第四十六話 ピエロじゃなければバニーガールでも可
シャルは走る。寝間着姿のままに。
今日の寝間着はピンク色の綿100%。広く開いた襟元と腰にはボリュームあるフリルが付いたデザインだ。
池に向かって思い切り飛び込もうと、大きく跳んだ。
このままでは濡れてしまう。なのでレオナが補助をする。
シャルの寝間着の背中の部分。そこを摘んで空中で静止させたのだ。猫のように。
慣性に従いプラプラと揺れつつ彼女は叫ぶ。
「にょっふ!
ええいレオナよ、お兄様に抱きつけんではないか」
「でもこのままだと寝間着が濡れるし。先ずは脱いでからな」
シャルは池の外に出されると渋々服を脱いで、改めて抱きついた。一部始終を見ていたレオナはフンと溜め息ひとつ付いて、身体を洗う。
「そういえば」と桶の中からタオルを取り出し、それをアダマスへヒョイと手渡した。
「アダマスもシャルを洗ってやれよ」
「うん、分かった。ところでこのタオルってボク自身に洗わせる予定でもあったの?」
「いいや、ただ誰か来そうとは思ってな」
「それもそうか」と、一息してアダマスはシャルの身体を洗ってやる。洗われる側は「ふにゃあ」と蕩けきった顔だ。猫のように。
そうこうしている時、何時の間に近付いたのやら。メイド長のハンナが声をかけてきた。
「……ところで坊ちゃま方、おはようございます」
「あ、おはようハンナさん」
「うっお、何時の間に!」
アダマスは軽く返すが、シャルは目を剥いて驚く。
その視線の先には手押しで持ってきたのだろうワゴンがある。この土だらけの不安定な足場で物音立てずにワゴンを動かすなど、どうやっているのか。
素朴な疑問だった。
「そこはほら。ハンナさんだし」
「そんなもんかの」
「そんなもんだよ」
そうしてハンナは一通り水拭きが終わった二人へ近づき丁寧に拭きながらアダマスへ問いかける。
「さて、今日のご予定は如何なさるので?」
「そうだね。昨日、レオナといっぱい話し合ったところだし。
今日は冒険者ギルドの手伝いに行こうと思うよ」
垢を拭った彼はそう返した。
実はレオナと一緒のハンモックに寝ていたのも、その話し合いを警備小屋でしていた最中に寝てしまったからだ。
この背景にはレオナが今回悪の野望を打ち破ったので、久しぶりに自宅である警備小屋へ久しぶりに戻ってきた事がある。
夕飯をたらふく食べた後、アダマスが折角だと遊びに来たのだ。
そしてシッポリと遊んで、そういえばとギルドでアダマスに手伝ってほしい思い付きがあったのである。
「その結論に達したという事は……分かりました。ただ、私も行かせて貰います」
「うげっ、マジかよ」
遠くでレオナが苦々しい顔をしていると「当然です」と応えながらアダマスに服を着せる。
その隣でシャルが餌を待ち望む猫のように目と八重歯をキラキラさせて、ハンナを見ている。ハンナは彼女の頭へ手をポンと置くと、優しく言う。
「お嬢様は今回お留守番ですわ」
「そんな!?妾もギルドへ遊びに行きたいぞ!」
「いやぁ。これは遊びではなくお仕事ですし。それにこういう時の為の領主補佐でしょうに」
「グヌヌ……」
不貞腐れた様子のシャルは、ドロワーズだけを穿いた状態で、プクリと頰を膨らませた。
その上から肌着のみ着たアダマスがガバリと優しく包むように抱く。
「まあまあ、お土産買ってきてあげるから」
「うぬ、仕方ないの。じゃあなんか面白い旅のお話とかを聞いてくるのじゃ」
「良いよ。なら、出来るだけ面白そうな人を探してみるよ。希望とかある?」
「ピエロの格好で一人旅をしているチャレンジャーが望ましいのじゃ」
「……頑張ってみるよ」
取り敢えずはそれで納得したのか、膨れツラが直り、着替えての姿勢を取る。
なのでハンナはシャルの着替えを行う。
主人であるアダマスより先だっているが、アダマスは納得しているし、誰も咎めないのでそのままだ。
こういう時はケースバイケースなのである。
ところでと、アダマスはレオナの方へ向いた。
「そういえばレオナ。君は相変わらず全裸のままだけど、いいの?」
「ああ、すっかり忘れてた。確か、桶の中に入っていた筈だから取ってくれ」
「レオナってばおっちょこちょいなんだから……じゃあ投げるよー。てりゃっ」
そう言って池のほとりに置かれた桶を覗くと、確かに何時も着ている黒いピッチリ系の、全身タイツのようなライダースーツが畳まれていた。
それを宙へ放り投げる。
すると彼女は勢いよくスーツへ向かって宙回転しながらジャンプした。
「おうよっ。へーん……しんっ」
一瞬の交差。交差するタイミングで革と肌が「パチン」と強く叩き合う強烈な音がし、一気にスーツが広がったと思ったら急に収束して人型を形作る。
一瞬で着易いように服が広がりスッポリと身体が収まる。
そして四肢を内側へ勢いよく曲げて隙間を無くせば、何時もの服装の完成になる。
すると勿論体育座りのような姿勢になるのでそのまま空中で回転しながら地面に向かって加速し、着地。
握り拳を空へ掲げて決めポーズ。
因みにライダースーツとは云うもの、留め具はボタンかベルトで、ファスナーは無い。
この世界においてファスナーはまだ開発されていないのである(もしもファスナーを一から作れる人間がどこからともなく現れたら大金持ちになれるだろう)。
また、生地は合成皮革のような質感をしているがエミリーが錬金術の技術をコスト度外視で作った一品だ。
これを着ていれば戦闘中、ついうっかりと大気圏突入してしまっても服が燃え尽きる事は無い、正に『ヒーロースーツ』とも呼べる便利な品なのである。
「相変わらずレオナの着替えは早いなあ」
「ヒーローに早着替えは基本スキルだからな。さ、朝メシにするか」
そこでハンナから待ったが掛かる。
「あらあら、ダメですよ。まだ坊っちゃまの朝の訓練が済んでいませんし」
「おうそうか。たまには私が、いっちょ揉んでやるか」
ニカリと笑ったレオナ。
ちょっと嫌な予感で背筋を冷たいものが走ったアダマスはハンナを見やる。
的中。
ハンナはワゴンから取り出した掃除用具を持って、シャルと一緒にレオナの警備小屋の中を覗いていた。
「まあまあ。カピカピしたティッシュやら、縮れ毛やら、エミリーの作ったオモチャやらがこんなに。
一日で結構汚れますね。坊っちゃま。
これは時間がかかりそうなのでレオナに訓練を付けて貰った方が良いかも知れません」
そんなハンナの鋭い目線に、ちょっと昨日はレオナとハメを外し過ぎたかと反省しながら、この国最大の豪傑にして、その才能故に教える側としてはヘタな彼女の訓練を受けることにするのだった。
彼女は楽しそうに首をコキコキ鳴らし、手首をブラブラさせている。
(さーて、ボクはどれくらい吹っ飛ぶかなぁ)




