第二話 ちょりっス!
「ちょりっス……なのじゃ!」
シャルはドアノブに手をかけると、勢いよく回す。
しかし「バタン」と、扉を一気には開けなかった。
「背中で語る」と言うべきか、後ろに立つ兄は動作から心情を読み取れた。
テンションに溢れる妹の仕草とは裏腹に、一気に開けたら扉が壊れてしまいそうな不安感が彼女の心にあるのである。
それ故に扉はゆっくりと動く。
最中にシャルはウィンクをして、開ている方の目をチョキの形にした指の間に挟む。
そうして足を肩幅まで開いて、腰に手を当てて何らかのポーズを作って見せた。
しかしこれに何の意味があるのだろう。兄は微笑み混じりに聞いてみる事にした。
「良い雰囲気の店だね。
でも、そんな大声を出したら営業妨害にならないかな」
「大丈夫なハズなのじゃ!確かこの時間は客はまだ少ないハズじゃし、妾はこの店常連じゃから、店側も許してくれるハズなのじゃ!」
「『ハズ』が多いなぁ。
じゃあ、その読みが外れていたら〜……」
そこでシャルは何かが触れたのか、ピクリと肩で反応して大振りな動作で後ろに振り向く。
「……外れておったら?」
兄は取り敢えず顎先に指を置いて一考。
シャルに対して意地悪そうな笑みを口で作り、楽しそうな声色で話す。
「『オシオキ』、かな」
「お仕置きかやー……」
「ん。ダメならやらないけど、やめる?
それとも、やめる?」
そう言われた時のシャルの頰は赤く、表情は不安感もあるが期待感もかなり高い。
それを見た兄は、ドキドキとした心臓の音がこちら側へも聴こえてきそうだと感じた。
扉が開ききり、ムワリと漂う木の匂い。
その匂いに包まれて耳まで顔を真っ赤にしたシャルの顔。突然彼女は両手の人差し指同士をツンツンと突き合わせ、内股でモジモジとし出す。
そして下からマゾヒズムに溢れた視線で兄へ小さく語りかけた。
「お兄様が望むなら……やる……」
「アッハッハ、シャルは可愛いなぁ!」
兄はシャルの頭をワシワシと撫で回した。
彼女の髪から漂う石鹸の匂いが心地良い。
さて、そんな事をしている最中の二人の前。店内には幾つか、四角く分厚い木のテーブルがある。
古いのだが、手入れの跡が際立って不潔感はない。その内の窓際の席。
そこには二人の、堀の深い顔立ちをした中年男女が座っていた。
女性の方は『熟女』という表現が似合う見た目で、シャル達を見て母性的に笑っている。
男性の方は特に表情の変化がなく、如何にも頑固一徹な雰囲気があった。
まるで『今気付きました』と言わんばかりに。
熟女は長く黒い三つ編みを横に垂らし、軽い口調で馴染みの客へ言葉を投げ掛ける。
「あらシャルちゃん、いらっしゃいな。かわいいポーズだったわね。
それとも邪魔しちゃ悪かったかしら?まあ、他にお客さんは結局居ないんだけどね」
「むぅ。返答に困るの、メリアン女史」
それは『お仕置き』を受けられない事に対してなのか、シャルは複雑な顔をする。
そしてメリアンと呼ばれた熟女は朗らかに笑って流し、古い店らしくのんびりと雑談をする。
「ごめんなさいねぇ。それにしても今日は男の子と一緒なのね。もしかして、男の子が苦手なのは治ったのかしら?」
「いやぁ、生まれつきじゃから一生このままかも知れんの。
ただーし、愛しい人は別なのじゃ!
例えばこのお兄様は産まれた時からずっと一緒なのじゃが、不思議と大丈夫での。と、いうわけで妾の夫のアダマスお兄様なのじゃ!」
言ったシャルは、未だ後ろにいた少年ことアダマスの腰へ腕を回した。
彼を前に突き出して横から両手で抱き着いてみせる。
ああこれは自己紹介のタイミングだなと、アダマスは先程のシャルに便乗してみせた。
「シャルのお兄ちゃんのアダマスでーす。ちょりっス」
声色は低いトーンで、目つきもカマボコを逆さにしたような無感情に見えるが、結構楽しくやっていて、ウインクを忘れない。ピースだって忘れない。
それを見たメリアンも上品な笑みでピースで挨拶を返した。
「あら、これはご丁寧に。私はメリアン、このパスタ屋さんの給仕を担当しているわ。
ちょりっス。こうかしら、流行っているの?」
雰囲気通りにノリの良い人である事を確認。
しかし流行か否かをを知らないアダマスはシャルへ視線を流した。
彼女はピースを親指立てに変えて自信満々で言ってのける。
「おうよ、たった今考えて妾の中で大流行なのじゃ!」
「つまりはシャルの思い付きじゃないか」
「そうとも言うの」
エヘンと得意げな様子に少し呆れ、メリアンに視線を移す。
「いつも妹がすみませんねえ」
「あらあら良いのよ。こっちも楽しんでるし。しっかりしたお兄ちゃんね、幾つかしら」
「13です」
「まあまあまあ、しっかりしてるわぁ」
メリアンに勢いよく撫でられるアダマス。
アダマスは撫でられて少し恥ずかしそうな表情をする。
しかしシャルは自分の好きな人が褒められた影響で、何処か得意げで、嬉しそうな表情をしていた。
それを見ると撫でられるのも藪やかではないと感じる。
「でも、注文は良いの?シャル」
「そ、そうじゃった!メリアン女史よ。マスのクリームパスタ、二人分なのじゃ」
「はい、ありがとうね。アナター、マスクリーム二つねー」
奥の厨房から「あいよ」と空気中に良く透る声が三人の方へ飛んで来た。
そういえば中年男性(恐らく先ほど厨房から声を出した店主)の方は先程から見ていない。
彼はシャルに気を使って厨房に早めに行ってくれたのかも知れない。
実はシャル、男性恐怖症で兄以外とマトモに話したり近付いたりする事が出来ない。
やろうとすると上がってしまうのだ。
しかし性格故に偉そうな口調だからこそ、単に『生意気なヤツ』と捉えて突っ掛かってくる男子諸君も居るが、よく見れば距離感から怯えを含んでいる事が分かる筈だ。
勿論、ここの店主のように気付ける人間は少ないが。それ故にアダマスは、店主に感謝の念を覚えてポツリと言う。
「良い店だね」
「ククク……そうじゃろ。そうじゃろ。
でも料理はまだ来てないから、これからなのじゃ。
ああ、そういえば風景も良いぞ。ちょっと外を見てみるのじゃ」
そんな会話をしながら座っているのは窓際の席。
先程まで座っていたメリアンに案内されたこの席は、古典的な雰囲気を醸すこの店には珍しい特徴があった。
曇りの付きにくい、錬金術で処理されたオーダーメイドの高級な硝子をふんだんに使っているのだ。
確かに機械産業の発展により硝子の値も落ちてきてはいるものの、それは原始的な硝子に限るのである。
そしてその理由は、直ぐに分かった。
「へえ、山をメインに置いているんだ」
窓の外の山は高く聳える。
鈍角の斜面が奥深い緑に包まれる様は、見る者へ幽玄ながらも威圧感を与えない長閑な印象を与えた。
また、所々に見える黄緑色の絨毯と川が洒落たファッションの一本線のようなアクセントになって、見る人を飽きさせない形になっている。
「この辺の窓際席と言えば湖じゃからの。
ゆっくりと山を楽しみにする者は少ない。
そういった意味でも料理とは別に妾の『穴場』なのじゃよ。さあ、どうかやお兄様」
現在アダマス達が住んでいる『ラッキーダスト領』は沢山の山に囲まれた盆地である。
その中心へ、山からの湧き水が川によって運ばれる事で形成されている巨大な湖が、この領地最大の特徴とも言える『大真珠湖』である。
そういった理由もあるのか大真珠湖は観光名所としての価値が高く、観光客が楽しめるように湖を見やすいよう席を置く傾向にある店は沢山ある。
だが、この古いパスタ屋は寧ろ脇役である『山』を主軸に置いている間取りだったのだ。
今日は晴れなので、まるで牧歌的な印象を受ける。それは雲がある日、雨のある日、雪の日等で印象も変わるのだろう。
思いを巡らせアダマスは感嘆を吐く。
「綺麗だね」
「なんじゃ、それだけかの?」
「思ったままをそのまま伝えるのも良いものさ」
それを聞いて、シャルは背骨を立てて身を乗り出した。手のひらを薄い胸に当てて、顔を少し赤らめてながら隠すようにニヤニヤとした表情を浮かべる。
人々が『照れ隠し』と呼ぶ、それである。
「ほうほう。ならば妾はどうじゃ?」
アダマスは山から目を離して、素直に向かいの彼女へ顔を向く。
すると幼さのある丸い顔。
そこから垂れるツインテールをひと束、フワリと得意げに搔き上げていた。
「シャルはかわいい」
「む。そこは『綺麗』じゃないのかや?」
「う〜ん、やっぱシャルは綺麗より、かわいいだなぁ」
「むぅ、そうかぁ」
「そうだよ。そっちの方が魅力的なんだもん。それとも、魅力的な自分はイヤかな」
「むむぅ!そう言われると、可愛いも悪くないのかもや知れぬ。……だがのぉ〜」
「じゃあ、綺麗」
「いやいや、このタイミングは流石にウソ臭いじゃろ」
シャルはプクリと頰を膨らませ、彼女の人差し指がアダマスへ向かい、そして額へコツンと当たった。
「お仕置きじゃ」
「これは手厳しい」
「言うタイミング的な意味で乙女を待たせるものは重罪じゃからな」
「そうか。それなら仕方ない。
それでアダマス被告はシャル裁判においてどんな刑罰を負わされるのかな」
「むむっ、そうじゃの。ちょっと待っておれ、今考えるから」
そんなやり取りをする二人の前へメリアンが現れ、二皿のパスタが置かれた。
するとシャルはニカリと歯を出して笑う。
なにやら企みを閃いたようだが、アダマスは生暖かく見守る事にした。