第三十三話 エミリー今昔
八年前。
当時、父の仕事の関係で王都に来ていたエミリーにも、現地で友達になったアダマス達と別れの時間が迫っていた。
「じゃあ、今日でお別れだね」
はじめて二人が出会った、市の入り口にて。
コークスを使った機械が集中しているせいか、薄暗い暗雲が立ち込める。
そこにはまだ、両眼が揃っている頃の幼いエミリーが居た。目の前には更に幼いアダマスが立っている。
「ああ、ちょっと待って。エミリーってコレ欲しかったでしょ。実は買っていたんだ」
そう言ってアダマスが取り出したのは、オモチャの赤い指輪。
エミリーは目を見開かせて、驚く。
確かにこの市でアダマス達と食べ歩いていた時、ふと売られているのが目に入って「綺麗だな」とは思った。家庭の事情で玩具を貰うという経験が無かったのもあるかも知れない。
だがまさか、あの後に買っていたとは予想外だ。
「ええっ、良いの……ってその表情は、何かあるね」
「うん。聞いて欲しいんだ」
俯いたアダマスは決死の覚悟を決め、エミリーへ向き直った。
幼い経験からある程度の恐怖に耐性のあるエミリーも、少し息を飲む。
アダマスは両手で指輪を差し出して、言った。
「大きくなって、家族のしがらみが無くなったら……。
ボクと……結婚して……下さい……」
彼は言うや否や小さく肩を縮めた。
エミリーは突然の事にキョトンと理解が追い付かなかったが、それでも頷いて起こった事を整理する。
そして目の前の指輪をジィッと見て、また頷いて、口をポカンと開いた。
己の頰をつねる。痛い。夢じゃない。
「……良いの?」
無意識のうちに出た第一声はそれだった。
下位ながらも貴族令嬢であるエミリーは11歳の頃に嫁入りしている。
しかし一年程で離婚届を出され実家に返されると云う苦いの一言では言い表せない思い出があった。
「私は大分歳上だし、子供を産めない身体だよ。
それに君の身分といい、容姿といい、もっと良い人とか見つかると思うんだけどなぁ」
八歳差、しかも貴族社会で子供を産めないという事は家の格にとっても致命傷になり易い。それでもアダマスは躊躇わなかった。
「寧ろエミリーじゃないとダメ」
その言葉を耳に入れて、微笑み一つ浮かべる。
トンと指輪を手に取った。薬指に嵌めようとするが、微妙に大きい。仕方ないので親指に嵌めると丁度いい大きさに嵌る。
その指輪を嵌めた手で、アダマスの手を握った。
「喜んでお受けするよ。この指輪が薬指に嵌る頃、一緒になろう」
暗雲の隙間から僅かに注ぐ陽光は、彼女を美しく照らしていた。
ほんの暫くの別れであるが、この奇跡のような光景を忘れないでおこうと、アダマスは網膜のフィルターに焼き付ける。
この三年後の事だった。ラッキーダスト領を湖賊から取り戻し、政治も整ってきたアダマスにひとつの連絡が入る。
王都で『エミリー』と名乗っていた彼女が実家の領でクーデターの首謀者となり、家族を晒し首にして逃亡中という知らせが入った。
親殺しな上に領主殺し。他にも様々な罪があるが、国を挙げて指名手配との事だ。
丁度アダマスが、彼女を迎えに行くときどう迎えたら喜んでくれるかなと考えていた時だった。
◆
そして現在、ラッキーダスト領。
エミリーの無限エネルギー開発によって、暗雲の問題をクリアした青空の行商人街にて。
黄色い声に囲まれたエミリーが身動きを取れないでいた。
「ええと、コレはどういう事かな?」
苦い声でエミリーが言う。すると、その内の一人が甘えるように声を上げた。ツナギを着た女性である。
「だってぇ、『あの』エミリー様が此処にいらっしゃると聞きましてぇ」
「ええー、私ってそんな有名だったっけ、アダマスくん?身分証出しただけでこんな人が集まるものかな」
「うーん、有名にならないようにはしてるんだけどね。此処が行商人通りのお昼時間帯ってのがね」
ラッキーダスト辺境伯は例外的な身分であるが、アダマスは本来公爵になる筈だった生まれという事もあり、女王の指示で侯爵待遇になっている。
つまり、周りには彼に従う貴族領が沢山あるのだ。
その内で今最も発展しているのが『学術領』とも呼ばれる程学問に力を入れているセルド子爵領。
ただ、彼の領土はラッキーダストが初代だった頃から生きている長命種が運営しているという事もあり、古い価値観が根付いてしまっている。
女性軽視。
そういった影響もあり、セルド領の女学生からは女性の身でありながらアダマンタイト免許証を持ち、しかも無限エネルギーをはじめとした新発明を次々と発表しているエミリーは憧れの的だった。
「……と、いう訳で、たまたまお隣の領地から施設の見学なんかに来ていた、観光途中の女学生なんかに見つかった状態なんだと思うよ」
「なるほどねぇ。最近世俗の事とか考えてなかったからなぁ」
タハハと軽く笑い飛ばし、頭を搔いた。
そして目に入るのは、ブスッと頬を膨らますアダマスだ。
その様子にエミリーはニヤけた。
「それでエミリー、モテモテだけど、どうするの?」
「あれ、嫉妬かな?可愛いトコあるじゃないの」
「うん。だってボク、エミリー大好きだし」
「あはは、コヤツめ」
皆が見ている前で、エミリーは身体を胸の谷間に押し付けた。その光景に女学生達は「キャー」やら「ワー」やら、賑やかだ。
構う事なく、魔力を黒いハイヒールに込める。
少々変わった形をしていて、ヒールの先端にはデスクチェアのように取り付けられた小さい金色の車輪。更にヒールそのものも湾曲した構造をしていて、中にはスプリングが仕込まれていた。
「んっふっふ、私に構ってくれるのは嬉しいが、私は私で愛しい彼とのデートで忙しいのでね。これにて失礼。
エミリー五つ道具『バネ脚パンプキン』!」
アダマスを片手で抱え、プシュリと白い煙を上げて地面から思い切り跳びはねる。
その跳躍力は最大で20mという事もあり、あっという間に下の皆が豆粒のように小さくなった。
こんな事をしてしまえば落下時に無事では済まされないので準備は万端である。
持っていた黒い日傘を広げる。
学会は『存在がオカルト』だと切り捨てた世にも珍しい特殊な液体金属を布地に使っており、風圧を容易く受け止め、吸収してみせた。
「エミリー五つ道具『クロユリ』!」
ふわりとパラシュートのように傘で空をゆっくり落ちるエミリー。
彼女は呟く。
「このままトンボの片眼鏡で素早く降りても良いけど、まあまあ、シャル達が追いかける時間もあるし暫くは空で二人きりの時間を楽しもうではないか。
なんか降りたら食べたいものとかある?」
アダマスは少し考え、言う。
「……アイス!」
「よしよし、良いとも。じゃあ落下地点をそこに合わせなきゃね」
下を見ればもみくちゃにされつつも追いかけているシャルとマーガレットが居たので、手を振っておいた。




