第十四話 お帰りなさいませ。ご主人様
尻回
領主の屋敷で、門から玄関までを結ぶ通路は馬車が通る事を想定しているので、石畳が王宮の絨毯よろしく敷かれて、広く長い。
だからこそ、そこに暮らす者にとっては憎らしいものである。目的地を目の前にした長い道は精神的に足が疲れるのだ。
アダマスは苦々しい顔になるのを耐えて、癒しを求める。そして気晴らしにと、担いでいるマーガレットで遊びながら歩く事にした。
「ほーれ、高いたかーい」
「ぬわー、子供扱いですかご主人様ー」
「実際子供じゃないか」
「割と返答に困りますので黙秘で」
マーガレットはそう言って口を己の指で洗濯ばさみよろしく挟んでアヒルの嘴のような形の唇を形作る。
退屈な道も彼女と一緒なら、直ぐに済ませられる気がする。そうアダマスは思った。
彼女には常に葛藤があるから見ているだけで飽きさせない。
この場合は一人前のメイドとして見られたいプロ意識と、家族として見てほしい感情がぶつかり合っている。疲れている気持ちをその『オモチャ』で癒すアダマスは第二手を用いた。
「じゃあ大人っぽい事をしてみよう……こんな風に」
「え?……ひゃっ!」
彼はマーガレットの尻を基点に抱え上げていたが故にその丸い尻を撫で回そうと思えば直ぐにやれる。
尻の嫌いな男はいないだろう。少なくともアダマスは大好きだ。
突然の事について驚いたマーガレットは、ついつい彼の頭を両手で掴んでブンブンと血圧に悪そうな動きで激しく振った。
不意打ちに弱い女である。
「むぅ。お尻が触りたいなら言ってくれればそれ以上もお相手致しますよ?」
そう言って畳んだ脚によって身体からの距離が縮んでいるロングスカートの裾を少し捲り、白いふくらはぎを露わにしてみせた。
ふくらはぎは年相応にマシュマロ菓子の如く柔らかそうで、齧り付きたい魅力がある。
短パン(カボチャパンツ)で常に見せているシャルと殆ど同じパーツなのに服装によるギャップの差とは恐ろしいものだ。
しかし堪える。
「でも、いいや」
「ほうほう。アブノーマル性癖で絶賛、妻の方々に評判のラッキーダスト伯が中々弱気でいらっしゃる」
マーガレットは裾をパタつかせて中をチラチラと見せる。膝が見えたと思えば、太腿との付け根がそこに在る。
アダマスがそれをしっかり視線で追っているのを彼女は見逃さない。ならばと大胆に動かしてみる。
ゴクリと息を飲み込んで、しかし彼は前を向いた。
「確かにボクはアブノーマルが大好きだ。
しかし、ここで襲いかかっては、格好よくない。ただのケダモノさ」
「ケダモノ、ですか」
「そう。例えば此処で精力を使い果たしたらボクは君達を担いでこの道を渡り切れないかも知れない。それでは後先考えないケダモノだろう?」
そう言ってアダマスは、背中に35kg、片手に30kgの妹たち。ついでに中身の詰まった買い物袋を持ちつつ、腰に力を入れてノシノシと先程よりも力強く歩き始めた。
マーガレットの尻を撫でながら。
「こうして今、私のお尻を撫で回す事はケダモノの所業ではないので?」
「これは精力補充の為の必要経費」
「アーソウデスカ」
大人しく尻を撫でられる事にしたマーガレットは石畳の脇に植えられている植物達をふと、見た。
そこにサワサワと生えているのは客人を迎える為に植えられた植物達だ。
石畳のみでは殺風景と云う事で、種類こそ様々な差異があるもの余程貧相で無ければ大抵の貴族の屋敷に植えられている。
二歳の頃からこの屋敷で育ったマーガレットにとって殆ど実家のようなもので、手入れこそ結構手伝った事はあるもののジックリと見た事はあまり無かった。
自分がやったところを見直してみると、メイド長や庭師がやった部分、そして自分のやった部分で大分差が見えてきて、最も自分の行った部分が雑だなと感じて、灰色で蛇のようにウネウネした感情が下腹の辺りを動き回る。
眉間に皺を寄せて、何処に当たるでもなく自分自身に『これは必要経費』と言い聞かせながら、アダマスの頭を上からガシガシと禿げそうなくらい撫で回した。
檸檬色のフワフワした髪の毛は、ずっと触っていたいと思えるくらい気持ち良く、主人が今もなお自分のお尻を触り続けているのもこういった想いなのかなと、情景に想いを馳せて、主人の動きへ身を委ねる。
◆
そんなとりとめもないやり取りをしている内に目的地である本館に到着した。
見た目はシンプルな石造りの三階建てで屋上に時計台。両脇が飛び出ていて、上空から見ると凹の形になっている。
領主の屋敷そのものは古くから存在するもの、初代のものをずっと使っているのかといえばそうでもない。
技術の進歩に合わせて様々な部品を建て替え工事で付け替えているのだ。
特に近年のガラス産業の発展に対しては注視したものがあり、一階の躯体が飛び出したスペースにある食堂と浴場の大ガラス。他にも三階の領主の部屋には大規模な工事を行ったものである。
他にも魔力工学の発展により魔力供給線の設置等。
アダマスはそんな、原型が残っているのかよく分からない建物の前に立つと、マーガレットがピョコンと手元から降りた。
尻撫でから逃れる為ではない。
「じゃあ頼むよ、マーガレット」
「はい」
そうしてマーガレットはキラキラと夕陽に照らされて蜂蜜色になった共鳴合金製の鍵束を取り出して、チョコレート色をした扉の鍵穴に挿した。
彼女を屋敷の住人と認め、カチャリと錠が開く。
ドアノブを回して、マーガレットはこれこそ自分の仕事だと、ずっとやってきた事を尚やってみせる。
「では改めまして……お帰りなさいませ。ご主人様」
「ああ。ただいま」
そこにあったのは何処の貴族の屋敷でも見る、礼儀の取れたメイドの基本的な姿だった。




