第十八話 君、大きいね。バスケ部?
「お嬢様ー、お時間ですよー」
マーガレットが両手をシャルの顔を強く挟む事によって頰を中央へ寄せている。
だからシャルの口はカワハギのように尖らされていた。
アダマスと視線を交わした後は仕事に戻る。それが故に。
尖らされていた唇は、微かに動いて挟む力を緩められると要求を語り出す。
アト……ジュップン……ナノジャ……
「だ、そうです。ご主人様」
「却下」
即答。アダマスに迷いはない。
直ぐにマーガレットは彼の者の意を汲み取って円を描くように挟む頰を動かした。更に強い力で、グニグニと。
シャルの顔はみるみる青くなっていった。
「ブフーブフー」と、十歳の少女とは思えぬ唸り声を上げる頃になると目が勢いよく見開かれる。
「ブハッ!やめんか!」
「すみませぬお嬢様。私はご主人様の忠実なる下僕なのですの。かっこぼう」
「言い訳すんなや!」
「かっこわらいなのですの」
マーガレットは天然。されども道化役を果たす。
煽るかの如く敢えて口で言う彼女は己の役割を全うしていたのだ。故に、お約束と云わんばかりに彼女の後ろからヒョコリと顔を出した兄が、次いで口を出す。
突然の登場に対してのシャルは正に豆鉄砲を食らった鳩の顔になった。
「やっほ。シャル」
「えっ、あっ、おっ、お兄様。
おはようなのじゃ。ここは……ウチの客間かの。運ばれる記憶は朧げにあるにはあるのじゃが、ううむよく思い出せぬ。
なんか途中でお兄様が妾に『綺麗』と言う幸せな夢を見ていた気がするのじゃが」
そう言って「ハテ?」と彼女は顎に手を当てて考え込む。
マーガレットはジト目をアダマスへ向けるが、彼はまるで知らん顔。そうしている間にも僅かな記憶からシャルは妄想を膨らませようになるがもう一人の声が追加されてそれが叶わなくなってしまう。
ハンナの声だ。
「おはようございます。坊っちゃま、お嬢様。
起きて早々になりますがお仕事の午後の部を開始しますので此方へどうぞ。
そういえばマーガレットちゃんは言った通りにお紅茶とお茶受けの準備をお願いね」
「がってん」
息の揃った受け答えと同時にマーガレットは一番に返事をし、ピョコンとベッドから降りる。そしてロングスカートを翻して仕えるべき二人に一礼。
教科書通りに部屋を出て行って、どうにも一段落した区切りの良い独特の感覚がする。
アダマスは虚空へ息をひと吹きして、ポツリと言った。
「じゃ、いくか」
◆
やたらカーブのある階段の上にて。
シャルはアダマスと繋がった自身の腕を上下に振るう。先程から「疲れた疲れた」と連呼する割にカラカラと笑い、よく動くその様には言うほど疲れていない事が伺えた。
「いつもながら、この階段はキツいのぉ。お兄様、おんぶなのじゃ」
「流石に階段は危ないからダメ」
「イケズじゃのぅ。じゃあ手を握るのじゃ」
「さっきから握っているじゃないか」
「おお、そうじゃった」
中身のない駄弁り話。
このやり取りもベッドを降りてから数回目になるが特に嫌ではないのでゆったりと微笑み返しておこう。駄弁り話なんてそんなものだし。
アダマスはそう思った。
そうこうしていれば到着は一瞬にも思えるもので、現に領主の部屋の手前まで到着してしまった。
三階行きの階段を登り切ると見えるクリーム色をした扉。観音開き型である。
屋敷には様々な改装が加えられているが、初期から変わっていないものも幾つか在る。
この扉もそのひとつで、一目見ると塗料で彩色された木材にしか見えないが千年以上変化がないといわれているよく分からない物体だった。
扉に刻まれている絵がこの領土の栄光を謳う。
絵柄は古代文明の壁画よろしく大分二次元的であるけれど、右の扉にはツノを付けた騎士の絵で、左の扉には対峙する巨人の姿。
この絵は初代ラッキーダスト伯が大真珠湖に居座っていた巨人と戦っている場面だというのは分かる。
えに思う事がひとつ。
ふとアダマスは思っていると、先に隣のシャルが声を上げた。
「それにしても初代様。相変わらずでっかいのぅ」
「ああ、ボクもそう思っていた。絵の都合かは分からないけど盛りすぎだよね」
扉に刻まれる巨人と初代ラッキーダストは同じ大きさで描かれている。
もしかしたら古代語で伝えられた『巨人』という言葉の翻訳のミスかも知れない。
しかしどう見ても二人の足元にあるのは湖の波打つ様。
渡るのに船が必要なあの深い湖を足首に浸からせて戦っている事になる。
「もしかしたら初代様も巨人だったのかも知れませんわね」
ハンナの一言で我に返る。その流れで一息吐いて一歩前に出た。彼はアホな事を考えていたなという想いでいっぱいだったのだ。
もしも初代が巨人であるなら目の前の扉をはじめとして家具も見合った大きさになるだろうという結論へ至る。
色々あるのかも知れないが昔の事は歴史学者にでも任せて、今を生きる我々は目の前の問題に立ち向かえば良い。
シャルの手を引いて入室する。
部屋の奥には紋章旗。
旗を背負う形で配置されているプレジデントデスクが領主の机だ。
その机上には厚みの目立つ紙束があった。
アレは午前のものをハンナが見て、チェックを入れられたものだが、ダメだったか。
今を生きる我々も昔を振り返る必要が多々あるらしい。苦い気分で右の大窓を見れば、巨大な石の初代ラッキーダスト像が変わらぬ様子でそびえ立つ。
扉の絵の初代もあの位の大きさなら説明がつくなとボンヤリ思い、どうでもいい考えだと切って捨てた。




