
なら大丈夫だ、お前の病気なんざ思い込みでしかねぇ!こっちに来てみろ、何時かは向き合わなきゃいけないんだ!
自分と戦ってみせろよ!人に頼らずによぉ」
そこには本気の想いがあった。
自分の事を信じて疑わない、真っ直ぐで、心に響いて、否定出来ないと思わせる力があった。
だからこそ、それが心の奥まで届いたシャルは無意識の内に目と口に筋肉を入れて涙腺から感情を絞り出さざるを得なかった。
言葉に出来ないのだから、生理現象に頼るしかない。
「あぁ~ん、あぁ~ん、うわぁぁぁぁん!」
シャルは泣いた。
ギュウと唇をキツく締めた後、大きな口を開いて、目を尚キツく締めて、涙と鼻水を出して、泣いていた。
人は正論に反論し辛いものだ。
ましてや、まだ十歳の少女が、自分でも説明の出来ない部分へとことん追い詰められ、責められ続けたのだ。
「君は悪人では無いね。が、お節介ではあるな。
ああ、そうそう。ボクね、『デコッパチ』を完全に許してる訳じゃないから」
アダマスは言う。その声色は淡々としたものだ。
まるで、とても熱い料理を封じた金属製の蓋のようであった。




