第四十二話 私、汗かいてるし汚いよ?
店員は思う。
(さっきから周りの皆は普通に言ってるけど、パンツマンってなんだろ。私がおかしいのかな)
されどアダマスはそれを置き去りにしてエミリーに手を振った。
今の彼女は、外を歩いていた時と違い外套は脱いでいるので、下に着ていた黒いマーメイドドレスが露になっている。
胸元が大きく開いているデザインが外套とのギャップもあり、肌が目立って見える。
地下で工業系の作業をしていた影響か肌は汗ばみ、店の照明でボンヤリと光っていた。
そんな彼女は胸元の高さまでピンと指を張って控えめに手を振り返していた。
「パンツマンの弱体化が終わったんだ。思ったより早かったね」
「ああ、今日は機械工学の講義だったからね。生徒をかき集めて実習って名目で直ぐにバラしたよ。でも……」
「でも?」
「ああと、そのね。ちょっと言いづらいけど、その……」
エミリーはモジモジとしてばかりで目線を逸らしては本題に移らない。
アダマスは突然不安げになった彼女の顔をジィと見た。
直ぐ小走りで近寄って、ピョンと飛び跳ねててオイリーになっている胸元へ顔を埋める。
視線を逸らしていた彼女は突然の事に何かが飛び出る感触を覚えた。
「おっぱいダーイブ」
「あわわっ!突然抱き付くなんてその……私、汗かいてるし汚いよ?」
「エミリーに汚いところなんて無いから大丈夫」
あたふたと生娘のように慌て、彼女はつい目線を胸元の彼へ持っていく。
そして30mの身長差により、見下ろされる彼は抱き付くため背中に回していた腕で8つ年上の彼女の手を取る。
オモチャの指輪が嵌められたその指を、己の顎へ添えさせる。
アダマスはその唇を彼女へ差し出したのだ。
「あげるよ」
エミリーは一旦ポカンと口を半開きにすると云った、彼女らしからぬ態度をとる。
しかし直ぐ様、柔和に微笑みを浮かべると静かに口付けした。
何も語らず口を離し、互い静かに目を合わせる。そして数秒時間が経つと何故か笑い合った。
「あっはっは、なんでこんな笑えるんだろうね。自分でも分かんないや。
それでエミリー、結局なんだったんだい?言いたくないなら別に構わないけど」
「ふふふ、ホント、おかしいね。じゃあ聞いてくれる?
私、パンツマンに手足を付けた状態で投獄しちゃったんだ。劣化した手足とは言え、それがあるだけで脱獄する可能性がかなり上がるというのにね」
笑い涙を拭ったエミリーは軽く言う。
一年の歳月、手足を拘束されて牢獄に繋がれていた彼女にとってそういった事はトラウマだった。
軽く言うのは彼が分かってくれると信じているから。
それでも言い出せなかったのは、彼が不利になる事をした自分の責任感に押し潰されそうだから。
それ故に、言う勇気を分けてくれた彼に感謝した。
そして予想通り、アダマスはエミリーの決定を受け入れる。
「なんだそんな事か。大丈夫だよ。他にもなんかあったら言ってね、抱え込むだけ損だからさ」
「ああ、他には特にない。でも、言ってみたら大分楽になったよ。ありがとう。
後はフランケンシュタイン党とやらが、未知の脱出手段でも使わない限りは大丈夫な筈なんだ」
「なんかフラグ臭いなぁ。でも大丈夫。
そんな事があっても、ボク達が絶対なんとかするからさ、エミリーはずっと一緒に居てくれれば良い」
フンスと鼻の穴を大きくしてアダマスは意気込む。だから頭を撫でて、ついイジワル気な事を言ってやる。
「でも、レオナに頼むんだろう?」
「うんっ!それまでは時間稼ぎ係さ。
でもその内、自分だけでもどうにか出来るようになるから期待してて!」
しかし、対する彼の対応は気にもしていないといった様子だ。読心術が使える癖に自身の感情には疎いアダマスへ母性的な感情が込み上がってしまう。
「ふふっ、期待して待ってるよ」
「それまではまあ、レオナ。大分一人に背負わせちゃうと思うけど、宜しくね」
そんな感情が向けられていると知ってか知らずか、彼はカウンター方面へ目線を向けた。
ビーカー片手に「ああ」と簡単に安請け合いするのがレオナをとても頼もしく感じる。
そこで彼女のビーカー内のコーヒーは空になった。
「んー、無くなっちった。それにしても、このコーヒー美味いな」
「あっ、分かる?私の自信作なんだ、そのブレンド」
キャッキャとエミリーが嬉しそうに反応した。
その台詞へ大きく感心を持ったのはアダマスである。
「エミリーの自信作かぁ。ボクも飲みたい。頼めるかな」
「ああ、良いとも。折角だしみんなで飲もうか。コーヒーは淹れたてが良い。それに確かお菓子のクッキーがあった筈だしね。
シャルとマーガレットはどうする?」
「もちろん」「参加するのじゃ」
エミリーは足元で死体ごっこをしている二人に聞いた。
先程まで腰が砕けていたというのに、もう回復して何事も無かったかのようにピョンと起きるとエミリーの方へ向く。
そしてもう一人、チラチラと参加したがっていそうな店員にも手をパタパタと振る。
「ああ、リン。君も来て良いや、一緒に飲もう」
「はぁ、ありがとう御座います。エミリー様」
そんな事を言って店員は立ち上がる。
立ち上がるとフサフサの狐の尻尾が見えるが、表情とは裏腹にフリフリと揺れていた。
「あ、君って『リン』って名前だったんだ」
「そうそう。リン・ベルウッド。『リンリン鳴る鈴の木』、略して『鈴木リン』って覚えると……って、そういや結局君って誰なの?
子供なのにやたらエミリー様と親し気だったり、偉そうだったり」
「ああ、ボクはアダマス。エミリーの夫だから、名字は一緒のラッキーダストだね」
ふぅんと反射的に納得し、しかし頭の中で整理が付く。
それは当たり前だけど、とんでもない結論。
エミリーの夫という事はつまり、周辺の小さな貴族領も含めたここ一体の地方で一番偉い人間なのだということだ。
「バッ」とエミリーへ勢いよく顔を見せれば、彼女はシャルとマーガレットを撫でながら「今頃か」とニヤニヤ面白いものを見る顔をしていた。
「ええええええ!?」
リンは瓶底眼鏡が割れるのではないかと思える今日一番の奇声を上げた。




