第四十三話 サドとは己の欲に溺れるものならず
「で、ではコチラにお掛け下さい」
カウンター裏の事務室へ続くドアを開けるリン。その後ろへゾロゾロと一同は続く。
表情は固まり、絵に描いたようなおっかなびっくりだ。
尚、エミリーは店内の機材と、カウンターに置いてあるコーヒー沸かし器で豆から挽くとの事で、まだ部屋へは入ってきていない。
事務室の机は椅子は、此処が路地裏の怪しい店とは思えないほど良いものが使われていて、「街へ入る時の、中級貴族待合室です」と言われても何の違和感もない。
そして座るのも貴族。つまりアダマス達だ。
この環境に違和感のあるものが置いてあるのに不自然さがないと云う不思議な現象が起きていた。
そうした効果も相まり、はじめとはうって変わったリンが出来上がる。
必要以上に丁寧な様子。
彼女の態度にアダマスは緊張を解させるかのように、語りかける。軽く笑っていた。
わざとやっているかのように、エレガントに。背中とか単なる心理的相乗効果なのだろうか、謎の光が輝いていた。
「緊張してるなぁ。
そりゃボクって、ここの領主には違いないけどさ。
でも親切にしたトコで君の人生で損も得もないから大丈夫だよ」
「イヤイヤイヤ、不親切にしたら損はあるでしょう。普通は緊張しまひゅって」
そう言って彼女はパタパタと開いた掌を左右に振り回して否定を示す。
周りでそれを見ている一同は、ドッと珍しいものをみたかのように笑い、そして二人が立ち上がる。
シャルとマーガレットだ。
「そういえばリンよ、エミリーが淹れておる間にコーヒーカップを用意しておきたいのじゃが、何処かのう」
「それならそこの棚に……って何で君まで偉そうにするかな。ここ一様エミリー様の家なんだけど、勝手に漁っては……」
「妾とて領主夫人じゃし。ああ、言い忘れておった。妾がシャル、こっちがマーガレットじゃ」
「ひぇ!?」
リンは、シャルとアダマスを交互に見る。
確かに年齢は一番違いかも知れない。
しかし『お兄様』とか言ってなかっただろうか。
されど偉い人なら生まれた時からの許嫁とか珍しくなくて、付き合いの長さからそう読んでいるのかも知れない。
そのように自分を納得付ける。
「ではマーガレットよ、食器を並べるのじゃ」
「ええー、お姉ちゃんもやりなよー」
そうこうしている間にシャルとマーガレットは棚に到着していたのだが、何やら姦しい。
いつも通りだなと、アダマスは感じた。だからこの後に何が起こるかも大体予想が付く。
「なんでじゃ。お主は妾のメイドじゃろ」
「今は只の仲良し姉妹ですしおすし。
ねっ、お兄ちゃん」
マーガレットはアダマスへ話を振った。
様子を微笑まし気に見ていたアダマスは顎に手を添えて「いっそ『お姉ちゃんだから』という理由でシャル単体でやらせるのも悪くないな」と少しだけ考える。
しかしそれはナンセンスだ。サドとは己の欲に溺れるものならず。
だから彼はスックと立ち上がり、大股で二人へ近寄ると棒読みで返答してみせた。
「うーん、やりたくないなら無理にやらなくても良いしなぁ。よし、シャルはそこに座ってて良いから、替わりにボクがやろう。
マーガレットと二人で」
「わぁい、お兄ちゃん大好きっ」
「ハハハ、コヤツめ」
ガバリとマーガレットはアダマスへ抱きつき、兄はそんな妹を抱き返した。
すっかり甘い雰囲気を隣で見せ付けられてグヌヌと唸るシャルは人差し指を二人へ突き付け、叫ぶ。
「ああっ、ズルいぞマーガレット!」
「ええーっ、そんな事言ってもお姉ちゃんが嫌って言ったんじゃないか」
「グヌヌ……やっぱ妾もやるのじゃ!」
握った両手を大きく上に上げて、再度叫んだ。
そんな様子にウンウン頷いたアダマスは席に戻ろうと腰を下ろすも、上半身を下げた途端に動かなくなる。
見れば隣に座るレオナによって、オーバーオールの背面ショルダーベルトが一纏めにされ、首根っこを掴まれていた。
猫のように。
「レオナ、座りたいんだけどなー」
「そうか、じゃあ座らせてやるよ」
彼女は言うや否や、ヒョイとアダマスを持ち上げる。着ているものが頑丈な事もあって服が破ける心配は無い。
一旦持ち上げられた行き先は彼女の膝で、ポスンと『置かれた』後はヌイグルミのように片手で抱かれる。
反応するのは配膳最中のシャルだった。
「ああっ、レオナもズルい!」
「うっせぇ早いもん勝ちだ」
「ムムムム……うわぁぁぁん!」
そんなレオナの対応にシャルは下唇を噛みながら唸り、そしてレオナに抱かれたアダマスへ横から勢いよく抱きついた。半泣きである。
「みんなイジワルするのじゃ!みんなズルいのじゃ!」
「ゴメンね、ちょっといじめ過ぎた」
「ううっ、お兄様ぁ……」
茶番に近い一幕を上げる兄妹。そんな事を自分の胸元でされてレオナはため息一つ。
一方でマーガレットが食器についてコメントしていた。
「しかし種類が必要以上にコップの種類が多いね」
「ああ、エミリー様が此処に帰る最中に『いつでもお客様が来ても良いように』って行商人街で頻繁に買ってきては溜めていくんですよ。
だから古今東西、国境を越えた食器がありますね」
「へぇ、だったらあの行商人街も結構頻繁に寄っているんだ」
そこでマーガレットは「そういえば外来用の食器を大量に揃えておく人ほどボッチ体質である」と、何かの本で読んだ気がするが、敢えて口にしない。
取り敢えず、イメージに合うコーヒーカップを合うことに出来たし、中心にはクッキーを入れる皿もある。
姦しい叫びをBGMに、これで良いかなと思っていれば丁度カウンター方面の扉が開いてベルを鳴らしてエミリーがやってきた。
片手にはコーヒーが入った耐熱ガラス容器を持っている。
「おや、相変わらず仲良しだね」
「べぇーっじゃ。泣きついているんじゃ、見て分からんか」
「自分で言うかね」
「妾に恥ずかしがる部分などひとつもない!」
それは『開き直り』と呼ばれるのではないか。
ペーパーナプキンを置こうとするマーガレットは思いつつ、口には出さないようにした。




