第五話 バカって言った方がバカなんじゃい、このバーカバーカ!
広場では様々な人々が自由にしている。
酔っ払いが昼から上半身裸で踊っていた。子供たちがリアルおままごとに興じていた。過激なパフォーマンスの行商人が客引きしていた。
そんな中にイチャイチャ話しながらやって来るバカップルが一組。
「さあゆっくりと出店でも見て回るか」
「そうじゃの、お兄様」
そんなバカップルの目の前へ疾風の如く颯爽と現れ、突撃してくる少年も一人。
どう見ても空気が読めていない。
彼は今まで広場のランドマークである高層ビル程に高い大樹の陰で肩肘を付いて寝そべっていた。
しかしバカップル……正確にはその内の一人であるシャルに気付いて、そのままピョンと元気に飛び跳ねて空中で体勢を整え、駆けたのだ。
「男と一緒に歩くということはシャル、男嫌いが治ったのか!
さあさあ、リベンジマッチだ。
マーガレットが居ないのが残念だけど、シャルに対しても色々考えてきたから戦い方を選ぶと良いぞ!」
因みにマーガレットとは、シャルがアダマスと一緒に外出出来ない時にお忍びで連れて行くメイド見習いの事である。趣味はタンバリン。
それはそれとして、シャルに絡む『彼』の顔は餌を得た飼い犬のようにとても活き活きとしていた。
そんな彼を視線の先に置いたシャルは苦々しい顔をする。
勿論男性恐怖症は治っていないので、兄の背中に隠れ、しかし顔だけ出して強気な態度で、言葉のキャッチボールならぬ言葉の泥団子を投げた。
「べ、別に治っちょらんわい。
ただ、大好きなお兄様なら大丈夫なだけじゃ、アホゥめが。ていうか戦わずに済ますとかできんのか」
「アホだと。そんなの見て分かる筈無いだろアーホ。
まあ良い。引くに引けなくなったから、取り敢えずここを通りたければ俺を倒していくのだ!戦いは不可避!」
「引くに引けなくなったとか、随分ぶっちゃけたのう!?なんなのお前、妾が好きなの?でも残念、妾は身も心もお兄様のモノじゃから。ウェ~イ、ざまぁ~」
「え!?身も心も!?
……いや、そんなのじゃねーし、このバーカ!」
「バカって言った方がバカなんじゃい、このバーカバーカ!ウ◯コの角に頭をぶつけて頭蓋骨骨折してしまえ!」
二つの喧騒に挟まれるアダマスは、涼しい顔をしてメガネを上げて、腕を組む。
肩を竦めて背後のシャルに視線を流して囁きかける。
「なんかあったのは話の流れで分かるんだけどね。
おにーちゃん、置いてけぼり喰らったみたいで寂しいなー。」
シャルは呆れた声を出すアダマスを見て、ヒャッと心臓が飛び出る感覚に駆られた。
フルフルと落ち着かない視線と手を動かす彼女へ対して、アダマスはコツンと額同士をぶつけやる。ぶつけた彼の表情は、眉をハの字にしつつも口元は優しく微笑んでいた。
それ故にぶつけられたシャルは泳いでいた視線を真っ直ぐに戻す。
息を整え、アダマスへ説明した。
「ヤツの名はコギー。
以前にマーガレットと広場で遊んでいたら絡まれたのじゃ」
「へえ、なんでまた」
そうして促すと頷き、再び語り出すシャル。
尚、この会話はお互いにしか聞こえない囁き声で成されているにも関わらず、コギーは腕を組んで仁王立ちし、堂々と定位置で待っていた。
空気が読めない割に素直な性格なのかも知れない。
◆
シャルがコギーとはじめて会ったのは、一週間ほど前の事で、マーガレットと二人で広場に遊びに行った時だったそうな。
シャルとマーガレットの二人は一歳差と云う事もあり、姉妹関係と云う設定で街を遊びまわっている。
それが何年も続いたが故に非常に気安く、お互いの心の距離はとても近しい、本当の姉妹のようであった。
「クックック、今日はどんな出店があるかのぉ。我が妹マーガレットよ」
マーガレットは五感、特に嗅覚が超人的に優れている。
犬よろしく臭いで健康状態を当てる事も可能なほどだった。
本人は臭いフェチ故と言っている。誰もがそんなわけないだろうとは思うが、些細な問題なので深入りはしない。
そんな彼女にかかれば一番流行っている出店が何処かは、直ぐに分かってしまう。
「ヘイ、シャルお姉ちゃん。今日は所々から豚肉系の臭いがしますん。おそらく燻製系のものかなと……おや、きっとあれかな」
指し示した先にあるのは、風変わりな店だった。
パンケーキに蜂蜜を塗りたくったベーコンを入れたものを売っているのだ。
一見異様。
だがしかし、それを立ち食いする客達から飛び出る「意外と美味い」の褒め言葉。
「ふむ、面白そうじゃの。よっしゃ喰うぞ」
「ガッテン。あ、でももう少しで今焼いているものが売り切れて、焼き直しに時間がかかるってさ」
「なんじゃと、急ぐのだ!」
先頭を駆けるシャル。
それに気付いて向かい側から駆け出すのは、同じ考えで食べようと店まで歩き迫っていたコギーである。
「おい、そこのデコッパチ女!
俺より早く買おうって魂胆だろうが、そうはいかねえぞ」
「誰がデコッパチじゃって……うるさいわ下郎!女二人に対して男ひとりが甘味一つにみっともないじゃろ!」
態度こそ喧嘩腰であるが、物理的には大分腰が引けていた。
男性恐怖症故である。
別に嫌いな訳ではない、只々不思議と男性を目の前にすると暗示にかかったかのように混乱してしまうのだ。
テンパるともいう。
思い付きで喋っているため口喧嘩をするにしても余裕のある台詞が出てこない。
両者の距離が近付く度にシャルの顔は青くなっていった。
「あぁん!?誰が下郎だ!喧嘩したいならもっと近付いて話せや」
「うぅ……」
シャルは外面ではいつも通りを繕おうとするものの、見るからに挙動不審だ。
そこに気付いたマーガレットは、勢いよくシャルの後ろから飛び出した。
蒲鉾のような伏せ目と栗みたいな口で笑みを作っている。
マーガレットの何時もの表情である。
彼女は踵を巧みに使い、芝生をザザッと滑る無駄な演出をしてコギーに向く彼女は、手で行く手を遮った。
「な、なんだお前」
「お姉ちゃん、ここは私に任せて先に行くんだ!」
一旦ぽかんとするも、シャルはマーガレットに対して親指を立てる。そして走る。
「あ、ありがとうなのじゃ!あとは任せた!」
「テメェ、逃げんのかよっ」
「おっとここは通行止め。渡りたくば私を倒していくがいい」
追おうとするも、両腕を広げたマーガレットが立ち塞がる。
彼女はコギーを前に不敵な笑みを浮かべ、その両腕はユラユラと海藻の如く揺らめく。
そして「シャンシャン」と音がした。
何処から取り出したのか、何故かその両手にはタンバリンがあったのだ。
その独特な空気に、コギーは不思議と黙って見やる。しかも、何故か物凄い興味深々にタンバリンを見やる。
先ずは相手の対象を此方に移すことは成功。
笑みの裏と、よくわからないコギーのタンバリンへの興味でマーガレットは冷や汗を垂らしながらそこを確認し、口を開いた。
「フッフッフ、私はマーガレット。シャルお姉ちゃんのリトルシスター。しがないタンバリンマスターである」
「タンバリンマスターってなんだよ。ああ、もう。
俺はコギー。これといって変な称号は無い。でも、その手の楽器はちょっと好きだったりする」
「おおっ!そうなのか、それは良いね、気が合うじゃないか」
なんで興味があるかは分からないが、これはチャンス。
感心したような顔でマーガレットはタンバリンを連打しながら片足を上げて爪先でクルリと一回転。
全身を回転させたエネルギーにより片手のタンバリンがフリスビーの容量でコギーの手に投げ出され、彼は慌ててそれを受け取る。
タイミングを見計らったマーガレットによって、「受け取らされた」とも言う。
「よしっ、ならば私と勝負だ。ソレで」
「タンバリンで勝負だと!?」
「そう。どっちが観客の注目を集められるかで勝負。観客は周りでパンケーキを食べている野次馬。むふふふふ~、逃げても良いのよん?」
カァと熱くなったコギーは髪を逆立てタンバリンを構え出す。
「ああん、上等だ。やってやんよ!」
熱くなった頭を一旦落ち着かせ、コギーは今この場で、この楽器に向いているだろう音楽を脳内の記憶から呼び起こす。
自身が最も素晴らしいと思える曲をタンバリンで再現し、観客を沸かせた。
そう、コギーは一度聞いた曲をタンバリンで再現出来る謎の能力を持っていたのだ。
しかしマーガレットは負けない、マーガレットは強かった。
タンバリンマスターの称号に恥じない大胆かつ丁寧な演奏、そしてオリジナリティー溢れる天才的なタンバリン捌きを披露したマーガレットは逆転勝利を収めたのだった。
興奮収まらない観客たちの中でコギーは肘と膝を地面に付けて悩んでいた。
「ま、負けただと……馬鹿な、完全に再現した筈なのに……!?」
「フッフッフ、まだ君は何も分かっていないようだね、答えは簡単さ。モノにオリジナリティを与えるのは、想い!
君はシャルお姉ちゃんの想いが何もわかっていなかったから負けたのさ!」
「クソッ、訳わかんねぇ事言いやがって。まあ良い、今度こそ、お前等を負かせてやる!」
そこへやって来るのはパンケーキを片手にしたシャルだ。
コギーの発言を聞いてキョトンと目を見開いた。
「え、お前『ら』って事は妾も入っとるの?」
「あったり前だろう!初めに喧嘩を売ってきたのはテメェだし。
首を洗って待ってやがれ、バーッカ!」
すっくと立ちあがり、回れ右をしてコギーは駆け出した。
その頭はシャルとマーガレットの事でいっぱいになっていて、次に会ったらどのように戦おうか、そればかりが本人の意思とお構いなしに回る。
その一方でシャルとマーガレットはパンケーキを二等分し、食べ合っていた。
ベーコンの塩っ気とハチミツの甘味が絡み合って絶妙な旨味を醸し出している。
「ありがとな。……しかし結局なんじゃったんだろ。ん?これは思ったより」
「美味しいね」