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第十六話 マーガレットは臭いフェチ

挿絵(By みてみん)

 衣装室の扉はキィと開かれた。マーガレットはトテトテと中へ入る。


 廊下からしなりと差し込む光に当てられて、波打ちつつも暗闇の中でボンヤリと光るハンガーに吊るされているのであろう布々はまるでオーロラだった。彼女は年相応の感受性で一旦見惚れる。

 それでも彼女はメイド見習いなのだ。はじめてのおつかいが如く、口を半開きににして立ち止まってしまう誘惑を振り切った。


 仕事を果たす為に扉の近傍に付けられたドアノブのようなハンドルを倒す。

 これが部屋照明のスイッチになるのだ。


 楕円球のフラスコのような、しかし厚手のガラス管が、吸い口を上にして天井に幾つか嵌め込まれていた。錬金術の技術を存分に用いていて、それが推奨されているこの領地では一般家庭でもよく使われる照明の一種だ。

 内部には錆びないようメッキ処理が施された円柱状の金属管が吸い口から挿入されていた。管には幾つかの大ぶりな孔が空いている。


 金属管内には、ある魔物の身体の一部を加工した海綿体が封入されていた。

 ハンドルを倒す事で天井を通してガラスの吸い口に取り付けられた歯車が動き、雑巾を捻るように海綿体へ物理的な圧力が加えられる。

 その中心に蓄えられている薬品を圧し出す為だ。


 錬金術により精製された薬品の────いわゆる錬金薬が、透過作用により一部がイオン化現象を起こしながら昇華し、蒸気としてガラス球内に放出される錬金薬粒子となっていき、残りは海綿体の性質により絞られたまま中心へ戻っていく。


 空中の粒子はイオン化する事でエネルギーを求めるように水蒸気内の水素と結合する事で数時間に渡り発光現象を起こす。

 放たれた光は、魔力が血流のように流れるガラスを透り、強化されて部屋全体を照らしていた。


 先ほどまで幻想的な雰囲気を作っていた部屋が便利さの代償といわんばかりに、人工の光で何が何処にあるのか、どのような形をしていてどのような色をしているのか。

 それらがはじめから分かっているなんとも味気ないものに塗り替えられる。


 しかしその変化へマーガレットは目もくれずにハンガーからシャルが部屋着として気に入っている何時ものワンピース。そしてアダマス用に緩やかな黒に近い灰のイージーパンツとそれに合うような白い絹のチュニックを選ぶ。これは完全な独断だ。


 それらを最低限の意識を以て手にまとめてハンドルを元の位置へ戻した。

 海綿体が絞った状態から本来の形に戻った途端、ガラス管内部を漂っていた粒子がそこへ吸い込まれていき、部屋の明かりは再び暗く静かなものに戻っていた。

 忙しいのは扉を閉めてトテトテと小走りで急ぐマーガレットのみである。


 その顔は楽し気で、一言が廊下に反響する。。


「このお洋服、喜んでくれるかな」



 そうした流れでマーガレットは衣装室から簡単な室内着を取って客間に入る。

 客間は貴族を迎える事を想定しているので、二人でも眠れるダブルベッドが置いてあった。

 とは言え、訪れる貴族が泊まる事は滅多にない。なので今回のように疲れた子供たちが休むために使う機会の方が多く、乳臭い香りが漂いそうでもある。


 ベッドに眠る、先ほどまで泥臭さを漂わせていたアダマスとシャルの身体はすっかり綺麗になっていた。

 ハンナが身体を濡れタオルで丁寧に拭き取ったからだ。棚の上にはその名残である洗面器が置いてある。マーガレットが服をとってくるまでに全て行っていた事になるが、『ハンナさんなので仕方がない』と、アダマスは何時も言う。


 ベッドの上で、下着姿に脱がされていたアダマスとシャルが穏やかに眠る。

 マーガレットは呼吸により上下するアダマスの露わになった胸を見て、そして吐く度に漂う彼の息が匂いフェチの性癖を刺激した。

 しかし此方を微笑ましく見る母の視線に対してハッと気付き、直ぐ様シャルの服を母へ渡すと、自身はアダマスの方へ向かう。

 

「マーガレットちゃん。考え事かしら」

「あ、うん。ご主人様の匂いから、ちょっと今日一日何をしていたのかなと」

「あらま。それで坊ちゃまは何をしていたのかしら?」

「まずはお昼、メリアン亭の『マスのクリームパスタ』を食べていたかな。臭いが漂う位置からして、多分お互いに『あーん』ってやっていたんだと思う。

それから多分、芝生の香りから察するに湖の広場に行って……」


 それを切っ掛けに一般人がやられたらドン引きする程度に細かい行動パターンを当ててみせるが、ハンナは「まあよかったわね」とばかりに相槌を打っていた。

 

 ところでマーガレットはアダマスを着替えさせる為、まずボトムスから取り掛かろうと足に顔を寄せる。

 一日中外を駆け回った少年の足は、多少拭いてもまだ匂いが残り、ついつい頬擦りしたい誘惑に駆られ、自身の呼吸が少し荒くなっているが耐えてみせた。


 私はレディーなのだ。

 そう、自分に言い聞かせながら。

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