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第三十五話 生きていくことそんなにイヤな事じゃない

ちょっとほのぼのと外れます

 エミリーは、現在アダマスを抱いているように母に愛を以て抱かれた事は無い。


 母は父の言いなりになる人形だった。

 父の愛人の娘がエミリーを虐めていても只立って見ているだけで何もしない。

 どう考えても間違っているだろうという事も、父の命令であるなら黙って従う。

 さりとて母を憎いと感じた事は無い。

 母は、本当の意味で操られていたのだから。

 

「イヤァァァァァ!

これは夢!悪い夢!あの貧民の乞食が私の夫になって子供まで居るなんて……イヤアア!!!」

 

 時々、夜になると母は正気を取り戻して発狂する。

 その度にブツブツ言いだし、大丈夫かと近付くと、エミリーが父との子と知って鬼のような形相で遠ざけ、またブツブツと言い出す。

 この独り言で、エミリーは領地の真実に幼い頃から気付いていた。

 

「あの乞食が何故か突然『催眠術』の道具を手に入れて……、気付いた時にはみんな奪われていて……」

「そう、皆、皆、おかしくなりはじめた。あの乞食を何故か屋敷に入れるようになりはじめて……」

「アレ?なんで私の本当の婚約者の顔が、名前が、思い出せないの?」

「そもそも私って、どこまでが本当の私なの?いや、怖い、もしかして今も『旦那様』に操られてるの?」


 頭を搔きむしる彼女にかつての貴族然とした姿は無い。

 エミリーが聞いた微かな記憶から繋ぎ合わせると、エミリーの父『スミス』は元々、単なる乞食だったらしい

 しかし、ある日どういった偶然からか現代では学ぶことも極刑とされる『催眠術』の道具を手に入れ、婿養子だった本来の婚約者から催眠術で母を奪った。

 

 それが『スミス・フォン・ブランキスモ男爵』のはじまり。



 広大だがそれだけで、痩せた貴族領。そこに建つ、古いだけで居心地の悪そうな領主の屋敷の、領主の部屋には、『エリザベス・ブランキスモ』と云う名の女性が居た。

 歳は16。黒い日傘に黒づくめの格好をした彼女の右眼は赤く光っていた。

 左薬指に嵌めた赤い指輪をギュウと握りしめる。

 そうして彼女は……親に与えられた自分の名前が嫌いだったあまり、『エミリー』と名乗り続けた彼女は、指輪を貰った時の事を思い出しながら正気を保っているのだ。

 何気ないフリをして、目の前の男に語り掛ける。


「ねえ、『お父様』。不思議なものだよね。

結局母は発狂し自殺した。

濡れ衣で唯一親しかった恩師を殺された。

サイコ思想の軍人に嫁入りさせられ、身体を切り刻まれ子供を産めない身体にさせられた。

殺してやろうと思ったことは何度もあったんだけど、貴方の催眠だったのか、それとも私の本心だったのか分からないけど、『私独りでは変える事なんて無理だ』って何時も諦めていたんだ。まあ、どっちでもいいけど。

でもね……」


 『エミリー』は指輪を擦る。

 スミスは半狂乱に腰を抜かしながらも、片手に持つペンライトから光を放ち続けた。あれが催眠の道具なのだろう。なんとも陳腐な見た目だった。

 そしてエミリーには、催眠の力は効かない。


「ひっ、な……なんでだ。なんで効かない!くそぉ、このポンコツが!」

「無駄だよ。この概念から最も遠い貴方には理解出来ないだろうけどね。

この催眠に負けずに私の意思を保ち続けたこの力を……決して私は独りなどではないと信じさせ続けてくれたこの力こそ……。

私は、『愛』だと信じているよ」


 さて、王都でアダマスと結婚の約束をして別れ、自身の領地に戻った後、彼女は説明もなく娼婦をさせられる事になった。13歳の事である。

  

 『抱ける貴族』という名目で、民衆の不満の捌け口にされる事になった。


 スミスは自分の催眠術が何だかんだで完全でない事を理解していたし、催眠術で人々を操り続けても結局学の無い貧民育ちの父が、痩せた土地で政治をするには限界があった。

 だからエミリーを筆頭に、操り人形にした女達を『何をしても許される都合のいい女』として、『貴族公認の巨大な風俗業』で産業を立て直す計画を立てた。


 それは失敗して、今に至る。


 好きでもない男達に弄ばれ続け、酷い時は眼を犯され右眼を失った。

 かけられた催眠によって快楽が湧き上がるも、その度に脳裏をよぎる少年に『これは許してはいけない事なのだ』と励まされ、そして少しずつ、客に来る男達の気持ちを父に気付かれないよう、クーデターへ誘導する。

 少しずつ身体を売って得た金で、武器を作る。


 愛と憎しみが故に。


「そんな都合のいいマヤカシの感情など信じるかぁぁぁ!!来い!フランケン、何をしている!

テメェにどれだけ費やしたと思ってやがるんだ、俺を助けろぉぉぉぉ!」

「無駄だよ。フランケンシュタイン子爵は動かない。

と、いうより、私が動けないようにした。当事者の私が彼の機械兵団を警戒しない訳ないだろう。

向こうでも今頃クーデターが起こっているよ」


 元夫の領地でクーデターを起こした事を簡単に暴露した。

 しかし彼女はそんな事はどうでも良いと言わんばかりに目の前の決して愛を信じない生き物を、哀れな目で見る。

 そして、畳まれた日傘を振り上げる。液体金属で出来た布地は硬質化し、シャフトに仕込んだ歯車が回転する。

 『恋と呪い』の花言葉を関するその武器『クロユリ』は、まるで彼女の気持ちを代弁するかのように凶悪な高い唸り声を上げる。

 「血を寄越せ」と。


「嫌だ、嫌だぁ!死にたくない!折角此処まできたのに、死ぬのは嫌だぁぁぁ!助けてくれぇぇぇ!」


 それが、スミス・フォン・ブランキスモ男爵の最期の言葉になる。

 傘は閉じられたまま硬質化する事で、ドリルだけではなくミキサーのような役割も果たす。エミリーは今回、横薙ぎにクロユリを振った。

 それが故に、恐怖の表情で固まったままスミスの首は抉り取られ、空中に撒い上げられ、胴体からは噴水のように血が噴き出す。


 部屋そのものもエミリー自身の身体も血で真っ赤になるが、動かない。

 そして外では轟々と燃え盛る火と、それを発する大衆が父と一緒にエミリーを虐めていた愛人の娘を追い詰める。

 それを見るエミリーは床に落ちたペンライトを破壊して回収し、溜息を一つ吐いた。


「なんか、疲れたな」


 もうそろそろ此処は終わるだろう。エミリーは外套を翻して、部屋を出る。

 クーデターで貴族を殺した自分は近いうちに指名手配されるだろうし、反乱を起こした市民派からも元貴族のエミリーは邪魔者として暗殺される可能性が高い。


「死ぬならせめて、君に殺されたい……」


 彼女はそう呟き、黒ずくめの姿は一瞬だけオモチャの指輪の赤い色を残し、闇に溶けた。



 そうして土砂降りのラッキーダスト領に到着したエミリー。目の前にはアダマス。

 彼には貴族として、犯罪者を処刑する義務がある事を知っていた。

 ぎゅうとその薬指に嵌められたヒビだらけの、しかも一目で子供向けの玩具だと分かる赤い指輪を右手で握りしめ、目の前のアダマスと向かい合う。

 こんなに雨は激しいのに、自分の罪は洗い流される気はしない。


「ごめんね、汚れちゃったよ。私、汚れちゃった。こんなのじゃもう結婚出来ないよ。

……ねえ、君に殺される為にね。私はこれまで自殺せずに生きてきたんだ。

もう疲れた。もう、疲れたよ。だから、ねえ、もう楽にしてくれよ!」


 するとアダマスは彼女に寄り、細い腰をギュウと抱き締めてみせ、続けざまに言う。


「ゴメンね、意気地なしのボクには出来ない。

君がどんなに自分を嫌っていても、ボクはずっとずっとエミリーを待っていた」


 言って口付けを交わす。

 エミリーにとって口付けと云う行為そのものは何度だって見ず知らずの男たちから犯されさせられてきた事だが、愛情のある口付けは産まれて初めての経験だった。


「それに、目の前にいるのは幼馴染の『エミリー』!

『エリザベス・ブランキスモ』なんて人は知らないなぁ。

さっ、エミリー。此処は冷える。

ボクのおウチに行こう。お風呂が沸いている筈だからさ。で、そのあとにアイス食べようよ、アイス!お風呂の後のアイスってとっても美味しいんだよ」


 その笑顔は、生長しているが確かに信じていた彼の笑顔だった。



 アイスを食べる現在のエミリーは、そんな事をふと思って、笑った。冷たいけど、あたたかい。

 隣で食べるアダマスはふと彼女に聞く。


「なんか面白い事でも考えている?」

「うん」


 アダマスは感情を読めるが、心を完全に読める訳ではない。

 特にエミリーのような複雑な心の持ち主となると、ほぼ分からなかったりする。


「アイス、美味しいね」

「ん。そうだね、色々な味が混ざっている」

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