第四十四話 どういたしまして
エミリー編、これにて閉幕
コーヒーカップが在る。
色は金に近い茶色。そこに瑠璃色がじんわりと浮かぶように塗られていた。
ここらの焼き物へ東洋の釉薬の技術を合わせた逸品である。
マーガレットに「お兄ちゃんにはこれが合うだろうなぁ」と、選んでもらったカップだ。
そしてエミリーの手によって、トクトクと珈琲が注がれた。
湯気は香ばしく今にも齧りつきたい誘惑を醸し出す。本人はそう呼ばれるのを嫌がるだろうが、流石は貴族の生まれだけあって、ハンナにも負けない満点の注ぎ方だった。
カップをゆらゆら。
淹れて貰ったコーヒーを波立たせた。揺らめく湯気を今度は鼻ではなく口へ入れる。
少し酸っぱいなと感じた。
その時だ。
ヌッと後ろからエミリーが己の頬を、アダマスの頬にくっつくのではないかと近付けてくる。
元々の体温が低めなのが、ヒヤリとしてて温かいコーヒーを飲んでいる時はずっと隣でも良いかも知れない。
どこともなくそのような事を考えていると、彼女は囁くように言った。
「砂糖はいるかな?」
これはなにかあるのだろう。
確信が浮かぶ。故に返答する。
「じゃあ貰おうか」
態々自分の為に何やら仕掛けを用意してくれるという。かわいいものじゃないか。
するとエミリーはカップの上へ、下向きの手の平を浮かべるともう片手で手首を握り、唸った。
「にゅおおおお……ていっ!」
『溜め』から力を抜いた途端に手の平から、サラサラと砂糖が出てきた。
ああ知っている。ハンナさんに教えてもらったっけ。
これは手首の辺りにスティックシュガーを隠して出す手品の一種だったか。
確かこの手品はシャルも知ってるから彼女の性格からして……ほらやっぱり。
シャルがトリックを暴いてやろうと下から手首を覗き込んでいる。
しかしそこにあるのは驚愕の表情。きっとエミリー側もこれくらいのタネは予測していたのだろう。シャルがするはずだった得意げな顔を、逆にしてみせた。
手首が上向きに返される。なんとそこには何もなかったのだ。
「ふっふっふ、シャルくん、アダマスくん。タネを知りたいかね?」
「勿論なのじゃ!」「知りたいと言えば知りたいかな」
シュピリと手を上げるシャルへ対して、エミリーは人差し指を一際高い棚の上に向けた。ブリキの箱がひとつある。
「よろしい。ならば、あのクッキー缶を取ってくるのだ」
「なんじゃと!?さっき配膳したばかりじゃというのに」
「でも取ってこないなら永遠に謎は深まるばかりだよーん、ふふーん」
アダマスは立ち上がった。余りにもその時のシャルの顔が悔しそうだったから。
彼は床にしゃがみ、背面で手招き。来るよう妹を促す。
確認したシャルは額と八重歯と瞳を輝かせ、その股で兄の首を挟んだ。いわゆる肩車である。
そして出来上がる『トーテムポール』は上に腕を伸ばす。
「取れそう?」
「ああ、もうちょい、もうちょいなのじゃ」
肩越しでもシャルの臆病な声が聞こえた。
勢いで行動は起こすものの、グラグラと怖いものは怖いのだ。
その声は、席でコーヒーを注がれているレオナにもしっかりと聞こえてくる。
「しかし昔からだけど、面倒な事が好きだな。エミリーは」
「せっかくだし、遊びを混ぜてやりたいだけさ。ただコーヒーを入れるだけなら、そこのリンにでもレシピを教えて淹れさせれば良い。
なんなら、ロボットにやらせても良い。
……。
でも、こうして趣味として色々試すという行為はとても楽しいんだ。
そこでは何が起こるか分からない。恋の楽しみ方に似ていると思わないかい?」
「ふぅ~む、なんか分かるような分からないような」
そこでレオナはコーヒーをそのまま飲もうとするがエミリーから「待った」がかかる。
どうも彼女は何が起こるか分からない楽しみは人一倍あるのに、「食べる時は皆で一緒」など、礼儀などの常識に対しても人一倍気にするらしい。
コーヒーよりも苦い笑いを浮かべて、隣二人にもコーヒーが注がれる。
その頃には件の『トーテムポール』がクッキー缶を棚の上から取り出し、皿の上まで持ってきた。
エミリーが礼を言う。そしてトーテムポールの『上』だったシャルが、餌をねだる鯉のように口を開く。
「おっ、ありがと」
「うむ、苦しゅうない!
……で、結局砂糖の手品はどうやっとるんじゃ」
「ん、ああコレね。コレは静脈に偽造したチューブを手首に貼り付けて、それでも滑るキメ細かな砂糖を使っているんだ」
確かによく見ると静脈が一本多く、そして太い。
エミリーはそこからサラサラと自分のコーヒーカップへ砂糖を垂らしてみせた。
タネを知った側は口をパクリと開けて呆れの表情をする。
「なんじゃそりゃ」
「まあ、軽い宴会芸にね。知ってしまえばこんなもんさ。
こういうのも、招く楽しみの一つだね」
軽く笑ってエミリーはコーヒーに口を付ける。
そして、缶の中身を皿の上に広げてみせれば、ザックザクと大判小判のようにクッキーが溢れ出る。
オレンジ色がじんわりと生地へ染み込んでいた。
「じゃーっん。パンプキンクッキー!
カボチャを生地に練りこんだ一品だよ」
「わっ、美味しそう」
言うや否やアダマスはクッキーを口に入れる。口で転がすとカボチャ特有の甘味が滲み出る。
されど食感の嫌らしさはない。
コーヒーに合うと思った。
しかしカボチャなのに生地に練りこむとは此れ如何に。折角だし、聞いてみよう。
「ところで、このクッキーはどうやって作っているんだい?」
「んー、教えて欲しいかな」
「教えて欲しいなー」
「どうしようっかなー」
エミリーはパカリと口を開けて、鼻歌交じりにからかってみせた。
でもこれなら、思考が複雑なエミリー相手でも感情を読む事は出来る。
だから彼女の口の手前、摘んだクッキーを口内へ入れる途中で止める。
「教えて欲しいなー」
するとエミリーは空中のクッキーをパクリと咥える。
「いいともーっ」
彼女は口の周りにクッキーの欠片を少し付け、ニヘラと笑ってみせるのだった。
◆
エミリーは目を閉じて、ふと昔を思い出していた。
あれは13歳の頃、王都に来た時の事だ。
自分の護衛という事で、当時は今ほど強くない冒険者の下っ端をしていた同い年の友達のレオナが出来た。
この時の彼女は冒険者のクランに所属していた経緯からか男装をしていて、『レオ』という名を名乗っていた気がする。
そしてレオナの友達という事でまだ5歳だったアダマスがやってきて、シャルもやってきた。
たまに育児で忙しいハンナも来ていたか。
みんなで商人が集まる市の入り口へ集まると、何をして遊ぶのか決めるのだ。
「んじゃ、今日はレオのお部屋に行ってみよう」
「さんせー」
「おいっ、バカッ、止めろ!ぶっ殺すぞ!」
ある日エミリーがレオナのクランの宿舎に行こうとすれば彼女は猛反対だ。
とはいえ、元より「ぶっ殺すぞ」が口癖ではあったから誰も気にしない。
そんなレオナへアダマスがクッキー缶を差し出した。
「でも気になるんだもん、冒険者の寝床って。ほら、お城から持って来たクッキーもあるし」
「くすねているんじゃねーよ!」
「でも、気になるんでしょ。なんとなーっく、そんな感情のブレがあるなー」
「ま、まあな。今回だけだからな!」
………………
…………
……楽しかったな。
◆
そして現在。
エミリーの店は錬金術実験所の他、金剛貨の製造所も兼ねている。
しかし発明品にしろ金剛貨にしろ、領主の屋敷から距離を離す必要なんてない。
実際、アダマス自身から「屋敷の庭や地下にエミリー専用の研究室を作ってはどうか」という案もあった。
しかし彼女はずっとアダマス達との出会いを想っていたいし、近過ぎず遠過ぎず、故に何時でも恋が出来る位置に在りたい。
つまるところエミリーは……。
彼女はサクサクとクッキーを口で噛み、それをコーヒーで流し込んで呟く。
「いやぁ、私ってワガママだなぁ」
甘くしたコーヒーを静かに飲むアダマスは一旦口を離して応えた。
「そうだね。でも、そこが良いところだと思うよ」
「フフフ、そうか。良いところか。ありがとう」
だから彼女は、彼の頰に口付けをしてみせた。
彼は再びコーヒーカップに口を付ける。
「どういたしまして」
キャラ紹介
■エミリー(21)
第三夫人。天才錬金術師。大真珠湖を用いた無限エネルギーや金剛貨などの様々な技術開発者。それらの技術を使って大人のオモチャを開発している。
過去の経験から自分の身体を無意識に『汚らわしいもの』と擦りこんでいて、叩かれる等の罰せられる事に興奮する(愛する人限定)。
■レオナ(21)
第四夫人。冒険者ギルド長。何時もライダースーツ(どちらかと云えばキャットスーツに近い)を着ている。
13歳の頃に解析不可能な力を取り込み、特撮のヒーローみたいなステータスになっている。
昔は自らを隠し、偽り生きてきたので露出癖がある。また、中々表に出さないがアダマスに父性を求めている。




