第三話 シャル裁判
2020/01/22 大幅改稿
「ニマニマ。なのじゃ」
笑うシャルの、白い八重歯がよく見える。普段からよく磨いているのだろう。
そんな彼女は前屈みになり、片手で顎を突いた姿勢だ。もう片手にはフォークが握られる。
美味しそうなスパゲティがあるのに、そのフォークには何も巻かれていない。
アダマスへの好奇心が優先なのだ。夢と希望に満ち溢れた視線が、爛々と目の前へ向けられていた。
「ん。笑い声なのに口で言うんだね」
「言いたいことが伝わりやすいじゃろう?」
「まあ同意」
お互いにプヒッと小さく息を吹いて肩を竦めた。
直後アダマスはフォークへ手を伸ばすが、シャルはフォークの柄を彼の額に向ける。
「おぉっとそこまでなのじゃ、お兄様被告。
シャル裁判は継続中なのじゃからな。クックック」
いつの間にやらパスタの巻かれたフォークが、アダマスの口元へ寄せられていた。
恐らく柄を向けた流れでフォークを下に降ろし、パスタを巻いたのだろう。
その直後に鉛筆回しの要領でクルリと手の平で此方側へ向けて口元へ持って来たと考えられる。
「シャル裁判により~、お兄様には『バカップルっぽく「あーん」って食べさせられる刑』に処するのじゃ。
と、言うわけでお兄様!
ほらっ!あーんなのじゃ、あーん!」
シャルは野獣のように興奮して鼻息を荒くする。
半開きのアダマスの口にフォークがズボリと突っ込まれ、彼の頰は一瞬で膨らむ。
直ぐに状況を飲み込むと、パスタを咀嚼して、飲み込んだ。
「モグモグごっくん、テッレッテテー、パッパッパー。うん、美味しいね」
「なんじゃ、口で言うんじゃの」
「言いたい事が伝わりやすいでしょ?」
「まあ、同意はするかの」
ニシシと笑うシャルは、またパスタを巻き出した。
再びフォークを、今度はゆっくりアダマスへ向けると、彼はパクリと口へ受け入れた。
口内の全体にマスの旨味が広がる。
この領土はマスの産地なだけあって似たようなパスタは多い。
具材も青菜にシメジと、よく言えば伝統的。悪く言えば有り触れたものである。
しかし、このパスタは特に美味しかった。
麺に練り込んであるハーブと、マスの旨味がクリームを通して合わさり魚類の臭みを感じさせない。
故にデメリットなしにズシリとした味が舌に確りと付き身体の隅々まで染み渡る感触を楽しめるのだ。
「ところでシャル、二重の意味で突然だね。
普通は逆に奉仕されたいものじゃないの?」
彼は何時も持ち歩いているハンカチで口周りのクリームを拭きながら尋ねた。
視線をパスタへ向けたシャルはそのまま口を開く。言葉を放つ為と、パスタを食べる為に。
「お兄様を誘ったのは妾じゃからの。妾がお兄様へ食べさせたいのじゃよ。あむあむ……」
「ふぅん、そんなものかぁ。
でも急にフォークを口に入れると喉に刺さっちゃうかも知れないから、気をつけるんだよ」
「それは、その……ごめんなさいなのじゃ……」
バツが悪そうに下を向き、モジモジと人差し指同士を合わせていた。
それを聞くアダマスの手元では、片手間にフォークがクルクルと回されていた。
「うん。よしよし、二回目はゆっくりだし許しちゃうけどね。
それじゃ、ご褒美にそっちもあーん」
ヒョイと自分の皿から巻き取ったパスタをシャルの口元へ運ぶと、目の前で停止させた。
彼女は一瞬沈黙する。そして直ぐに意識を戻して頭を前に出し、パクリと口に含んで咀嚼する。
それを見るアダマスは兄妹を思わせるニヤつき笑い。しかし対照的に、咀嚼を終えたシャルは花咲く笑顔で目の前へ向き直った。
「美味しいのじゃ。でも、お兄様があーんするのは違うのではないかや?」
「ああ、その辺はボクがシャルに食べさせたいだけだから良いんだ。
それともいっそ、これも裁判にかけちゃおうか」
彼特有の小生意気な眼光が光る。
シャルは人差し指と親指で顎を挟んで「ムムム」と考え込んだが、許容に大きな時間は掛からなかった。
彼女はパスタを巻くと、行儀悪く皿を二回程叩いて結論を下す。
「美味しいは、無罪なのじゃ!」
「おお、ボクは許されたみたいだ」
「うむ。だからお兄様ももっと食べるのじゃ。あーん」
「ハイハイ、あーん」
量は多めの筈なのに、何故か無くなる速度は速い。気付けばお互い皿の上には何も無くなっていた。
満腹感に浸り、口を開く。
「確かに良い店だぁ」
「おおっ、分かるかえ」
「まあボクも色々なパスタを食べさせられてきたからねぇ。エミリーの趣味で」
「ああ、なるほど」
シャルは幼馴染の顔を思い浮かべた。何時も通りの怪しい笑顔で黒ずくめの、ザ・イロモノなあの彼女。
そういえば彼女は、変な薬を作るついでにパスタのソースの調合にやたら嵌っていたなと。
しかしと。
自らの唇に付いたクリームを人差し指で掬うと、アダマスの口元へ持っていく。
その顔は年相応に膨れ面。しかしその眼は「お兄様ならやってくれる」とドキドキした期待に満ちていた。
そんなシャルの期待に応えるためにアダマスは「分かっているさ」動いてみせる。
自身の小指を彼女の人差し指へ伸ばし指同士をキュゥと合わせ、クリームを掬い取る。
半月形に口を歪め舌が伸び、そしてペロリと舐め取った。
「おや、これは美味しいね。マスの旨味以上の『モノ』が染み込んでいて、中々良いものだ」
「む、むぅ。そ、それなら良いのじゃ!他の相手も良いけど、ちゃんと今は妾を見るのじゃぞ!」
「今正に見てるじゃないか」
カラカラとした笑い声が響いた。
どこかサディズムな『兄』の艶やかな表情に、『妹』はカァと耳まで赤くしながらも嬉しそうに縮こまる。
【一口メモ】
カスミマス
サケ目サケ科
体長50-60cmほどで、一般的なイメージの鱒と云うより、鮭に近い。今回の『マスのクリームパスタ』に使われる。
霞のような斑点模様が付いた事からそう呼ばれているが、その特徴は一生を淡水で生きるというもの。
普段は湖を拠点とするが九月から十一月にかけて川へ遡上し、卵を産み、子供は湖に戻っていく。
その時期は山で見る事もあるので『ヤママス』の別名もあり。
ラッキーダスト領の大真珠湖に主に生息し、産卵の時期になると周囲の山へ昇っていく。
それ故に、ラッキーダスト領でマスを使った料理は自然とポピュラーなものになっていた。
昔からの収入源でもあるので、厳しい漁業権が定められている。